『む・しの音通信』No.33 
(2003.12.1発行)

特集:
《「市民派議員アクションフォーラム」
    &「議員と市民の勉強会」》 


 
11.15フォーラムの前段として「自治体政治はどうして変わらないのか?」「市民派議員はいかに闘うのか?」のテーマを、7月から延べ20時間かけてKJ法で整理しました 特集号の冒頭に、フォーラム資料として配布した《KJ法のまとめ》を収録します。
 わたしたちの考える「市民の政治」のビジョン、お読みになってください。(無断転載禁) 
            

「自治体政治はどうして変わらないのか?」
  KJ法参加者:
  ごとう尚子・山盛さちえ・寺町みどり


 【市民】

−問題は市民にもある−
 市民とはだれ? フツーのひとだけが市民なの? 市民はかざりの花か?
 変化に鈍感な市民、政治を変えたいと思う人が少ないから、「分権」を市民に投げても果たせない。原因は「市民に情報が届いていない」こと。行政が市民から遠いところにあり、政策も財政赤字も、公務員がなにをやっているかも知らされない。
 市民と行政とは、「市民の政治」という言葉は同じでも意味が違う。市民参加は「行政のアリバイ作り」で政治に反映していない。

 −キーワードは「ひと」−
 「人が変わる、政治が変わる」。気づいたひとから変えていこう。市民自身が、議員に職員になろう。職員も議員も変われば、政治が変わる。

 【自治・分権】

 「国・県・市町村は対等の関係」と地方自治法は変わったけれど、市民の現状は変わらない。変える必要を感じない抵抗勢力のご都合主義、昔から自治体政治はこうだった。
 とはいえ、合併では自治体の問題はなにも解決できない。
 「分権は一日にしてならず」−「分権」は複雑な課題を解くための「市民の政治」に至るプロセス。
 「変えるのはまずわたしから」−「地方自治の本旨」を基本とする、基礎自治体を第一にする補完性の原理で「自治の概念」の見直しが必要。「自治」とは「住民自治」のこと。だから首長と議会で決めないで! わたしたちは外国人も住民と定義する。だから「外国人にも地方参政権を!」

 【地域】

 地域の関係に二極分化あり。女・こどもは無視の自治(ジジ)会。地域ボスに権限を持たせる動きも心配。地縁・血縁重視型のNPOは逆行だ。地域構造を再構築して、新しい市民組織(NPO・NGO)が必要だ。

 【NPO・NGO】
 企業もNPOを作る時代、善意のボランティアから企業の営利目的までNPO・NGOもイロイロだ。
 NPOはダミーそれとも隠れみの? 官製NPOは事業をすすめるためのダミー。行政に都合のよいボランティア団体、自治会がNPOになるのも危機感あり。将来は、政治家の利益誘導のかくれみの? それともNPOは行政の下請けなの? 行政の怠慢につながる安く使えるNPO。善良なボランティア団体は行政の評価も低い。ただ働きNPOは他のNPOにしわ寄せがくる。だから「やめよう!アンペイドワーク」。
NPOは専門性を生かし、よい仕事で正当な評価を得て、市民事業体として自治体事務を担おう。NPOは「市民コミニュティビジネスの未来」だ。
 一方で、NPOにも談合の危機。補助金の不正受給も表面化している。コンペ審査、するのもされるのも市民の時代。「契約の手続きの公平さをどう確保するのか?」「福祉でも土建と同じになる心配」「NPOと政治家の関係は?」「職員とNPOの関係は?」などなど、問題が山積している。今後はNPOと付き合うルールづくりの確立が必要。
 市民派議員は、事業委託関係のNPOとの線引きを明確にして、利害関係にならないように距離を持つことが必要だ。

 【議会】

 −問題は議会だ−
 「市民参加」のプロセスで積み上げた政策は議会がネック。「議会軽視」と民意を否決する「ゴーマンな議会」。「市民の政治」への抵抗勢力は議会だ。必要性が分かっても理屈をこね、最後は何でも決めたいオヤジ議員。自分がいちばんと誤解している。こんな議会が意思決定でいいの?
 とはいえ、執行機関の権限が強くて制度としての議会の力が弱い現状。議会は車の補助輪か? 議会と行政の関係の見直しも必要だ。
 −議会を変えよう!−
 「議会改革なくして自治体改革はなし」。 ルールを決める立場なのに、法律・規則を知らないという議員たち。議会の問題を整理して解決の道すじを立てていく市民派議員は改革の担い手だ。
 現在の議会には、議員間の議論の場がない。議会を改革して、議会をフリー討論の議論の場にしよう。とはいえ、「市民自治」を否定する議員の権限を制限するルールも必要。議会にも監視システムをつくり、「議員の通信簿」で仕事の査定評価をしよう。「多選議員」や「死ぬまで議員」はいらない。だから議員年金制度を見直そう。
 まずは、議会をルールどおりに動くよう、短期的には現行ルールを使いたおす。中期的には「条例・規則を変える」。長期的には「住民自治」に不都合な法律を改正しよう。

 【行政】
 −首長−
 オバカな首長も問題だ。「市民の政治」を与えてやるという感覚で、イエスマンばかりを昇進させている。「分権」誤解の首長さん。「分権」は国から首長への権限委譲と強化と誤解している。だから、首長と議会の権限に制限を! よい市長と職員と市民派議員はまちづくりの必須アイテム。与野党逆転で議会改革も夢じゃない。変革のチャンスを生かそう! 首長を変えてまちを変えよう!

 −職員−
 意思形成過程に市民がはいることをいやがったり、情報公開制度すら知らないオバカな職員もいる。やる気のない職員でも給料は同じ。働かない職員はいらない。問題は「分限処分されない」「競争原理がはたらかない」こと。職員評価のルールづくりがまず必要だ。 職員の天下りにも批判の声があがっている。市民のくらしが見えていない部課長は、窓口やまちに出ていくべきだ。
これからの自治体職員にはプロデュース能力が欠かせない。何と言っても能力と資質、志のある職員が必要だ。職員も、市民派議員みたく全方向で対応を! とはいえ、改革には「労組がネック」だ。職員が育つには時間がかかる。

 −行政組織−
 問題は制度だ! 職員が堕落する行政組織に問題あり! 助役や部課長などの管理職には、なぜ能力がないのに意思決定や政策執行の権限があるの? 人事権の独占化、執行機関のピラミット組織も問題だ。制度を変える方法は、ピラミット組織をフラットにしていくことが解決のカギとなる。職員の査定評価を能力給に反映させ、職員の終身雇用制度を見直すために、地方公務員法を変えよう。
 いまやパート職員は市民サービスに欠かせない存在だが、有能なパート職員の給料は安いし身分保障制度もない。「同一賃金・同一労働」の待遇確保が急務である。
 職員が現場を知ることの必要性を忘れてはならない。現場の市民を職員として行政組織に組み込むシステムづくりが自治体を変える。

 【国・法律との関係】
 法に限界あり! ひも付きの国庫補助事業、財源不足を補う交付税など国の制度が地方をしばる。財政、人事の両面から法が自治体をしばる現実がある。
 市民を守るための法律なのに運用が不平等だ。なんとかしようにも、自治体だけでは変えたくても変えられない。首長や議会は、国にものモノ言え!

 【IT自治体】
 ITのメンテナンスは金くい虫。IT資本の食いものになっている。またIT化には、住基ネットによる個人情報の管理・一元化といった概念があり危機感を覚える。一方、情報公開やパブリックコメント、組織のフラット化に自治体のIT化は欠かせないので、使い方によってはメリットもある。
 「便利なものは危ない」とはまさにこのこと。IT自治体は両刃の剣といえよう。

 【外郭団体】
 第3セクターや公社が財政危機をまねいている。原因は、補助金の流れや使途が不透明なこと。外郭団体との関係の整理していくことが必要である。

 【情報公開】
 基本は情報公開。「情報を公開する原則」と同時に「個人情報の保護制度」も必要だ。「住基ネット」は情報公開に逆行している。

 【政策・財政】
 −政策−
 自治体は法と現実がぶつかる現場。ルールが変わったのに現実が変わっていない。男女共同参画へのバッシングがそのよい例である。「市民参加」の政策(条例)は、議会がネック。旧態依然とした教育委員会も大きなカベになっている。
 これからの自治体は、公共事業の質を見直し、政策課題の転換が必要だ。そのためには、政策ビジョンを持ち、基本構想・基本計画をつくる必要がある。とはいえ、中身を問われぬマニフェストも問題だ。押しつけではなく当事者が望む福祉を。
 基本計画や政策策定は、シンクタンクに丸投げしないで、当事者性重視の政策手法を基本にして、利用者の選択を反映させよう。
 インフラ整備から社会保障へ、より弱い立場の市民の利益になるように政策の優先順位の見直しも必要だ。措置は行政の慈善的給付となりがち。市民との契約による、持続可能な社会保障制度に変えていこう。
 市民自治を基本理念として、「暴力や差別のない社会」「男女共同参画社会」「循環型社会」の実現をめざそう。

 −財政−
 少子高齢社会で民生費・扶助費がかさみ、公債費も増えている。その割に、歳入が伸び悩み。財政力がある町は豊かだが、自主財源が確保できない多くの自治体には金がない。 でも、財政と政策はコインの裏表、「財政危機は見直すチャンス」だ。
 行政サービスはタダではない。事業(政策)コストの公開をして先例重視の財政配分を見直そう。補助金行政も財政を圧迫している。無駄な事業を見直し「出を量って入を制す」に、税金の使い方の見直しが必要。必要な財源の確保のために、自治体に課税自主権を認め、世代間格差への配慮をして次世代につけを残さないようにしよう。

 【契約・入札】
 口利きと利益誘導は、紙一重。わたしって口利きしてる?って不安になる市民派議員は「口利きとは利得のあること」と心得よう。
 政策や財政の見直しが必要でも、議員や利益集団は、やっぱり既得権を手放さない。まず「口利き」文書の公開制度を作ろう。 口利きや利益誘導、談合防止には入札制度改革が必要。入札価格の事前公開と、入札の積算根拠公表をしよう。NPOや市民事業体との対等な契約には、従来の契約の概念を変えることも必要だ。

 【評価システム】
 行政の評価システムがまだまだ。事業実施の前後に、事業評価システムの確立が必要。とはいえ、徐々に行政システム改革が進んでいる自治体もある。
 NPOとの協働ではじまる「行政と市民のあぶない関係」。手続きの公平性、透明性をどう確保するのか? 行政も市民も間違うという前提で、市民の第三者監視システムが必要だ。オンブズ機能を充実させて「政策評価に市民も参加を!」

 【意思決定】
 まちの政策や重要なことは、現場から遠いところで意思決定している。「市民参加」の実態は「汗を流す市民、収穫する行政」。 まず、決め方の決め方の議論から始めよう。市民は、議論を尽くせば納得できる。そのためには、情報の共有とコミュニケーションが必要だ。意思決定のプロセスの公平さを確保し、市民も意思決定に参加できるようにしよう。政策の立ち上げや、意思形成過程への「市民参加」も必要だ。「市民公募性」「パプリックコメント手続き」を導入し、「職員による政策研究」「市民によるワークショップ方式」で議論を深めよう。
 住民投票制度は議会無視? まちの未来を左右する重要な政策の意思決定を、議会だけには任せておくのは心配。だから住民投票条例を制度として定着させよう。
 子どもも市民。すべての市民が当事者としての自分の意見を反映できるように、直接民主主義型の意思決定システムを充実させよう。 【制度・システム】
 自治体の問題を解決するには、制度・システムを変えるのが近道。変革はチャンスを生かそう! よい首長・よい職員・よい議員がいるうちにシステムを変えることも必要だ。
 制度改革も、NPOとの協働も、「改革は総論で推進、各論で点検」。問題を明らかにし各論で傾向と対策を考えよう。大事なのは制度の運用。変えた制度はちゃんと使いこなせるようにしようね。
 改革には市民の力が必要だ。キーワードは情報公開とアカウンタビリティ。スタートから100%の透明性と徹底的な情報公開をしていくことが重要。しくみをかえて、市民の意思をひっくり返さないシステムをつくろう。 「継続は力!」 あきらめないで変えられるところから変えていこう。

 【市民社会】
 ひとがいとなむ、ひとが変えていく市民社会。「ひとが大事、いのちが大事」
 「官と民の相互乗り入れ」。行政の仕事や、意思決定システムへの「市民参加」で「公」の概念が変化する。パートナーシップは双方向概念。市民と政治のあらたな関係、「市民自治=市民の政治」を実現させよう。
 「ひともイロイロ、まちもイロイロ」−地域(自治体)の多様性を容認して、都市と農村を特色ある地域にしよう。地方自治基本条例を制定し、自治体を市民の手に!
 ムラ社会を解体して、弱者が生きやすい、多様な個人が生きる市民社会をつくろう。そして「市民が選ぶ好きな自治体」にくらしたい。多彩に!多様に!  (文責・みどり)
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KJ法「市民派議員はいかにたたかうのか?」
KJ法参加者:
   ごとう尚子・今大地はるみ・山盛さちえ・小川まみ
書記:寺町みどり


 1期4年を走りぬけた「む・し議員」。「石の上にも4年」。理解する議員も増え、職員の信頼も得られるようになり、議会のなかにも「市民派」の影響力がおよぶようになりました。
 とかく議会のルールは市民にはわかりづらいもの。「市民から見えない議会」や「市民の願いを無視する議会」と、「まちもイロイロ・議会もイロイロ」です。

 【市民派議員は議会ではたらく】
 議会は真剣勝負の場! パフォーマンスで質疑をしているわけではありません。委員会ではちゃんと議論を尽くし、一般質問ではとぼけた答弁を許さず、つねに真剣勝負の市民派議員です。「市民派議員は議会ではたらく」のは当然のこと。市民に見える形にするために討論を続けます。

 【市民派議員のたたかい方】
 本物の「市民派議員」は、自称しなくても「市民派」です。市民派は定義より実践あるのみ! まさに「論より証拠」。正論は信用されるものです。 
 「市民派議員は最初がかんじん」〜慣例にしたがわず、ルールを無視し、「どこからでもかかってこい!の心構え」が必要です。  「いつもシビアな市民派議員」は、思いがけない出来事にもどんな場面でもうろたえません。「チャンスを逃がすな」と発言できる場はどこでも使い、どんなときでもあきらめないで、発言しつづけてきました。
 一般質問や質疑での「問い」は「答え」を予測してするもの。「知らないことは聞かない」原則、プラス「討論は市民派の武器」。なんにも分かっていない他の議員に、市民派は討論で差をつけます。
 とはいえ、議会は数がものを言うところ。言葉で説得する大切さを感じてる市民派議員よ、「数で負けても議論で負けるな!」 そのためには「説得力をつけよう!」。
 市民から持ちこまれる問題には、アドバイスはしても「口利きはNO!」 これぞまさに「市民派議員のたたかい方」の基本です。しかも、100人いれば、たたかい方は100人それぞれ違います。「みんなちがってみんなステキな」市民派議員です。

 【市民と市民派議員の関係】
 市民活動のテーマを持って立候補した市民派議員は、「市民と政治の橋渡しのために」シナリオライターの役割も担っています。
 担当職員に聞くだけでなく、情報公開制度を使いこなして一層のパワーアップをした市民派議員は、議員と市民に成長の差に、「パワーアップすると市民から遠くなる」と感じているのも現実。それでもめげずに、「通信は使いよう」と日々通信を使って情報発信したたかっています。
 市民のメンバーが固定化してきたなかで、「次世代がいない」「育てていない」という、大きな課題も背負っています。もうひとつの課題は「市民派議員は誰と組むか?」 2期目になって原点にかえり、「そして、市民と組んだ」市民派議員もいます。

 【行政と市民派議員の関係】
 市民派議員は「職員を味方につけよう」。ひとりでも職員を味方につけ、役職者ではなく、若い職員に伝えて教育し、変えていくことも大切です。
 つぎに「議会事務局を味方につけよう!」ルール違反に気づいている議会事務局と連携して変えていくことができます。
 でも、ものわかりのよすぎる議員にはならないように「職員VS市民派の緊張感」も必要です。「よい通告でよい答弁を引き出す」ことは、職員とのヒアリングを、本番・公式の議会で活かすことにつながります。事前活動には2種類あることを理解し、「通告OK!根回しNO!」の態度で臨みましょう!
 とはいえ、まだまだ市民派に対する温度差があったり、市民派にいい答弁を出したくない執行者側が、発言者によって同じ政策でも通さなかったりするのは、「職員の色メガネ」「執行部の色メガネ」があるからでしょう。

 【行政が変われば議会も変わる】
 色メガネをはずして、執行部が改革したりフェアにしようというところは変化も早く、現状を変えたい職員もいます。行政が変われば議会も変わる!
 「めざせ!システム・制度改革」の時節到来です。多くの問題をかかえる「行政次第の住基ネット」の見直しも改革の第一歩となるでしょう。

 【議会改革】
 議会ではたらき、たたかう市民派議員は、議会運営の見直しにこぎつけたり、議会活性化の協議会を立ちあげたり、すでに、さまざまな「議会改革を実現した」実績があります。これからも法や会議規則を武器に議論しやすい議会をめざして「ルールを変えて議会を変えよう!」ではありませんか。

 【アザーズ市民派】
 さて最後に、「発展途上の市民派議員はどこへ行く?」 見えそで見えない未来を求めて、本音トークで語ります。
 弱者の言い分を持ち出しながら、土壇場では切り捨てる「弱者を踏み台、共産党」は許せぬ存在。加えて「オヤジ議員の色メガネ」や「ルールを納得しないオヤジの石頭」にもウンザリ。でもね、オヤジ議員たちは期数の多い人に服従するという経験則で、「オヤジもイジメで学ばされ」てるんですって。もっとバカヤローは、感性の鈍い男の市民派や選挙だけ市民派の「自称・市民派」。
 議会の現場では役に立たないけれど、かれらを足がかりに議会を変えていくことはできるでしょう。いまや「アザーズ市民派」がねらい目!? 議会で通したい重要課題に、ときには数も必要です。でも、ひとりでやっていると数の力が実感できないから、ホントに「数も必要か?」と自問自答。たしかに3人いれば各委員会をカバーできるし、ひとりより5人のほうが仕事もはやい。ならば仲間を増やしてパワーを高めようよ。「質も!数も!」必要だ! これからは市民派の違いではなくて、類似性を見つけよう。
 無党派・市民派の未来は、【アザーズ・市民派】が「キーワード」になっていくことでしょう。        (文責・みどり)

 《市民派議員アクションフォーラム》
  & 「議員と市民の勉強会」報告 

 「市民派議員アクションフォーラムに参加して」   
     三重県久居市・中村ふみ子


  私の住んでいるまちの議会、行政、議員の質は低いと市民はもとより近隣の町村の人にも言われている。1期目に、行政に本当に住民の声が届いているのだろうか。小さい声や弱い立場の人の声が届いているのだろうか?と感じていました。
 現状は以前からの、市民と行政との信頼関係が絶たれていることが根深く残っているように思う。要するに、「市民が行政に言っても何もしない」「特別な地位、(例えば自治会長)の言うことなら市民に対して公平性に欠けることでも聞く」。結果、行政に対して諦めの状態が続いています。
議員に対しては、利益誘導をする、自分たちの意見を通してくれる議員を求めている市民が多いことも肌で感じました。
 市民は、要望や不満を口々に言っていましたので、自分たちの権利として議会へ働きかけをしてはとすすめましたが、お任せ主義といいましょうか、目立つことはしたくないのが正直な意見でした。
 そのような中での、今回のフォーラム参加でした。自分の住んでいまちを少しでもよくするために、市民派議員のやることは、まず“行政の質を上げること”と明解な答えをいただきました。“自分の考え”を発言できる場所では必ず述べるということ、市民との情報の共有をはかり市民との協働で汗をかく、「まちをよくする為にあきらめない、めげない」。その精神を貫き通したいと思います。それができる場所にいるのですから、これをフルに使わないすべはありません。自分たちが住みたい町にするために、市民の皆さんも使ってください!
 前回の議会で、教育委員会の委員の承認についての人事案件に対して、反対の意を示しました。教育委員の選任について法令には「男女の人数、年齢、職業に偏りのないっように配慮する。そして、保護者も含
まれるよう配慮する。」となっています。けれども、行政が選出した方は、年齢に偏りがあり、また、現在、保護者を含む要件を満たしていないにもかかわらず、再任を求めるものでした。その後、「人事案件に反対するとは、何ごとか」と議長に言われ、本会議で言わず会派代表者会議で言うようにとの意見を聞き、遺憾。理不尽なことを認めず、それをパワーにかえて、尽くしたいと思います。
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 「わたしは何がやりたいのか?」
     兵庫県中町・高澤栄子


 たとえば予算。予算を編成し、執行する権限は首長のみで、議員には与えられていない。議員は提出された予算案を細かくチェックはできても、議決は、賛・否のふたつ。そして修正案の提案だけ。このように、同じ選挙で選ばれたとはいっても、議員のできることは首長に比べて非常に小さい。
  11.15「市民派議員アクションフォーラム」は、そんな悲観的(決してそうではないという逆説的な、というほうが正しいかもしれないが)な見方からはじまり、さらに議会の常識は市民の非常識。議会で決まるまちの暮らしのすべては多数決−−と続いた。

 じゃあ、わたしたち少数派である市民派議員は一体なんなの? どこに、存在価値を見出せばいいの? わたしたちは何をやりたいの? といった問いが投げかけられたのだ。
 さあ、そこからである。上野千鶴子さんの小気味よいコメントと、パネラーたちの実践に基づいた言葉の数々がポンポンと行き交っていった。で、ここで行き交った言葉を少し紡いでみた。
 =「問題は市民と協働で解決」「円満・円滑に過ごそうという意識を変える」「慣例・通例には従わない」「なぜなの? いちいち疑ってかかろう」「地域や政党のためにではなく、市民全員のために」「議会の仕組み改革を」「議会白書を作ろう」「見えない議会を見える議会に」「政策・施策の立案から意思決定に至るプロセスを透明に」「気の合わん隣と仲良くすることはない」「自治体の当事者は住民。わたしがわたしを治める。わたしは意思決定者であると同時にサプライヤー」「いけないという状態からいける状態に変えていく」等々=
 そうです。わたしのすべきこと、市民派議員だからこそできることが見えてきました。数で負けても大きな意味がある議員になる。わたしといっしょに、市民も職員も議会も自治体だって変わっていく。そんな議員をめざします。 
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恐るべし「む・しネット」
    八王子市・甘利てる代

 恥ずかしながら「議員と市民の勉強会」に参加するまで、『議員必携』という本があることを知らなかった。驚いたことに初版は昭和29年だ。議員じゃあないからというのはいいわけがましいが、身近にいる「市民派」と称する女性議員をはじめ、誰もその本のことを教えてくれなかった。少々ひがんで言えば、おそらく彼女たちはこの本は議員である自分には必読であっても、一市民には不必要なものであるとしていたのだろう。とはいえ、知ってしまった以上、市民の立場で、さらには「む・しネット」流に言えばこの本を「使いたおす」ことに意義があるように思うのだ。 本には、議員とは「住民の直接選挙によって選ばれ、住民全体の代表者として議会を構成し、議会活動を通じて住民の個別意思を総合して町や村としての意思を形成する任務を有する」とある。なあんだ、先の選挙であっちでもこっちでも、「市民と共に」や「市民の代弁者」などと、我こそが無所属市民派と声高に叫んでいた候補者の訴えは、特別崇高な思想ではなかったわけだ。
 そうだ、この本を使って議員チェック、議会チェックが論理的にできるのだ。これは発見だ。
 さて、11月15日の「市民派議員アクションフォーラム」では、パネリストの話に全神経を集中しながらも、なぜか一つの情景が思い出された。数年前の女性議員サミットの分科会でのことだ。女性議員がなぜ増えないか、どうすれば増えるか、いや数ではなく質が問題、などと意見交換が行われていた最中のできごとだった。
 「私は町議です。町議の報酬は安くて割が合わない。これでは女性議員は増えない。もっと報酬を上げるべきではないか」 声高に発言する女性議員。大きくうなずいたのは周囲の女性議員たちだ。明らかに議員ではない一般市民は、うんざりといった表情。この時、議員に対して抱いた違和感が思い出されたのだ。今にしてみればそれは不快感だった。議員報酬に見合う働きをしているか否かの自己点検もせず、公然と「安い」といい放つ無神経さ。議員報酬が市民の税金であるという基本が抜け落ちた感覚は、もはや上野千鶴子さんが言うところの「競争と法律のない社会こそ議会」にどっぷりとつかった古参議員そのものである。
 この時の救いは、パネリストの1人が次のように反論してくれたことだ。
 「確かに市議などに比べれば町村議の報酬は低い。だがそれは一面的な見方だ。わが町の多くの女性は、パートに出ている。その女性が町議と同じだけの収入を得ることなど到底不可能。そのことを忘れて欲しくない。報酬が低いから議員のなり手がないとは本末転倒だ」
 今フォーラムで上野さんが「議員報酬でメシを食えないようにし、議員が割に合わない仕事だと思ってもらうしかない」と言い、議員の既得権をできるだけ小さくしていくことが議会改革であると言った。そのとおりだと思った。パートタイマー議員が現実のものとなったら、前述の女性議員はどうするのか。
 フォーラムの中身は実に濃かった。圧巻はKJ法だ。KJ法のテーマ「自治体政治はどうして変わらないのか?」「市民派議員はいかに闘うのか?」のまとめはあくまでも分かりやすい。議会をズバリ「ルールを決める立場なのに、法律・規則を知らないという議員たち。(中略) 議員間の議論の場はない。苦労して執行者とディスカッションもどきをやっている。(後略)」と厳しく切る。そして市民派議員の闘い方を「数で負けても議論で負けるな」と叱咤する。文章の活きの良さは天下一品。加えて、参加した5人の実践に基づく分析と解決策は説得力を持つ。この文言に出会えたことは収穫だった。
 翌日の「議員と市民の勉強会」では文字通り「法律をつかいたおす」ことの意味を目の当たりにした。2人の講師の周到に準備されたコメントに、ただただ感嘆。このような勉強会を積み重ねてきたという「む・しネット」に「恐るべし」実力を見た。また勉強しに行きます。
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「議会は待ったなしの生モノだ!」 
     福井県敦賀市・今大地はるみ


 11月15日の「市民派議員アクションフォーラム」の余韻覚めやらぬまま迎えた16日の「む・しネット」主催の「議員と市民の勉強会」は、「議会運営・議会改革で困って(つまづいて)いる問題」と「私が議会で解決したい問題」がテーマ。
 参加者は18名。初めての参加者もいることから、まず講師のみどりさんが「議会の原則・基本」についてレクチャー。ここをしっかり押さえておかないから、議会は迷走するのだ。原則でつまづいている3人の参加者それぞれが、概要説明1分、講師のコメント5分で課題の検討が始まった。
 つづいて、講師のともまささんによる「発言力を高める」ためのレクチャーを〓資料に基づいて受けたあと、「数・会派の横暴」「委員会の同時開催の問題」「違法!質疑と質問が一緒」「議案の理解」「質疑の質の向上」など、どこの議会、どの議員にも当てはまる課題が目白押しのなか、経験と法的根拠による講師の的確なコメントが続く。
 午後からは、会場が替わる。大急ぎで後片付けをし、荷物(なんたってひとりあたり5〜6キロ)も移動。次の部屋は1時にならないと開けてもらえないのでドアの前に、全員の荷物を積み上げ、お弁当を手に腰を下ろせる場所を求めてウロウロ。幸いポカポカ陽気なのでお向かいの資料館の庭で、お弁当と一緒にピクニック気分も味わえた。そのせっかくの楽しい気分を台無しにしたのが「ウィルあいち」の対応。いつまでたっても使う人の立場より、会館側の規則と利便性ばかり主張する「ウィルあいち」に抗議を申し入れたけれど、『何処も同じ公共施設の使いにくさかな』とおもわず付け句の今大地かな・・・。
 午後も引き続き、《テーマ1》の残りを検討した後、《テーマ2》の「私が議会で解決したい問題」にはいる。ここでも参加者による状況説明と講師のコメントで検討が続く。
 まず質問や討論のコツ、圧力への対応策など市民派議員ならではの解決方法が講師から示された。個別の政策実現を獲得目標に挙げる参加者が多く、公民館や第3セクターなど「施設の管理・運営問題」から、教育・原発・産廃処分場問題にいたるまで各地域、各自治体の現状が生中継され、同じ問題をかかえる参加者からも、コメントが飛び交った。なかでも小規模多機能ホームを実現するために活動を続けている市民会員の説明には、深い感銘を受けた。
 今回は、前日の「市民派議員アクションフォーラム」とリンクしているため、中部地方だけでなく、兵庫県や埼玉県、鹿児島、八丈島と全国各地の情報が凝縮した中身の濃い勉強会となった。
 「勉強会ではなるほど、帰るとまた問題が山積み」「頭も荷物もいっぱいで帰る」「新鮮!」「この風をもってかえる」など参加者の感想に、講師のみどりさんからは「議会は待ったなしの生モノだ!」と最後のコメントをいただいた。
 なんといっても、テーマごとに目標を設定し、要点整理をさせてくれた宿題が、今回もっとも「おいしいさかな」だった。
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 厳しいのは議会の現場。実力つけなければ。 
     三重県松阪市・海住恒幸


 「厳しいことをいっぱい言ったと思うけれど、傷をなめあっていても力にならないからね。本当に厳しいのは、参加者それぞれがこれから帰っていく議会の現場なのよ」。
 11.15市民派議員アクションフォーラム「政治を変えるのは私たち」と、16日の「議員と市民の勉強会〜おいしい魚を釣って食べよう!番外編」という講座の終了にあたって、みどりさんはそう締めくくった。本当にその通りだと思う。
 わたしは、議会改革と、市民参加の政策づくりを掲げ、この春の選挙で市議会議員にさせていただいた。議会に出てみて真っ先にヘンだと思ったのは「異議なし」だけ叫んでいれば終わってしまう議員の姿。議長の「質疑はございませんか」に対して「なし!」という大合唱。これではまるで議会は議論をする場所ではないではないか。
 しかし、わたしには、発言する義務と責任がある。そこで、「決して『異議なし』とは言うまい」と心に決めた。議長がせっかく「ご異議はございませんか」と聞いてくれるのだから、『異議あり』と答えよう。しかし、本当にそう答えると、議長はうろたえ、議場からはヤジとざわめきが起きた。5月の初議会の冒頭だったのだからなおさらだったのだろう。
 黙っていたらありとあらゆる議事が自動的にスー、スーっと通っていってしまう。そんな状態をずっと放置し、省みない議員たち。そんな議会の常識に対し、市民の常識からすれば「そんなことではいけないだろッ」と思う。
 そこで、「これより質疑をおこないます。質疑はありませんか」と聞かれれば、ほぼ毎度、『議長!』と叫んで発言を求める。質疑に参加できる機会はすべて活用する。もちろん、一般質問は毎回である。5月の初議会に始まって、6月、9月の定例会、11月の臨時議会。ずっとこのペースを繰り返している。 しかし、数の論理による「負け」が込んでくると、むなしさも味わう。なんだか、こちらが質疑と反対討論をおこなうこともすっかり織り込み済みのようになってしまって、ひとつのセレモニーと化してはいないだろうか。つい、間の抜けた質疑もやってしまう。先日、委員会付託議案の委員長報告があった。いわく、「◆◆などという反対意見がありました。採決の結果、賛成多数で可決すべきものとなりました」。そこで、委員長報告に対し、わたしは「委員長報告によると、反対意見はあり、賛成意見はなかったということだ。なのに、採決の結果は賛成多数。それだけの報告では論理的整合性が合わないのではないか」と噛みついてみた。いささか無理も承知の上のことだった。が、議案賛成に挙手するなら、反対意見に対する賛成意見を述べてほしいという意味を込めたものだった。すると議場では、委員長に、「『報告の通りであります』と答えろ」とささやくように助言する声が聞こえてくる。委員長答弁はしっかり、その通りだった。
 わたしたち議員は、当局の側が答弁書の棒読みなど質問の意図に反する無機質な答弁をすれば納得できない。しかし、議員の側がそれをそっくり真似るようなことはすべきではないだろう。
 ともあれ、現状の議会にはさまざまな議会の常識がまかり通る。多くの議員は、それを間違いであると指摘し、小ボスたちの機嫌をそこね議会権力からほされてしまうより、サイレント・マジョリティの道を選んでいるように思う。議会は、一個一個、独立した個によって構成されてしかるべきであるのに、まるで自由にモノの言えない、ひとつの会社組織であるかのようだ。市民に対して責任を負うことより、自らの議会内での保身を考える小心の集合体であるとさえ思えてくる。
 選挙で選ばれるとはどういうことなのか、議会でひとりひとりの議員が果たすべき役割とは何かなど、共通した言語で語り合うことのできない議会。行政は首長が変われば変わることは昨今の知事たちの発信を見ていて実証済みだし、市民の参画も政策提言などにおいて実績をあげている。そんななか、議会だけは変化から取り残されているように思う。
 みどりさんが言うように、議会は厳しい現実の世界。そこでたたかっていくのだ。
 16日の「おいしい魚を釣って食べよう!番外編」の感想でお話したように、わたし自身、5月の初議会以来、臨時会と定例会を2つずつ経てきて、自身の中間的な課題も浮かび上がってきている。「いままでの議員とは変わっている」と物珍しく見られることではなく、実力を兼ね備えなければならない時期に差しかかっている。
 いみじくも、知正さんが、「能力の有無ではなく、実力を付けることだと思う」と言っていらした。その言葉に励まされた。
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 「議員と市民の勉強会」に参加して
     東京都八丈町・奥山幸子


 私は「む・しネット」の会員ですが、勉強会には初めて参加しました。会場となった愛知県女性総合センター「ウィルあいち」には、会議室、図書室、フィットネスクラブ、レストラン、宿泊施設、託児所が整備されていました。県が女性の生涯教育や社会進出を支援しているのだそうです。島にはこうした施設もこれに類するものもないので、そのことにまず感動し、うらやましいと思いました。
 セミナーでは、参加者(議員16・市民3)が抱えている問題について、何が問題でどのように解決したいのかを議論しました。「議会改革に関すること」で午前中いっぱいかかり、午後になって「それぞれが抱えている具体的課題」に移りました。私は、いま町で起きている最大の問題、産業廃棄物処分場建設をめぐる諸問題を取り上げました。与えられた時間は1テーマに6分。「2分で説明・4分の討論」では、核心に迫る議論は出来ませんでした。でも、問題にすべき点ははっきりしたように思います。宿題が出ていたことで、参加者のテーマが要約されていて理解しやすかったし、持ちかえって自分の課題と比較検討することもできます。内容が濃いセミナーだと感じたのも、こうした工夫があったからでしょう。
 前日のフォーラムからの参加で、私は宿泊もしたので、参加した議員の方々の苦労話や武勇伝を、大変興味深く聞くことができました。その中で、驚いたのは、議員の報酬が高いことです。八丈町では、月20万円で手当てを入れても年間300万円に満たないですし、町なので政務調査費はありません。一方、人口数十万レベルの市では、月70万以上の報酬に加えて月数十万の政務調査費が支給されるとのことでした。これでは、議員になりたい人がでるのは当然です。仕事もしないで数の力に物をいわせる議員がなかなか減らないのも合点できます。
 次に驚いたのは、セミナーのテーマにもなっていましたが、参加した議員の所属する議会の多くで、「代表者会議」なるものが開かれていて、重要なことが本会議でなくこの会議で決められているということでした。無党派議員は会派に属さないので代表者会議にも議会運営委員会にも入れない。自治体が発行する議会だよりでも、多数を占める会派が紙面の多くを使っているそうです。本会議での発言時間も大幅に制限されているのが実情とか。無党派市民派議員の方々のご苦労がよくわかりました。でも、こうした制限の中で力を発揮できれば、それはインパクトがありますよ。逆手にとって頑張っていただきたいと思いました。ちなみに、八丈町議会には会派はないので、本会議で個人が自由に時間の制限を受けずに発言することができます。でも、遅れている点も多いので、他地域の事例を参考にしながら解決していきたいと思っています。 講師の寺町知正さん、みどりさん、世話役の安立さん本当にお疲れ様でした。多くの議員、市民の方々に出会えたことも大きな収穫でした。
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「8年分をいっぺんに学んだ!
  できれば新人の時に参加したかった
    『議員と市民の勉強会』」 
          鹿児島市・小川みさ子


 はっきりいって驚きました。
 愛知・岐阜・三重周辺の方たちの熱意。私たちも議員を中心とした学習会をしていますが、ややもすると、ぐちや傷のなめ合いのような、ガス抜きの場になってしまっています。それに圧倒的に違うのはともまささん&みどりさんがいないということ。 議員の経験のあるおふたりが学びきった体験も交えて伝えてくれる勉強会なんて、全国そうそうないでしょう。どなたかが「厳しくて楽しい会でした!」と感想を述べられましたが、まさにその通りでした。
 私は、8年目の議員です。1期、2期とそれなりに成果の上がったことはあります。費用弁償を減額したり、議員だけへのお茶くみを廃止したり、議会運営委員会の傍聴の全面公開にしたり、議会だよりにそれぞれの議員の表決態度が載るようになったりなど等・・・。特に議会改革に力を注いできました。市民がなんの組織もなく、市民の側に立ち、フリーハンドで暴れる市民派に期待していることを肌身に感じ、期待票で2期目はさらに上位当選はしたものの、議会改革の闘いが多く、政策実現に着手しにくい。それは自分に責任があったことに気付いたのです。目も当てられないほど恥ずかしいことですが、「自治法」を眼中に入れずに、議会改革に臨んでいたという議員としては致命的なことでした。
 今までの7年半、私はイジメと闘い、また理不尽なイジメに逢っている議員を全精力で助けて来ましたが、それは負けん気の強い私の行き当たりばったりの反撃、こちら側が理不尽であるという理由で逆に圧力をかけてみたり、紙爆弾を配布したり、とにかく、負けてなるものか!と闘い続け、言い続け、それを見たマスコミが後押しをしてくれて、たまたま勝ち抜いてこれた!ということだったのです。
 そんなことでは私のように気丈でないと議員にはなれず、その私さえ、SOS!の発信をしているようじゃ議員のなり手はない!  「地盤・看板・かばん」がなくたって、誰でも議員になれると思ってもらうのが私の一つの存在意味だとも思っていたので、みどりさんたちのアドバイスは有難かった。そうして、教わった通り、法を遵守すること!こそが鹿児島市議会の正常化への一歩!という一点張りで闘った。
 さて、なぜ議会改革? それは議員が市民感覚とズレているという私の市民感覚でした。私は革新派の無所属議員ですが、当選して、もし共産党から同じ会派に・・・というお誘いを受けたらなんと言ってお断りしようと真剣に悩んでいました。ところが、共産党議員は開口一番、「なにも、あなたがこなくても、鹿児島市議会は僕たちがちゃんと、市民の声を届けているんだよ。」と。驚きましたが、それからの微に入り、細に渡るイジメで、既得権を守りたいばかりの保革の利害の一致。「市民派」は共産党にとっては単なる商売仇なんだと気がつきました。
 そして、このたびの勉強会で、きっぱり、「共産党は革新ではない。市民派を天敵のように扱う!」とおっしゃた発言で、私はスッキリしました。革新と思うから期待もするんだ! 幻想もこだわりも取れました。
 会派である必要はない。党の弊害など実感でき、「む・しネット」が政党に所属していない議員や市民を対象にネットワークしている意味も理解できました。一人ひとりが自立して、市民にとってどうか?と問いながら活動していかなくては、政党の支持、政党の指導、企業や組織の利益に顔も目も向き、誰のための政治なのか?になってしまう、ということも納得。自治法や議員必携を片手に頑張れば、ひとりであっても数人分、頑張れたうえに議会を変える力になれると確信できた。ゆくゆくは私が学び、鹿児島でもこのような厳しくて楽しい勉強会を開いていけたら!と思いながら名古屋空港を後にした。
 今回の勉強会で私ほど刺激を受け、カツの入ったものはいないんじゃないかしら?というくらい、迫りくるものがあった。
 出逢いに感謝!