「女性を議会に 無党派・市民派ネットワーク」
  発足に向けて、わたしの想い

                    2000年6月1日

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  「まちを元気にして日本の政治を変えよう!」
      三重県桑名市・小川満美


 私が政治に関心を持つようになったのは、長良川河口堰建設と国連安全保障理事国入りを外務省が水面下で画策していたことがきっかけです。「ちょっと待って!それって何か変」つまり、地元住民がいくら必要ないと言っても、一度決まった公共事業は止められない上、分担金だけはしっかり持って行かれてしまう。また、安全保障理事国になるという国の重大事が、国会で議論もされないうちから勝手に根回し工作されてしまう。こんな状況に対して黙っていてはいけないと気づいたからです。憲法では「国民主権」が謳われながら、実際のところ国民には何も決定権が無いのではないか。こんなところ強く感じたのです。
 そして、政治や社会情勢に関心を持ち、多少本なども読むようになると、地方分権、環境保護、男女平等といった今日的な問題が、既に1970年代半ばには叫ばれていということが分かり、それから四半世紀たっても今でも、根本的なところはあまり変わっていないことに大変驚いています。社会の構造改革が必要なことは、多くの人が気づいているにもかかわらず、いっこうに進まないことに苛立ちを覚え、やはり、声を上げて行動するしかないと思いました。
 私の考える目指すべき社会は、今までの経済効率第一主義な社会を反省し、お互いにそれぞれの違いを尊重しあう多様性のある社会、人間も自然の一部でしかなく、他の生物との共存を考え、開発よりは保存を重視する社会です。
 また、99年の統一地方選挙で確かに女性議員はかなり増えましたが、男性中心に作られた社会の枠組みが変わるまでには至っていません。そして、女性議員は女性らしく、女性ならではの感性で福祉と教育とゴミだけしていればいいと思っている人もいますが、本当の男女平等にするには、全ての政策をジェンダーの視点で見直しすることが必要だと思います。
 こんな思いを実現するために、元気の良い女性をたくさん地方議会に送り出し、地方の活性化をさせたいと思っています。そして、地方が活性化することで中央の政治も良くなると思います。また、その方法しかないと思っています。

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 「無党派・市民派」は、
  あなたとわたしの対等な関係から
     岐阜県高富町・寺町みどり


 古ぼけた校舎のうす暗い教室で、中学1年の“わたし”は、日本国憲法を学んだ。
 「・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
わたしは憲法前文を熱っぽく解説する担任の言葉に感動し、「生まれてきてよかった」とはじめて思った。
 あれから35年、「主権が国民に存する」政治は、だれもが待ち望みながら実現されず、憲法前文の中に眠ってきた。
 有機農業をしながら環境問題に取り組むなかで行政と対立し、5人の子育てをしながら教育のカベにぶつかり、女性のわたしがわたしとして生きていくことの息苦しさを感じながら、数え切れないひととの出会いのなかで、「わたし」のなかで起きていることは、無数の「あなた」のなかで起きている出来事だと知った。わたしは政治が変わることの大切さをひしひしと感じていた。
 91年、声を上げなければ何も変わらないと議員に立候補し、初めての市民派女性議員として4年間、少しの勇気と、市民運動の経験と、地方自治法だけを頼りに、慣例がすべての議会を改革し、地域利権構造と闘い、多くの人とこの力を分かち合いたいと必死に働いた。
 このわたしの経験を女性たちに伝えたいと、95年、「ひとりでも多くの女性を政策決定の場に送るため」の活動に参加し、女性議員は確実に増えていった。この10年間の貴重な体験で学んだことは、「社会を変える力はわたしたち自身のなかにあるという確信」と「わたしが望む公平で平等な社会は、あなたとわたしの対等な関係からはじまる」だった。
 昨年3月、わが高富町の議会は、わたしたち市民が提出した「《法令の遵守を求める請願》 一、議会は憲法・地方自治法を順守すること。一、議会は会議規則・委員会条例を順守すること。」を全会一致で採択した。わたしの住むまちに、初めて憲法と地方自治法がやってきた。
 いまわたしは、社会のシステムや制度を変えるひとつの手段として、「政治を変える」ことが必要だと思っている。「女性を議会に送ること」だけが目的ではなく、自立した市民が増えることにより、そのなかから政策決定の場で働きたいという勇気を持つ女性が出てほしいと思う。
 女性が力をつける=エンパワメントする、ということは、女性自身が社会の主体となり、みずから情報を手に入れ、みずから考え判断し、行動し、社会を自分たちの望む方向に変えていくことだと思う。わたしは「むしネット」を立ち上げようとする女性たちのフレキシブルな話し合いのなかに、この新たな力を感じる。
 既存の(権力や物やお金を)より多く持つことに価値をおく社会ではなく、一人ひとりの存在を大切にする社会を、あなたとわたしの対等な関係を始まりとして、党利党略や利権で動く政治ではない「オールタナティブな=もうひとつの」市民の政治によって実現していきたい。
 わたしたちは、だれも通ったことのない、もうひとつの道をみずからの意志で選び、歩き始めた仲間たち(ネットワーク)である。

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 「いつも市民派!ずーっと無党派!」
    愛知県豊明市・山盛さちえ
 


 《私のこれまで》

 私はこれまで、日々のくらしの中の様々な問題(子育て、教育、環境、介護など)を市民活動を通して解決しようと地域で活動してきました。
 しかし、いつも政治という大きな壁にぶち当たり、市民活動に限界があることを気づかされ、もどかしさを感じていました。そんな中、「女性を議会に!ネットワークあいち・ぎふ・みえ」に出会い、政治にアクセスすることでその問題解決の糸口が見つけられることを学びました。
 私は「女性議会ネット」の中心メンバーとして、くらしと政治が密着していること、くらしの中の課題により近い女性を議会に送ることが解決につながること、また市民派選挙のノウハウの学習会等を開催し、一人でも多くの女性を議会に送る活動をしてきました。そして、99年統一地方選挙に私自身も「いつも市民派!ずっーと無党派!」議員として初挑戦41名の仲間とともに初当選することができました。

 《当選してわかったこと》

 「議会の常識は市民の非常識」とよく言われますが、中に入ってみると正にその通りで、議会は古い慣習にどっぷりつかり、議員は地位や権力、特権意識にあぐらをかき、本来の機能を果たしているとはとても言いがたいものでした。これまでどの政党も会派も議会改革から目を背け甘んじていたことが、ここまで政治を、議会を腐敗させたと言えます。そのことが、市民の政治離れ、政治家不信を募らせていることは明確です。私はその実体を有権者に伝えることの必要性を強く感じ、通信を発行し議会の情報公開に努めています。暮らしを、政治をかえるには議会をかえなければ始まらないと考えたからです。また、こういった男中心の社会が生み出した様々な歪みの解消は、利権やしがらみ、党利党略に一切左右されない、無党派市民派にしかできず、政党や多数会派と一線を画することが必要不可欠です。これまで政治に縁遠かった女性が適任であろうとも思っています。こんな私に対するいやがらせ、バッシングはかなりのものがあり、豊明市議会での懲罰委員会設置はその最たるものでした。  

《これから》

 そこで、私は無党派市民派議員として、3つのことを目標に「女性を議会に 無党派・市民派ネットワーク」を立ち上げたいと考えました。
@より弱い立場の人(女性、おとしより、子ども、障害を持つ人等)とその人たちを支えようとする人が、性にとらわれず、その人がその人らしく精一杯能力が発揮できる、差別のない平等な社会システムを創るための活動。(ジェンダーフリー社会の実現)
 A地域では孤独な市民派議員も同じ願いをもつ人たちと、ネットワーク・協力し合い、地方自治法や会議規則を学ぶとこで、数に負けない、慣習に流されない知恵と力を手に入れ、ひるまずがんばり続けるための活動。(議員の資質・実力の向上と情報交換)
 Bまちづくりには良質な議員は必要ではあるけれど、良質な市民の存在が何より重要です。まちづくりは人づくり。主権在民を第一に考え、広く女性の政治参加の意識を高める学習や啓発と、市民と議員が情報交換、パートナーシップすることによりスピーディーに願いが実現できる新たな政治活動づくり(女性の政治参加、これまでにないもう一つの政治活動の展開)

 「む・しネット」設立にあたっては、この1年間「女性議会ネット」の新議員向け自主勉強会を企画開催し、「市民派とは何か」を学んだことが最大のきっかけです。
 もうひとつは、「女性議会ネット」が政党議員会員を賛助会員として残し、政党との一線を画さなかったこと。会員の中で(市民会員=無党派市民派女性を議会に送る活動、女性の政治参加の啓発。議員会員=政策の学習、エンパワメントの場)望む活動の方向性に開きが生じ、一つのネットワークでは対応しきれなくなったと感じたことが理由です。
 ともに時代(社会)が必要としている活動であり、「女性を議会に」は共通ですから、活動により連帯や交流は可能と考えています。

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Big Grow(大きく成長する)「む・しネット!」 
尾張旭市・楠木千代子

 「地バン、看板、カバン」なんて言葉を知らなかった。市民派で無党派に抵抗を感じることなく、反対にそうであることの方がここちよい。
 「親せきはどのくらい?」と聞かれたことの不思議さと、同じ市でありながら「どこから立候補するの」の質問には、「議員は地区委員じゃありませんよ」と答えるしかない。
 市民と歩み、市民の身近な声を議会へ、そんななんでもないことがむずかしいのかな?政党色がなくても議員活動はできるけど、より勉強を情報交換をとなると、このネットワークの存在は大きい。 「市民派とは? 無党派とは?」のこだわりは、この規約の中で十分表現されているのが分かるはず。言葉で文字で確認しあいながら作業がすすむ規約作りから参加し、これから協力して行けることをうれしく思います。

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 「気づいたひとから」
     愛知県東海市・久野日出子

 市の「女性のつどい」の副委員長をやったり、PTA連絡協議会会長をやったり(当市では女性の会長は私が初めて)する中で、家の窓から外の景色を見ていたのが、広い世界から自分の家を見ることも知りました。今まで気づかなかった多くのことを学びました。 とても現代とは思えない封建社会。
 権力への服従により、自らの意志をなくした人たちに対するいらだち、不信感。気づいた者が行動しなくてはと、女一人では何もできないと分かっていたが、とりあえず無謀にも市議選に挑戦しました。
 そこでも選挙そのものも男たちが長い時間かけて作ってきたルールで動いていて、当然のことながら選挙の壁は厚かった。女性が選挙に出るということは、男性のそれの何倍ものエネルギーが必要。それをクリアするには、女性が男性が作ったルールの中で実力をつけていかなくては勝てない。
 まず自分の住む町、社会をどうしたいのかを自分の頭で考えることから始めましょう、ということを一人でも多く語り、男性が作ったルールやシステムを根本から問い直すことを目標とした仲間作りが必要です。女性特有の私的感情だけで言動するレベルを卒業して自立した一人の人間として責任ある行動ができるという学習も必要です。
 一人ではその学習も困難ですが、「女性を議会に む・しネット」で勉強しながら、次回の市議選に出る出ないは別として、市民の一人として力をつけていきたい。いわば議会の職業訓練所の役割をこの「むしネット」が背負うと、恐れないでどんどん女性も政治に参加できるかもしれない。
 権力が政治ではなく生活そのものが政治、が実現できるのは、やはり女性が政策決定の場に一人でも多く出なくては・・・
 この「むしネット」が社会を変えていく。そのことに少しでも私が役に立ちたい。また、仲間が一人でも多く必要です。

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 「議員である前に市民でありたい」
      福井県敦賀市・今大地晴美


 「いつも市民派ずっと無党派!!」
私の名刺には似顔絵とともに、この言葉がひとこと書いてある。「女性を議会に! ネットワークあいち・ぎふ・みえ」の前代表の後藤尚子さんのキャッチフレーズを使わせて頂いたのだ。3年前、市民派議員を目指そうと決意し、右も左もわからないまま飛び込んだ「女性議会ネット」での交流と勉強は確実に実を結び、私は議員になった。そして1年。私を見る回りの目も変わる。接する態度も変わる。私自身も気づかないところで変わってきているらしい。最近、夫から指摘され、口論になるのもそのことだ。話し方や口調、態度がえらそうになったというのだ。
 バッチをつけない、いばらない、議員である前に市民でありたい、そんな思いが「いつも市民派、ずっと無党派」に込められているのに、「自称・市民派」に埋没しそうな自分に不安になる。
 「女性を議会に 無党派・市民派ネットワーク」の立ち上げは、私自身の中の市民と議員の葛藤であり、成長であると思っている。あせらず、ゆっくりと、大切に育んでゆきたい。

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  「思いをかたちにしたい」
      岐阜市・新田幸子

 私は、ごく普通の主婦である。主婦ということばは、役割を固定化するという意味で好きでないが、世間一般に分かりやすい呼称ということであえて使っている。
 その私が親になったとき、まず安全な食べ物がほとんど無いことに気づいた。なるべく低農薬で添加物の少ないものを選んで食べるという毎日の中で、農林行政や厚生行政に疑問を抱き続けた。子が学齢期に達すると、小学校でもテストがやたら多く、これでは学校は楽しくないだろうと、学校教育や子育ての悩みを話し合う会を作った。この会では子どもたち、親、教師が互いに支え励まし合って、それなりの成果はあったのではと思っている。そして、あの長良川河口堰の問題が浮上した。私は4歳から岐阜市に住み、長良川で遊び、泳いで育った。成人する頃には、その水は濁り、川底はぬめぬめとし、幼い頃の清らかな流れは姿を消してしまった。工場排水や、生活排水で瀕死の状態になった長良川に、さらに河口堰を作ろうというのだ。それはもう、利権がらみの土建行政の産物以外の何物でもない。何とか建設をやめさせようと、集会に参加したり、住民投票条例制定の直接請求運動に関わったり、できる限り行動した。しかし、河口堰はできてしまい川の汚れは一層進んでいる。
 その後、世界で唯一の被爆国の市民として、原発のおそろしさを皆で考えていこうと、チェルノブイリの人々への救援活動に加わった。昨年起きた東海村の臨海事故は、核の恐ろしさをまざまざと見せつけたが、原発見直しの機運が少しでも高まったことは、不幸中の幸いである。
 このように、私の平凡な人生を振り返ってみると、すべて人が人として大切にされていない政治が行われているための出来事ばかりである。政治というと縁がないという人がいるが、私たちの生活は政治そのものだ。その視点で議員を送り出してこそ、市民本位の政治が生まれる。
 いろいろな運動の関わりの中で、政党と足並みを揃えることがあった。しかしその政党は、それまで対立してきた政党と手を結び、政権を手にするや、それまで反対してきた政策も賛成に回り、平気で選挙民を裏切った。そして別の政党では、党が第一主義であって、個人は無きに等しい体験をした。
 「人が人として大切にされる政治」− その実現のために、どの政党ともかかわりのない、真に自立した市民を政策決定の場に送り出し、市民も自治の精神をより強固なものにするための研鑽を積む場として、私は「むしネット」に期待している。
 と同時に、連帯したい人々とともに、楽しく活動できればと思っている。

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  「中山間地農村の議員を経験して」
      岐阜県白川町・服部圭子

 私は、名古屋から移住し、有機農業をしながら暮らして12年目の時、尊敬していた友人の一期目の女性議員から、町議の補欠選挙の出馬を勧められた。現代の農政には、疑問を持っていたし、農村の女性の地位の低さには閉口していたため、議会で環境問題や女性の社会参画が訴えていけるかもしれないと思い出馬し、当選した。そして2年2カ月の議員生活をし終えた。
 政治の世界にいたことのない私は、議会や行政の世界に驚きや疑問のあるときは感動もした。そして政治の仕組みがわかり、農村が衰えていった原因がこの政治にあることがよーーくわかった。例えば、補助金を出し落葉樹をバサバサ切り、檜や杉を植えさせた。しかし木材輸入を進める政治は、檜や杉を低価格にし、保水力のない森林にして、私たちの生活を脅かしている。また補助金を出し田んぼを広くしたが、自己負担もあり兼業で働いたお金を返済にあてなくてはならない、しかし一方で米の輸入を進め、補助金の交換条件として減反を強要する。さらに兼業が進むように、早く楽に農業が出来るよう、機械化と化学肥料と農薬多投の技術を行政職員が出向いてすすめた。そのために米作りは機械技術と化し、米代は工業(つまり都市)へと渡り、環境ホルモン等の汚染は土地や人体を侵す結果となった。
さて、私の町の議員は公務員や会社員を定年退職した男性と自営業の男性が90%以上をしめる。かろうじている女性も職を辞めての出馬で専業主婦である(小さな町村では同じような状況だろう)。自治会長やPTAや審議会等いたるところで男性が主で、女性の社会参画は進んでいない。また議会は平日の昼間に行われる。このような町では議員の構成が性的にも職業的にも年齢的にもアンバランスになって当然なのだ。
 国民は女性も男性も同等の社会参画の責任があり、働く義務があり、立候補する権利も与えられている。そして「主権在民」をチェックする議会は、色々な立場の人の意見を代弁できる公平な住民層で構成されるべきだろう。しかし今の議会は住民層と照らし合わせるとアンバランスな構成になっているため、多数派の男性で長老者が権力を持ってくる。議員に悪意は無くても一部の住民の意見しか反映出来なくなるのはしごく当たり前のことだ。また議会の男性中心の慣習には嫌悪感を覚えた。泊まりの視察に出れば懇親会で酒談義。町内の懇親会には女性コンパニオンがサービスされる。セクハラには不理解で喫煙マナーも最悪。自分は子どものおむつさえ替えたこともないのに女性議員や母親たちには子育ての責任を問い詰める。妙に年功序列が固持され、酒の席や裏では言っても表ではっきり議論する現場を見たことがない。
 21世紀は女性の多くの人が経済的に自立し、男性は多くの人が生活の自立をしていく共同社会をつくる世紀。ヨーロッパで教師や建築家等さまざまな職業の議員がそれぞれの服装で仕事を終えた後の会議長の写真を見た時、これなら!と目からウロコだった。
 農村軽視、女性軽視の政治が変わるために、私は農業をしながら、女性の立場で、議会に身を置いた経験をいかして地方政治にかかわっていきたいと思っている。
 このネットワークでは、農村の男女平等の社会システム作りの輪を広げて行動していきたいと胸膨らませている。

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