『む・しの音通信』No.36
(2004.4.30発行)


『市民派政治を実現するための本』ができた!
          愛知県日進市・ごとう尚子


 2003年11月15日に催した「市民派議員アクションフォーラム」の本ができた。「私と一緒に先を見てみない?」というみどりさんの誘惑がフォーラムと、それに続く編集作業の始まりであった。「先」というのは他でもない、「地方自治のこれから」のことである。
 地方自治の要素のうちでも「住民自治」即ち「市民の政治」の展開についてどう考えるか、またその実現にはどのような理論と実践が必要なのか。共編著者に加わったことで、これらのテーマと向き合う10ヶ月となった。 この編集作業中、日進市議会は3月定例会で、市民が3年という時間をかけて協働のお手本のように丁寧につくり上げた「環境まちづくり基本計画」を否決した。しかし私は、「市民の政治」というテーマで10ヶ月過ごしていたお陰で、この暴挙に対していたずらに悲観したり、感情にまかせて憤ることはなかった。日進市議会での出来事は、まさに、「市民の政治」に抗う「形骸化し、制度疲労を起こしている議会」の断末魔の声だと分析できた。逆にこの先に、閉塞から抜け出す光を見つけることができたのもフォーラムに続く、編集作業の成果だったと思っている。
 本の構成は第1部で現在の議会制民主主義から「市民の政治」へいかに変革していくかについて、現状の分析や問題点の指摘、そして理論含めて発題し、議論をした。第2部では、参加型の民主主義へはどう変革したらい
いのか。その方法や提案が非常に具体的に議
論されたのだが、当日のフィーバーぶりが伝われば何よりである。第3部、第4部では「議会改革」と「市民派としての闘い方」について、市民派議員の実践に基づく貴重な発言を収録している。議会運営の問題点から法の解釈、そしてすぐに役立つ実践的な手法まで「使える本」になった。
 本からエキサイティングだったフォーラムの様子が伝わることと思う。当日、市民派市民、議員に加えて研究者としての上野さんがそれぞれの立場から「これから」を展望して繰り広げた議論はのべ10時間に及ぶ。その意味では、他には類のない、読むほどに味わいのある本だと自負している。
 フォーラムが本として出来上がるまでにはいろいろな努力とエピソードがあった。
 一つ目は、みどりさんによるテープおこし、編集、校正の作業である。全国の市民と市民派議員に「情報を新しいうちに伝えたい」という情熱に裏打ちされた作業には恐ろしいほどの集中力と迫力があった。
 二つめは、上野千鶴子さんが本の共編著者となって作業を共にしてくださったこと。そして巻頭に「私が〈権威〉にならないために」の講演録を収録できたことである。
 市民派議員は全国に点在している。本の発行によって、この点と点がネットワークされたらうれしい。そして、政党や組織とは関係ない無党派・市民派議員だからこそ働くことができる「市民派政治」へのステップとなるようこの本が全国に届くことを願っている。
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『市民派政治を実現するための本』を読んで
       東京都八王子市・甘利てる代


 『市民派政治を実現するための本』(上野千鶴子・寺町みどり・ごとう尚子共編著・コモンズ刊)の、冒頭に収められた上野千鶴子さんの講演録「私が〈権威〉にならないために」を読んで、まずショックを受けた。上野さんは権威と権力、影響力について理論的に解明。そして、ただの市民から議員になった人についてくる「権力」は、人ではなくポストにつくるものであると前置いてから、ズバリ言う。引用させていただく。
 ――他方、権力のある人があたかも権力がないようにふるまうのは、これは欺瞞です。現に権力の格差があるのに、それを認めないのは、偽善であり欺瞞です。「私は市民とは平場の関係です」という議員さんとか、「子どもたちとは友達みたいな関係です」という教師がそうですね。――

 今までこんなに明解に、議員と市民の立場を言い切ったことばを聞いたことがない。それまで感じていた議員というものへの違和感が解き明かされた思いがした。たとえ「市民派」を名乗っていても、議員には権力があり、特権があるんだ。それを自覚せずに「平場の関係」などという幻想を押しつけてはならない。このくだりを読みながら身が震えた。その上で、議員に集中している権力や特権をどう切り崩し、分散させ、参加型の民主政治を実現させるか。一方でそれを実現させることができるのは市民と市民派議員にほかならない。こんなふうに講演録では上野流「権力解体論」がいっそう迫力を増していく。
 上野さんの講演は2001年12月に、寺町みどりさんが企画して実現したものである。みどりさんは上野さんに口説かれて、講演後『市民派議員になるための本』(学陽書房)を上梓し、2003年11月には、この本を生み出すきっかけになった「市民派議員アクションフォーラム」を開いたのだ。
 フォーラムに参加したひとりの市民として発刊を待っていた。延べ10時間という長いフォーラムを終えて、あまりの内容の濃さに「市民派政治」の真髄を探る討論を掌握し切れずに呆然とする自分がいたからだった。
 じっくりと議論を反すうしたい思いが募っていた。今、本を得てフォーラムを再び体験できる喜びに浸っている。
 さて、私がフォーラムに参加した理由はただひとつ。「議員でもないただの市民に、政策実現の道はあるのだろうか」という問いを立てたからだ。
 その答えはこの本の中にある。
 本著は、上野さんの講演を序とし、「自治体政治を変えよう」「自治体政治を変えるために何ができるか」「議会改革をすすめよう」「市民派議員はこう闘う」の4部で構成されている。市民派議員として先駆的役割を担う、山盛さちえ、ごとう尚子、今大地はるみ、白井えり子、寺町知正の各氏が登壇。各々の実践を語り、闘い方を指南し、市民自治の未来図を明らかにしてくれた。
 また、章と章の間に「KJ法」で課題と展望を明らかにした資料がつく。この文言がまた一読の価値あり。市民とはなにかに始まり、NPOの現状と課題、議会改革の手法、市民参加とは・・・などなどと実に興味深い。
 市民派議員も市民も、どうすれば自治体政治を変えることができるのか、本書にはその手法が詰まっている。必読である。
 フォーラムに参加した者として忘れられない場面がある。ある市議が「情報が自分の元に届かない」と嘆いた時、上野さんは「悪いけど勉強不足じゃあないですか」と即答した。寺町みどりさんは「議員は高い報酬をもらっているんです。ご自分がいくらの仕事をしているか知っていただいて、議員はそれに見合う仕事をする。(略)」と言い切ったのだ。私も同じ思いだ。市民派議員と名乗った時、それに付随してくる錯覚(甘え)を自覚しなければ、真の市民派とは言えまい。
 この本は最後の議論で「議会はいらない」と新たな、目からウロコが落ちるような提言をしている。市民自治を成功させ、民主主義とは何かを希求していくと実現できるのか。道すじを知りたい。フォーラムの第2弾(本書の続編)を期待する。

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 「腐ったサカナは食べられない」  
      愛知県長久手町・小池みつ子


 
計画段階から、環境保全、県の財政負担、市民合意など常に問題点が指摘され、10年以上迷走し続けた愛知万博『愛・地球博』が、とうとう来年3月開幕する。
 主会場が瀬戸市「海上の森」から長久手町内の「愛知青少年公園」にとつぜん変更され、今にもくずれそうに不安定な「万博みこし」がこの町をめがけて突進してきた。「半年で1500万人という規模は町の環境容量を大きく超え、環境アセスも対策も全く十分でない」と異義をとなえる私たちに、行政の各種委員会に名を連ねる大学教授から「腐ってもタイというじゃないですか。いっしょに楽しみましょう」というメッセージがメーリングリストで届いた。「腐ったものなど私たちは頂きません」と返信。

 あれから4年、後々の赤字は必至と言われるリニアモーターカーの東部丘陵線も工事が
まもなく終る。名古屋からの地下鉄と接続し万博長久手会場につながるが、その輸送能力は、地下鉄が1時間当たり3万人に対し、リニアは4千人。また町内の来場者駐車場は幹線道路に接し渋滞の影響は避けられないなど、ずっと指摘してきた問題点はそのままで万博を取り巻く状況はさらに深刻である。
 そんな中、「万博は千載一遇のチャンス」と言う町長が3月議会に提出した、わが町の今年度予算は、1億円かけ町内に万博サテライト会場をつくり(だれが来るの?)、1千万円で地域の古い山車を改修し万博会場に出し、万博でボランティアの人が各地から来るからと「まちづくりセンター」を急きょ建設するなど、万博一色で、一般会計予算規模も過去最大約150億円(人口4万人)。
 さすがの保守系議員も「このままでは問題」と息巻いていた人が多かったが、結局いつものように予算は可決。私は「万博後のまちづくりを見据えた施策、予算を組むべき。町民のための視点のない今回の予算には反対」と反対討論した。
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「私の市民論」:『Volo』4月号より転載
(大阪ボランティア協会発行

個人的なわたしの、市民「論」
          寺町みどり

●アリシアさんとハルちゃんのこと

 「妊娠8カ月の外国人女性と3歳の男の子が路頭に迷っている。岐阜県に住んでいた人だけど、受けいれ先を探してもらえないだろうか?」
 3年前の7月、アジア女性を支援する活動をしている友人から電話があった。 「ほんとにどこにも行く所はないの?」 アリシアさんとハルちゃんという名の母子は、パスポートもビサもお金もなく、もう何日もロクに食べていないという。ハルちゃんは日本人を父とする無国籍児だった。わたしは迷わず母子を受け入れることに決めた。翌日、わが家にやってきたふたりは疲れはて、ハルちゃんはやせておびえた目をしていた。8カ月と聞いていたが、知人の助産婦さんに診てもらうと「もういつ産まれてもおかしくない」という。紹介してもらった公立病院の女医さんは、アリシアさんの事情を了解した上で、「この状態で断ったらどこにも行くところがないでしょう。ここで産んでください」と言われた。 平行してメールやファクスで友人や知人にカンパや生活用品の支援を頼んだ。 ハルちゃんは、日一日と元気になった。笑顔のかわいい男の子だった。ハルちゃんは、県女性相談センターに頼み込んで「緊急保護」ということで、出産がすむまで預かってもらえることになった。「超法規的」な唯一の措置。最初に相談した県庁の責任者は「どんなケースにも対応します」と言っていたけれど、けっきょく公的支援、扶助、措置も含めて、救済する制度が何もないと回答を受けていた。町役場や警察にも相談したが、法律も条例も皆無。法の谷間にいる彼女たちはそもそも、いまここに、いないはずの存在だった。
 どこへ相談に行っても「母子はきわめて幸運なケース」と言われた。じょうだんじゃない。他の無権利状態の人たちは、どこでどのように暮らしているのか。外国人を生かさず殺さずはたらかせ、法的に存在しない人たちに支えられて成り立っているわたしたちの社会。あまりに冷たい法制度やシステムの不備こそ、大きな問題だと、わたしは憤りを感じていた。
 8月、赤ちゃんはぶじ産まれた。解決できない問題は山積していて先は見えなかったが、ひとりひとりが少しずつできる力を出しあって、彼女たちを「いまここで」支えた。9月、たくさんの人の善意に支えられて3人は国に帰って行った。迎えが来るまで、彼女とわたしは抱きあってすごした。「ずっとここにいたい」という彼女を「またいつか会おうね」と送った。ハルちゃんの笑顔がまぶしかった。わたしは彼女を救おうと思ったけれど、救われていたのは、わたしだった。

●「無党派・市民派とはなにか?」−上野さんへの手紙

 同じ夏、上野千鶴子さんが、ひょんなことからわが家にあらわれた。その夜、上野さんに「無党派・市民派ってなあに? わたしにわかるように伝えて」と問われたが答えられなかった。数日後、とりあえずお返事を書いた。
 「わたしは5歳のとき、社宅でエリちゃんという友人と遊んでいて、日本人の友に取り囲まれ『ちょーせんかえれ!』と石をぶつけられた。男の子も女の子もいて、悲しいことにみんなわたしの友だちだった。わたしはえエリちゃんをとっさにかばい、あちこちから飛んできた石はわたしの背中に当たった。もろともに差別され、怒りにふるえ、でもわたしたちから投げ返す石も、投げ返すどんな言葉もなかった。わたしたちはただ抱きあってじっと耐えていた。
 ・・・・・・そのときわたしは石を投げる側にはけっして立たないと思ったにちがいありません。なぜなら、わたしはこの記憶を忘れてしまったけれど、強い側、差別する側にはけっして立たないという一念だけは、なぜか忘れませんでした。今日までのわたしの生きかたや、市民運動は、すべて弱者の側から強者の側に発する問いであり、投げかけであり、異議申し立てでした。わたしは力を持たない弱者のまま、十全に生きようとすることにより、強者の論理を突き返してきました。
 ・・・・・・『無党派・市民派』は、女たちが暮らすそれぞれの場でかたちをかえ、拡散し、とてもひとつにはくくりきれません。しいていえば、力を持たない『弱者の論理でする政治』でしょうか。
 わたしたちの、政治のかかわり方が新しいのは、利権や既得権を持つことを望まず、ただ弱い立場の人に共感し、当事者としてその思いを実現したいと働いていることです。わたしたちは、議会で地域で、強者の論理をまずつきくずし、弱者の論理を、ゆずらず主張します。わたし自身は、<権力・権威>にかわる、新たなどんな<ちから>もほしくありません。とりあえずいまある権力を、強者の論理を、生きているあらゆる場面で<無化>していきたい。その先にあるものは、少なくともいまよりはフラットな、いまよりはましなものではないでしょうか。
 ・・・・・・わたしは人生をかけて、ぶつけられた石に対して石を投げ返すのではない、やられたらやり返すのではない、弱者が投げかえすことのできる言葉を探しています。わたしはいまの政治の、すべての強者の既得権を疑い異義を申し立て、支配され差別される側からの『弱者の政治』をつくりたい。」と。

 ●「わたしのことはわたしが決めたい」すべての人が市民

 わたしは、家族から「いらない子」と言われ、存在を否定されて育った。たったひとりの友人だったエリちゃんとは幼いころに引き裂かれるように別れた。アリシアさんとハルちゃんは、たしかに存在し、わたしといっしょに暮らした。3年前の夏、わたしは、自分の子ども時代を思い、在日のエリちゃんを思い、アリシアさんと子どもたちのことを思い、市民ってなんだろうと考えつづけた。
 その年の12月、わたしは一冊の本を書いた。上野千鶴子さんプロデュースの『市民派議員になるための本』(学陽書房・2002)。この本のなかで「市民とはだれか?」という問いに、わたしはこう答えている。
 「自治体の当事者は、すべてのわたし。この本では『わたしのことはわたしが決めたい』すべてのひとびとを『市民』と呼ぶことにします。」
 幼かったわたしも、エリちゃんも、アリシアさんもハルちゃんも、みんな「市民」だ。彼女とわたしをわけたものはなんだったんだろう。彼らとわたしをわけたものは、なんだったんだろう。
 わたしはいま、2冊目の本を書いている。『市民派政治を実現するための本−わたしのことはわたしが決める』(発行:コモンズ)。この4月刊行予定で、上野千鶴子さんとごとう尚子さんとの共編著である。「市民派政治」は、わたしが問いつづけたものへの、ひとつの答えのような気がする。
 ひとの唯一のお仕事は、ただ「生きる」ことだと思う。人を人として生きさせない政治があるなら、変えるべきは、人ではなく政治である。

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 「ある市民型選挙に密着して」
          岐阜市・高瀬芳


 4月に実施された合併後初めての山県市議会議員選挙に、「議員と市民の勉強会」でいつも講師をお願いしている寺町ともまささんが立候補し、上位当選した。今回の選挙について、ともまささんと、活動を中心となって支えたみどりさんにインタビューした。(発言者:T−ともまさ、M−みどり /聞き手:高−高瀬芳)

●選挙運動期間前の準備

高−今回の選挙の準備は、いつからどんな形 で始めたのか?

T−まず、昨年10月に「選挙公報の発行を求める」直接請求運動を始めた。有権者に候補者の政策を知らせるためだが、政策のある候補者が有利になるための戦略でもあった。

M−直接請求の途中に、市長が自主的に選挙公報の条例を提案、議会も可決した(笑)。結果的に、「選挙公報の発行を実現した」という実績もつくれた。

T−今年1月からは、ひんぱんに全市を対象に、「新しい風ニュース」を新聞折込み(全紙)した。

高−一回ニュースを発行するために、どのくらいの時間をかけたのか?

T−調査やヒアリングは、過去の経験もあり短時間で済んだ。ワープロでの文書作成は半日から1日程度で終わった。今回は、ニュースのインターネット同時掲載にも力を入れたので、その準備に時間がかかったときもある。たとえば、市の除雪事業に関する記事を掲載したときは、電話回線(ダイヤル・アップ接続)でのインターネット利用者が地図を見るのに待たされないよう、地図を地域別に細かく分割するなどの作業を行ったので、2日かかった。インターネットでのニュース掲載は好評だったようで、市の職員からも「よくできました○」というおほめの手紙をもらった(笑)。さらに市の事業として、来年秋から全市の希望世帯に、インターネットの高速通信環境が整うので、いっそうやる気も出た。

高−「新しい風ニュース」ではどんなテーマを扱ったのか?

T−まず、選挙において自治会・町内会推薦はできないこと、事務所での炊き出し、飲食物の提供や差し入れは、公職選挙法違反であることを知らせ、従来型の選挙をおこなってきた他の候補者陣営と、何も知らないがゆえに従来型の地縁血縁型選挙に走らざるを得ない新人候補の動きをけん制した。また、事前運動と選挙運動の違いも詳しく説明した

M−支持者に「違反じゃないの」と言われれば、候補者も違反行為はできなくなるでしょ。
T−一方で、市の新年度予算や事業、市政の現状などを紹介し、それに対する自分の意見を載せた。基本姿勢として、新しい選挙区の人たちに、「寺町ともまさ」のイメージを伝えることを念頭においた。市民に「おもしろいね」「いいこと考えてるね」という印象を持ってもらえたと思う。じっさい選挙カーで回ってみると、「いろんな情報をニュースで教えてくれてありがとう」という反響をたくさんもらった。「新しい風ニュース」は思った以上に市民に読まれていた。

高−たしかに私自身も、選挙カーに同乗したり、電話で市民の方とお話すると「『新しい風ニュース』を読んでいます。がんばってみえますね」とか「いろいろ勉強させてもらっています」というコメントをいただいた。

M−以前、選挙直前に「寺町は何でも反対している。そんな候補者が議員になったら何も事業が進まなくなる」というネガティブキャンペーンを組織的にされたことがある。でも今回は、考え方をダイレクトに市民に知らせることで、他候補にそういう余地をまったく与えなかったと思う。ぎゃくに「寺町はぜったい大丈夫」とあちこちで言われ困った。

高−ニュースの他に資料も届けたそうだが?

T−2回届けた。1回目は市政・まちづくりに対するアンケート、2回目は自分の政策やスタンスを説明する資料を届けた。政策説明の資料は、地域ごとの懸案である課題が異なるため、地域別に作った。また、特定の大きな問題を抱えた地域に対しては、さらに地域ごとに資料を追加した。今回、一般的なリーフレットはあえてつくらなかった。

●準備中の手ごたえ

高−まちづくりアンケートや資料を届けた反応はどうだったか?

T−アンケートはまだ継続して回収中でまとめる段階にはない。途中で寄せられていた意見は、公約や演説の内容を決めるのにおおいに役立った。アンケートやニュースに対する熱い反応から、選挙直前になってやっと「まず落選はないだろう」という感触が持てた。何しろ合併した選挙区ではだれもが「新人」。

高−今回は、合併して中心からはずれた周辺地域の新人も高得票率で上位を占め健闘した。他の候補者への市民の反応は、選挙前に感じたか?

T−他の候補者に関しては分からない。ただ結果から見れば、現職にきびしかったのは確かだ。最低得票ラインは700票前後という見方もあったが、500票前後というラインを私は予想していて、予想は当たった。多く得票する候補者と、低いラインで争う候補者に二極分化した。

●選挙期間中の方針

高−選挙運動に参加して驚いたのは、街頭演説の内容が毎日変わること。初日は「立候補の決意」。2日目は中心からはずれた地域に対して「支所の職員が減らされていること」。中心地域に対しては最大の問題である「産廃不法投棄問題、産業廃棄物処分場のこと」。そして3日目は「若者定住促進のため、子どもの医療費は15歳まで無料にすること」。個人的にいちばんインパクトがあると感じたのは、5日目の「現職議員が選挙費用(公費負担)として候補者一人に対し約60万円を税金から出すことを決めたうえ、選挙直前の3月議会で議員報酬を35%もアップさせた」という演説だった。6日目には議員としての情報の扱い方について述べ、最終日は、これまで演説した内容の紹介と投票依頼だった。演説の内容は、いつ決めたのか?

T−ニュースを作るときに、選挙でどんなテーマを取りあげるかは意識していた。アンケートでもそういうテーマは取りあげている。しかし、最終的に演説のテーマや内容を決めるのは直前で、だいたいが前日。じっさいに演説してみて、聞いたスタッフの感想や、時には演説を聞いてダイレクトに寄せられた市民の声も柔軟に取り入れて、有権者に分かりやくなるよう心がけた。

M−街頭演説は、初日に決意表明をし、最終日に投票依頼。その間は個別の政策を述べるという基本的な組み立てはある。今回、最初はだれもが納得しやすい政策からはじめ、後半に他候補への批判を含むようなきびしい内容を取りあげるというように、だんだんグレードアップしている。内容も濃い演説を7日間で508回もやったことは、やはりすごい。

T−原則は、同じところで同じことを言わないということ。それから、やはり地域課題は、住民の皆さんにとっていちばん重要なことだから、かならず取りあげる。その他に、聞いた人が「ふーん」と納得できるテーマを入れた。だから中盤以降は、1日に数バージョンを場所で使い分けた。終盤は、新しい市でもあり、新人の当選を願って、(選挙では初めて)現職批判の演説に力点を置いた。

高−今回、周辺地域を多く回ることを決めたのは、初日の反応を見てからだったと?

T−そのとおり。当初は演説も「1回3分、1日50回程度」を予定していた。が、じっさい初日に動きはじめてみると、合併して一緒になった旧伊自良村・美山町の反応がとてもよかったので、きゅうきょ1回の演説を少し縮め、1日70〜80回の演説をできるだけ多くのところでやる方針に変えた。

M−今回の市民の反応のよさは、議員選挙というより、首長選挙のときのようだった。1日目から、外に出てきて演説を聞いてくれる人たちが多かった。

T−でも、反応のよいことが、かならずしも得票につながらないということを過去に経験しているので、気は緩めず演説に力が入った。

●選挙運動のよかった点、反省点

T−今回の選挙は、人のネットワークを介して市民とつながる形にウェイトは置かない、組織や団体に頼らないと最初から決めていた。自分の住む地域でも「地元」ということば・表現は一切使わない(市内全域が地元だという再自覚の意味もある)と内心、決めていた。自分の主張を直接市民に届ける「メッセージ型選挙」にしようと考えていた。だから、今回いちばん手間とお金をかけたのも、情報発信の部分だった。それと、市町村合併後の市民型選挙のモデルのひとつを示したい、とのもくろみもあった。選挙講座もやっているし、みどりさんも本を書いたし(笑)、よい選挙をしたいという思いもあった。告示後の1週間は、本当に楽しい選挙だった。

M−今回は選挙をよく理解しているスタッフが集まったうえに、終日手伝ってくれる市民派議員の日程がうまく分かれたので、コンパクトな選挙ができた。それでも、毎日新たに選挙カーや後続車に乗ってもらう人に対して基本マニュアルは渡したが、「いつ、どこで、だれに、どんな形でメッセージを伝えたいのか」をもっときちんと伝えるべきだったと思う。わたしたちはここにいちばんこだわっていたのだが、「市民派」とはいっても、選挙には候補者それぞれのやり方があるからだ。応援する人に不可欠なのは、「この候補者を当選させたい」という強い気持ちだろう。それさえあれば、メッセージを聞く市民はどう感じるのか、候補者はどう動いてほしいのかを、自分で考えながら行動するようになる。仲間には、そういう思いの強い人が多いが、飛び入り参加の人たちに、そういう部分の配慮は少なかったようだ。メッセージは、ただ一方的に出せばよいというものではない。選挙に参加することによって、メッセージとは何か? 市民にどのように伝えるのか? というスキルも、現場で実地に体験して盗んで
いってほしい。講座だけではけっして伝え切れない部分だから。わたしたちの市民型選挙も、選挙のたびに進化している。とはいえ、気持ちがよい選挙ができたのは、かけつけてくださった方たちのおかげと、ほんとに感謝している。

T−自分で綿密に考えてすすめてきたことに、敏感に反応してくれた有権者のみなさんと、しっかり支えてくれたスタッフ、かけつけてくれた人たちにお礼を言いたい。(おわり)

〈インタビューを終えて〉

 インタビューでともまささんが語ったように、今回の選挙では人を介してではなく、ニュースや演説によって直接市民にメッセージを届けることに重点が置かれた。私は今度の選挙活動に7日間参加して、「メッセージ型選挙」が作られていく様子を、目の当たりにすることができた。選挙カーの中では、技術的なことから演説にいたるまであらゆることが議論され、スタッフの素早いフィードバックにより、メッセージはどんどん進化していった。「メッセージ型選挙」を可能にしたのは、いくつかの前提があったように思う。これまでの活動を通じ、仲間とつちかった強固な信頼関係。説得力ある演説を支える、豊富な情報と経験。どちらも日ごろの地道な活動の積み重ねからしか得られない。そして、メッセージの受け手である市民の、正論を評価・支持する能力への確信があればこそ、メッセージを発しつづけられる。「あんたが言うことはもっともや」と握手する市民の方の姿が忘れられない。政策課題の発信を通じて直接市民とつながる、新しい市民派選挙を実体験した貴重な7日間だった。
 (岐阜市・高瀬芳)