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       原 告 代 表 意 見 書            2007年2月17日    
              (原告代表)      上 野 千 鶴 子

住所 東京都文京区本郷7−3−1 東京大学大学院人文社会系研究科 職業 同上教授

 福井県男女共同参画審議会音声記録非公開処分取消請求事件の提訴にあたって、原告代表として以下のように意見を申し述べます。

(1)「不存在」決定への異議  今回の福井県の情報公開請求に対する音声記録「不存在」(実際には存在することが確認されているにもかかわらず)の決定は、訴状にもあるとおり、昨年3月からの一連のジェンダー関連図書撤去事件の延長上にあるものです。当初の撤去書籍リストの公開請求を、正当化できる理由もなく「非公開」処分とした県の決定に抗議したわたしたちに対し、県は正当な理由もなくそれを翻して一部公開、のちに全面公開に踏み切りましたが、そのこと自体が当初の県の決定の誤りを県自身が認めたことを示しています。11月2日開催の県男女共同参画審議会の場で、杉本達治総務部長から書籍の撤去が「適切でなかった」 と「反省」の意が表されたことをわたしたちは評価しました。にもかかわらず、 わたしたちの情報公開請求に対して、このたびも「不存在」決定がくだされたことは、情報公開の流れに逆行する福井県の隠蔽体質が出たものと考えざるをえません。福井県が一連の出来事の経験から学んでいないようで、まことに残念です。
 音声記録などを情報公開の対象としない類似の事例が各地の自治体ではすでに登場しており、同じような情報公開条例を持ちながら、その運用は担当者によってさまざまです。情報公開条例のほんらいの制定趣旨にたちかえるなら、特段の例外的な事情を除いて公務にかかわる情報公開は推進こそすれ、それを阻害するような動きはつつしむべきでしょう。担当者の恣意によって音声記録「不存在」とした県の決定は、まことに不適切というべきであり、今後福井県のみならず他の自治体にとっても、前例になってはならないものです。
 この件(磁気テープの不存在を争う)は一見ささいなことがらに見えるかも しれませんが、情報公開の推進へ向けて、福井県の決定が他の自治体の悪しき前例とならないように極めて重要な課題です。

(2)情報公開の目的  情報公開は民主主義の基本です。市民が自らの意思でつくりあげる公共的な自己統治のための組織(すなわち自治体)に、ウラ金や談合を含めて、どのような不透明もあってはなりません。わけても公的な意思決定のプロセスである審議会の審議経過を知ることは、市民にとって当然の権利であると考えます。  透明性と公開性を持った情報の共有にもとづいて、公平かつ公正な議論を通じて合意形成することが、民主主義の基本です。地方自治の本旨および民主主義の原則から言って、議会とおなじく各種審議会も完全公開を原則とし、非公開を例外とすべきでしょう。また審議会の委員として任命された者(学識経験者、専門家、住民の代表等)には公開を前提とした発言をする責任があります。公的な意思決定の過程でそれに関与する者の発言は、市民の目にさらされ判定を受けることを認識すべきでしょう。  とりわけ11月2日開催の県男女共同参画審議会には、対立する利害当事者双方から、条例に基づいて、知事宛の「苦情申立書」が提出され、知事からの意見聴取を求められた審議会での議論のゆくえが注目されていたものです。その審議会の情報公開に市民が関心を持つのは当然であり、それを制約することはなにか隠蔽する理由があるのではないかとかえって疑念を持たれることになるでしょう。

  (3)情報公開の手段  この県男女共同参画審議会は第4回まではマスコミ関係者にのみ公開とされてきたものを、第5回の今回初めて一般公開に踏み切ったもので、この情報公開の流れをわたしたちは歓迎しています。ですが、13人の傍聴参加者を抽選で10人に制限するなど、妥当な根拠を欠く市民のアクセスの制限をしました。特別の理由がない限り、公開の審議会への市民のアクセスの制限はあってはなりません。またアクセスを制限された市民のためには、同時中継およびその電子記録を提供できるようにするのがのぞましいでしょう。インターネット中継のような最近の情報技術を使えば、労力もコストもかかりません。自治体のなかにはすでにこのような電子情報技術を導入しているところもあります。福井県の今回の決定は、このような情報公開の趨勢を促進するどころか、かえって阻害するものです。
 記録の方法はテクノロジーとともに変化します。音声記録に速記と紙媒体しかなかった時代とは違い、電磁媒体やICの利用が可能になりました。そればかりか、文字情報のみならず視聴覚情報が記録可能になりました。このような技術革新を前提にすれば、現場の視聴覚情報を忠実に記録した電子媒体が、その再現性の高さでもっとも信頼に値する記録と言え、CDやDVD、MOなどの電子媒体がそのまま公的記録となることも考えられます。
 今日、そのような情報技術を採用しないのは時代錯誤であるばかりか、行政の怠慢ですらあると言えるでしょう。現に県の職員は電磁機材を利用していることを認めています。  紙媒体の文字記録をもって公文書とする考えもありますが、文字情報の再現性に疑義が持たれた場合、より再現性の高い視聴覚媒体に遡及して事実を確認するのはあたりまえの手続きです。また文字記録もまた電子媒体化される趨勢にあります。今回の件では音声記録の存在が確認されているにもかかわらず「不存在」とするのは、意図的な隠蔽と疑われてもしかたがありません。また音声記録の作成にあたった公務員の行為は、勤務時間中の公務であり、使用した機材も私物ではなく、公的備品であることがわかっています。かつ録音は審議会委員らの許可のもとに行われており、以上のような手続きで得られた記録を、「私的」なものとはとうてい言えません。

(4)結び  昨今メディアを賑わせている柳沢伯夫厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言も、音声情報をその場にいたジャーナリストが報道したからこそ記録として残りました。もしこれが講演録のような公刊物になることをもって「公式発言」と見なすとすれば、それまでの過程で問題発言部分が削除される可能性は大いにあります。公務員が公的な場で発言したことは、謝罪の対象となることこそあれ、取り消されてはなりません。情報の公開性と共有、それにもとづく合意形成が民主主義にとって大切なことは、柳沢発言でも示されたと思います。
 裁判官の良識をお示しくださるよう、心から期待します。                                 以上