『む・しの音通信』No.38
(2004.6.30発行)
初めての「議会ウォッチング」を終えて
〜試行錯誤をもとに、全国普及が夢〜
(報告:岐阜市・高瀬 芳)
1.「議会ウォッチング」を企画するまで
「議会ウォッチング」は、昨年度市民向け事業の参加者が伸び悩んだことがきっかけで企画した。これまでの講義形式の講座ではなく、市民ができる政治参加を現場で体験するものにしたいという思いがあった。
当初、担当者からは、「市民にやさしい政治実施度」をチェックしようと提案したのだが、条例などのチェックは専門知識が必要になることも多いとの指摘を受け、スタッフ会で市民感覚をそのまま活かせる議会のチェックをしようということになった。そして、各地の議会を市民の目で採点したデータとノウハウを蓄積し、それを広く公表し、運動として広げて行くことも目標になったのである。
最初の開催地は、市民スタッフが多い岐阜市に近いことから、山県市になった。その後は、北陸、三重、愛知、関西と各地を回ることにした。
2.「議会ウォッチング」開催日の流れ
今回、「議会ウォッチング」の対象となった岐阜県山県市は、昨年4月に旧山県郡の高富町、伊自良村、美山町が合併してできた人口約3万1千人の市である。今年4月に合併後初の市議会議員選挙が行われた後、開かれたのが、この6月議会だった。「議員と市民の勉強会」でいつも講師をしている寺町ともまささんも2年ぶりに議会に復帰し、ウォッチング参加者の興味も高まった。
当日の6月22日には、市民4人、議員2人の合計6人が山県市役所に集まった。採点は議場周辺の施設の確認からスタートである。受付での傍聴手続きや、撮影許可申し込みに対する対応も採点の対象にしていたが、予想どおりのそっけない対応だった。
この日、一般質問を行ったのはともまささんのほか、共産党議員と保守系議員の二人。ともまささんの緻密に論理構成された質問に比べ、ほかの二人の具体性と論理性の乏しさが際立った。お昼前には3人の一般質問は終わり、昼食を取りながらの意見交換会へ、とウォッチングは続いた。
3.使いにくかった採点シート
意見交換会では、それぞれの採点結果を話し合った。施設や手続きなどの採点に関してはスムーズに話が進んだが、やはり議員と答弁者の発言に関する評価が難しかったことが分かった。採点シートの形式的な面だけでも、議員一人に対し複数の答弁者がいたにもかかわらず、答弁者の採点シートが1枚しかないため記入しにくい、という意見が出た。選択肢に適当なものがない、という3択式の問題点もあった。多めにとったつもりの余白も、自由記入欄として使ってもらえるよう説明ができていなかった。
何よりこの採点シートの問題を的確に表していたのは、「これらの項目を評価することで、何を獲得したいのかが明確でない」というみどりさんの指摘である。議会を傍聴する市民グループや個人は、ほかにもたくさんある。これまでの議会傍聴の視点と、何がどう違うのか。「む・しネット」がこれまでにつちかったノウハウは、どこに活かされているのか。こういった問いに、現状の採点シートでは答えられない。
今になって考えてみると、「議会ウォッチング」という事業の目的設定が明確でなかったようだ。
「む・しネット」のこれまでのノウハウを活かすならば、ふだん政治や議会にあまり興味を持たない人は、少なくとも中心的な対象とはなり得ないだろう。「む・しネット」の会員、あるいは市民派の政治に興味を持ち、趣旨に賛同してくれる市民が主たる対象なら、一般質問の問いや獲得目標の設定を採点項目としても、興味を持ってくれるに違いない。
4.スタッフ会での今後に向けた検討
6月26日のスタッフ会では、上記のような、今回明らかになった課題を報告した。
そして、採点シートは自由記入形式とした上で、あらためて議員や答弁者の発言に対する採点基準を、一般質問の組み立て方など、「む・しネット」のノウハウに照らし合わせて再考し、0〜5点で採点してもらう方式にすることになった。
また、今回の評価結果については、採点シートへのメモや、意見交換会での発表をもとに、自由形式でまとめることとした。
一方、議員一人ひとりの採点をすることにより、議会全体の評価を出せるような採点シートにもしたいという希望が出された。そのシートで採点を続ければ、議会改革の進み方も確認できるはずだ。各地の議会を比較することもできるだろう。
今後手順さえ確立できれば、スタッフが参加しなくても、各地で同時に、「議会ウォッチング」を開催してもいい。
「む・しネット」が主催しなくても、採点シートをもって、各地の市民が自主的に「議会ウォッチング」を催してくれるようになったら、どんなにすばらしいだろう。全国の津々浦々で、「議会ウォッチング」が開催されることを大きな夢として、これから採点シートの更新など、次回の準備にあたりたい。
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議会ウオッチング山県市編
岐阜市・新田幸子
山県市は昨年4月に合併し、市になったばかり。旧高富町役場だった庁舎は、中に入ると広々とした空間が広がり、まるで一流ホテルのよう。各課のスペースもゆったりしていて、岐阜市の古くて狭苦しい役所とは大違い。さぞかし仕事がはかどることだろう。
さっそく4階の議場へ。受付で住所と氏名を書き、傍聴券と一般質問の概要を書いた順位表を受け取る。完全にバリアフリーで車椅子でも安心して通行できる。と思ったら、肝腎の障害者席はCATVのカメラが陣取っていて入ることができない。一般傍聴席は30だが、ここにもカメラがでんと据えてあり、6席が使い物にならない。だれのための傍聴席なのか。最新の設備も行政側の傲慢な対応で役に立たない。
さて議場は? と見ると、質問者と答弁者が向き合う「対面式」で使いやすそう。従来の議場は、執行者を背後に、議員席に向かって質問する形が多い。岐阜市も同じ。これはどう考えても変だ。多くの人が指摘する点なのに、なぜ改善されないのだろう。
10時、共産党の女性議員の一般質問が始まった。3問とも話が長すぎ、せっかく再々質問しても具体性がなく、答弁者が戸惑う場面も。次に勉強会の講師でもある寺町知正さん。さすがに論点整理が明確で質問も端的。対応する答弁も短く、再々質問まで目一杯の時間配分。予備知識がなかった私にも、問題の中身がよく分かった。獲得目標はほとんど得られたようだ。それにしても「持ち時間一人30分、3問以内」とは! 市民のくらしに直結する一般質問だ。もっとじっくり時間をかけて欲しい。執行者側が、答えるたびに議長と議場に向かって深々とお辞儀をするのも時間のムダである。
ともあれ、他の地域の議会を傍聴したのは初めてなので、とても面白かった。
今回の採点シートを参考に、岐阜市議会も再度チェックしてみよう。
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次回が楽しみ「議会ウォッチング」
福井県武生市・安立さとみ
3万1千人の人口には首を傾げたくなるほど立派な庁舎に驚きながら、議場へ入る。
「む・しネット」が用意してくれたチェック用紙とペンを持ち傍聴席に座ったが、なんと理事者の顔が見えるだけで、議員の後ろ姿も前席で身を乗り出さなければ見ることができない。これに関しては武生市の議場も同じである。まだ山県市は新しい分、車椅子でも傍聴席に入ることができるよう設計されている。武生市よりも市民に考慮した造りになっているようだ。
しかしそれも形だけ。車椅子用の傍聴席はケーブルテレビのカメラと職員の椅子でいっぱいになっていた。「車椅子での傍聴者がいらしたら、すぐ撤去するんですよね」の質問に思いっきりいやな顔をされる。傍聴の受付といい、事務局の対応といい、議会事務局は、まだまだこれからのようである。
メインは一般質問の傍聴である。議会全体の状況から一般質問をしている議員個人の質問内容、質問の組み立て方、質問態度。そして答弁者のそれへとチェックは進む。さらに議長のチェックにまで用紙の項目は作られている。
今回、質問者の一人が勉強会の講師である寺町ともまささんだった。非の打ちどころがないほどの一般質問の組み立て方に、思わず聞き入ってしまう。他の二人の議員との差が歴然としている。獲得目標を立てて質問を組み立てるよう常に指導してくれている講義をまさしく目の前で実践している。また驚いたことは、質問の仕方で同じ理事者の答弁が全く違って見えることである。議員として勉強を重ねることが、ひいては理事者の答弁の質を上げることになると実感できた。
自分の一般質問と、「む・しネット」での勉強を、思い出しながらの議会ウォッチングは、実に面白かった。まさしく勉強会の復習と一般質問の反省が同時にできるのである。
「議会ウォッチング」は今後も継続されるとか。次回が今から楽しみである。
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書評『市民派政治を実現するための本』
上野千鶴子・寺町みどり・ごとう尚子共編著
■民主主義の「強化書」として■
吐山継彦(企画・編集「言葉工房」代表)
本編4部は、2003年11月に行われた「市民派議員アクションフォーラム」における延べ10時間にも及ぶ議論を精選、加筆・再構成したものだが、序編「わたしが〈権威〉にならないために」は寺町みどりさんが企画して2001年12月に名古屋市の「ウィルあいち」で行われた「ジェンダーと政治」と題する市民公開講演会での上野さんのスピーチから採られたものである。この講演についてみどりさんがコメントしている。
「ここで語られた内容は、『無党派・市民派』の女性が、議会という権力構造に入りはじめ、直面している『議会という制度の中でいかに〈市民派〉でありつづけるのか』『いかに権力にとりこまれず〈わたし〉のスタンスを持ちつづけ、かつ現状を変えるのか』という問いに対する、『目からウロコ』の答えでした。」
この上野さんの講演は、多くの市民活動やNPOの関係者にとっても「目からウロコ」的な内容だと思う。もし、市民や子どもたち向けの基本的な民主主義の教科書、いや強化書があるとすれば、ぼくならこの講演を最初に載せるだろう。というのは、今の議会制民主主義や政党政治は、制度化・間接化・形骸化しすぎていて、本来あるべき直接的な民主主義の姿と意味を見えなくしてしまっているからだ。上野さんはこの講演の最後のところで、「わたしが権力を権力たらしめている権威の源泉なのだと自覚し、誰にも権威を委ねない自己統治を実践していくのが、民主政治なんだというメッセージ」を発信している。つまり、市民(わたし)が自分たち自身で意思決定を行う市民自治こそが民主政治の本質だということで、みどりさん風に言うと、本書の副題である「わたしのことは、わたしが決める」に行き着くのである。
さて、序編も重要だが、もちろん本書のメインディッシュは本編である。第1部の基調報告とパネルディスカッション、第2部の会場とのディスカッション、第3部の議会改革についての問題提起とディスカッション、そして第4部の参加者の質問に対する寺町知正さんの回答と、どのページを読んでも、「なるほど、目からウロコがはがれ落ちる〜」と唸らされることが多い本である。
それぞれのページに、市民自治を実現していくための考え方と実行のノウハウやヒントが満載されている。この「民主主義の強化書」を多くの市民が読み、政治の堕落をただ嘆くのではなく、それぞれの持ち場で本書に説かれている考え方とノウハウを活用するなら、真の意味での民主社会が実現できるのでは・・・という希望が湧いてくる。本書はそういう書物である。ランダムにページをめくり、ぼくの心にストンと落ちた言葉たちを紹介しておこう。
「言い続けていかなければ何も取れませんが、言っていけばかならず展開はできていきます」(白井えり子さん)。「わたしは『市民の政治』というのは、市民自治を基本に、市民自身が行政や議会に入り、意思決定や執行にかかわり、直接自分自身のニーズを満たしていく。そうして、政治を市民の手に取り戻していくことは可能だ、と考えています」(寺町みどりさん)。「わたしは『意思決定は効率化してはならない』と思っています。意思決定のコストというのは、時間コストです。時間をかけないと意思決定のプロセスはたどれません」(上野千鶴子さん)。「政策についても、あるいはお金の使いみちでも同じです。これは明らかに違法じゃないか。これはおかしいじゃないか。このほうがよりいいんじゃないかという正論を通していくと、その人は大きな力を持ち、かならず発言力は高まって、1を超えて、2人、3人の議員の数ぐらいの力が発揮できます」(寺町知正さん)。
これらの言葉がもしあなたの琴線に触れたなら、1,800円+税がお買い得であることを私、吐山が保証いたします。
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市民派の「バイブル」として
鹿児島市・小川みさ子
『市民派政治を実現するための本・・・・わたしのことは、わたしが決める』(上野千鶴子・寺町みどり・ごとう尚子共編著・コモンズ)。 この本の〈序〉にまとめてある講演録は圧巻だ。上野千鶴子さんに対して、「わたしが〈権威〉にならないために」というタイトルで核心にせまっているのは、いかにもみどりさんらしい。
多くの読者は、おそらく初めて「権力」と「権威」の違いが自分の中で明確になっていくだろう。いわゆる市民派である市民と議員の関係、権力と権威の違い等、生まれてこのかた何かしら居心地の悪い、すっきりしない思いを引きずってきた者としては、このうえない便秘薬のように、スッキリとした気分にさせてもらえた。導入として、上野千鶴子さんの講演録を入れたことで、この本の価値が決まった、と思える。
例えば、私自身、自分は常に自分なのに、いろいろな立場を生きてきた「わたし」は、その時々で人の「わたし」への態度が違うこと、またこちらの肩書き、ポストによって、差別感のある人は、態度を変えるということを肌身に感じ、人とは信用できない、そんなものだと諦めていた。それが「権力」に対する反応であり態度なのだということが、上野千鶴子さんの〈序〉で、鮮明になった。
議会で多勢に無勢のイジメにあい、精神的苦痛で病気になり、入院加療を続けていた私は、2003年11月15日にウィルあいちで開催された市民参加型の「市民派議員アクションフォーラム」に救いを求めるような思いで参加した。
このフォーラムに参加して驚いたのは、取り組みにむけて、呼びかけ人たちがフォーラムの前に何度も集まって、KJ法という共同討議のデータ処理を使って、フォーラムの課題を整理し、準備に相当な時間をかけてのぞまれたということ。それは密度の濃いフォーラムになっていたことに証明されていた。
さらに、各セッションごと、色分けしたアンケート用紙が配布され、フロア側の声を汲み上げ参加型を補完。また、役割と内容が細かく時間割りしてリストにされているのも新鮮だった。そして何よりも驚いたのは、パネリスト兼コーディネーター&コメンテーターの上野千鶴子さんが、10時間、本腰を入れビッチリお付き合い下さったということ。
フォーラムの準備といい、当日の進め方といい、さらにフォーラムから半年後には、本になって広がっていること。どれもこれもがお手本そのものだ。
とりわけ、KJ法という手法による資料、『自治体政治はなぜ変わらないのか?』は、読んでいて、ワクワクしてくる。こんなエキスをこんなお値段で分けていただいていいの、という気持ち。
本書のあとがきにみどりさんが書かれている「差別や暴力ではなく、対話によって、すべてのひとが存在を受け入れられ、やさしくおだやかに生きられる社会を、わたしは望んでいる。権力を持つものが、ひとが生まれて死ぬまでに出会う障がいや困難を軽くするために、その力を行使することができれば、ひとはもっと生きやすくなるだろう。『政治』は、そのためにこそあるのではないだろうか」という問いかけもまた、心に染み入る。
「自治体政治を変えよう」「変えるために何ができるか」「議会改革をすすめよう!」「市民派議員はこう闘う」〜理論、実践、現場〜は、紙面の都合で一つひとつ紹介はできないが、実に具体的で、一人じゃない! という勇気と希望をいただくに充分すぎる。
フォーラムを開きたいと切望し、その結果を本にしたいと願って実現されたみどりさんの心意気は、「命にかかわる病を得て」フォーラム当日、病院のベッドにいてパネラーとして立てなかったごとう尚子さんの、基調報告の代読と出版への参加、そして上野千鶴子さんをもつき動かしていく。その友情の深い絆は、読者から見ても快く響く。
「全国の市民派の女性議員たちを孤立させてはいけない!」という熱い思いにも裏打ちされた本書は、地方議会で踏んばる私たちにとって、まさに福音のようだ。
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悪用される「公選法」
東京都八王子市・甘利てる代
5月15〜16日に実施された「議員と市民の勉強会」のセッションA「公職選挙法に抵触しない文書づくりの実際」の講師は、『市民派議員になるための本』の著者である寺町みどりさんだった。
「メッセージとはなにか?」から始まったセッションは、「ニュース・リーフレットの作り方の実際」まで、市民派議員に有益な手法が示された。
『市民派議員になるための本』(学陽書房)で、みどりさんはこう言い切っている。
――「公選法」は「誰もが平等に立候補し、かつ公平な選挙運動ができるように定めたもの」だそうですが、禁止事項が多いわりには、アミの目が粗いザル法です。解釈と運用にハバがあり小魚も大魚もとり逃がす「法は法でも悪法」です。(第8章)――
悪法であっても、法によって裁かれることは避けられない。実際にどんな理不尽があるのか調べてみた。
「公職選挙法」(以下、公選法)の刑罰は、刑法などの制裁と大きく違う。懲役はもとより罰金(1万円以上)や科料(1000円以上1万円未満)が科せられると同時に、公民権の停止、当選無効、立候補の禁止などという制裁が加わる点だ。
ところが、「戸別訪問の禁止」と「文書図画の制限違反罪」(一般的に文書違反と呼ばれている)として判決を受けた例を調べていたら、あまりのばかばかしさにあきれ果ててしまった。
「個別訪問」では、訪問した相手方が不在であっても、選挙運動者が一面識もない選挙人方に赴き、しかも選挙に関することを一言も発せず辞しても、戸別訪問の禁止が成立するなど、にわかには信じられないような判例が数多くあった。
文書違反の罪に関していえば、広く知られた「広島・祝事件」というのがある。最高裁まで争われた事件であり、一枚の後援会ニュースが文書違反・戸別訪問の罪に問われたものだ。
1986年の衆参同時選挙で、広島県府中郵便局の祝さんが、投票1週間前に、市内の後援会会員宅に後援会ニュースを届けた際、警察がこれを尾行。公選法の戸別訪問、文書違反を理由に逮捕され起訴された。一審、二審とも有罪(罰金2万5千円、公民権の停止はなし)。祝さんは「後援会員宅にニュースを届けてなぜ犯罪か。逮捕・起訴は国際人権規約違反である」として、最高裁に上告した。2002年9月に最高裁判決が出た。16年間という時間をかけての裁判だった。
祝事件の最高裁判決は「上告棄却」。つまり、公選法の「戸別訪問の禁止」と「文書配布制限規制」は合憲だというのだ。
一枚のニュースで逮捕されたということも驚きだが、警察が尾行していたというのもイヤな感じだ。軽微で摘発しつつ、犯罪は犯罪であるとした警察の、選挙運動への必要以上の介入だと思うのは私だけではないだろう。
こう感じるのも、私の経験からだ。実は文書違反では口惜しい思いをしたことがある。警察や選管が摘発するのは買収行為だけではない。「選挙妨害」と反論する政党が絡んでいない草の根選挙では、市民は権力の前で無防備だということを知った。ことの顛末(てんまつ)はいずれどこかで書こうと思っているが、その理不尽さは市民の政治参画を阻むものだと実感している。
そうは言っても、公選法を恐れていては選挙もできない。ニュースやリーフレット作りでも、違反はしないが慎重にかつ大胆に行うのは当然だ。市民派議員たるもの(めざすもの)、個性的であれと言いたい。紙面作りだけではなく、内容もしかりだ。よくできた市民派議員のリーフレットやチラシをそのまま流用するのは、あまりにお粗末だ。
戸別配布するニュース(議会報告)では、自分のことばかり語りすぎるなといいたい。市民が知りたいのは、行政が発行する広報誌には書かれていない、真に「市民に有益な情報」に他ならないからだ。
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〜「市民ライター通信」9号(2004.6.20.発行)より転載〜
市民ライターどんどん(9)
寺町みどり(寄稿)
■おごらず、あせらず、あきらめず■
ライター志望でもないわたしが、『市民派議員になるための本』(寺町みどり/学陽書房)と『市民派政治を実現するための本』(上野千鶴子・寺町みどり・ごとう尚子共編著/コモンズ)を出した。さいしょの本が、吐山さん(※)の目にとまったのが、大阪ボランティア協会とのつながりの始まり。吐山さんは、わたしが初めて書いた本を「文章がうまい」とほめてくれた(笑)。そんなこんなで、『Volo』4月号(※)に「私の市民論」を書き、5月には「おしゃべりアゴラ」(※)。今度は「市民ライター通信」の原稿をふたつ返事で引き受けた。で、「市民ライターってなに?」 メルマガを読んでみると、どうやら書きことばで情報発信しているひとのことらしい。(※は脚注を参照。)
思えばこの20年、わたしもなにかを発信しつづけてきた。百姓をしながら『つうしん・人と土』を10年間だしつづけ、議員だった4年間で書いた『みどりのまちから議会から』は60号。その後も、市民運動のニュースや、『む・しの音通信』を発行してきた。ときどき舞い込む依頼原稿も断ったことはない。でも、書くのが好きかと問われれば、迷うことなく「いいえ」と答える。
わたしは、なぜ書くのだろう?
わたしが本を書くきっかけは、3年前の夏の、上野千鶴子さんのことばだった。「わたしがプロデューサーも編集もするし、出版社も編集者も探してあげるから、わたしと組んで、本を世に出しましょう。なぜってあなたは他の人に伝えるべきメッセージを持っているから」。青天のへきれきだった。書く必然
性もなく、軽い気持ちで本を一冊書けるはずもない。そんなわたしの気持ちを動かしたのも、上野さんのことばだった。
「わたしはあなたに本を書いてほしい。そのためのお手伝いをしたい。でも決めるのは、あなたです。」
お返事でたんかを切った。「あなたに読んでほしいから、あなたのために書きます。帯のコピーもいりません。」
本が世に出て、市民派議員の仲間もふえた。書いたことは、現場で役立つと確信していたが、予想以上に、たくさんの女性たちが、わたしの本を読んで当選した。
2冊目の『市民派政治を実現するための本』は、上野さんとの共編著。あとがきの上野さんのことばを借りれば、「今回は、わたしがみどりさんにまきこまれた。みどりさんの前著では、わたしがプロデューサーとなって、彼女をまきこんだ。いやがる彼女を押し倒し(笑)、なだめすかし、説得して本の著者になってもらった。今回は『あとがき』で、彼女は、『本書はわたしがつくりたいと願ってつくった本です』と書く。・・・」
わたしがなにかを書きたいときは、伝えたいメッセージと伝えたいひとの両方があるときだ。書きたいことを書く、というよりは、相手に確実に届く、わかりやすいことばを探す。
思いを「ことば」で他者に伝えるというのは、とてもむずかしい。真意を、相手に誤解なく、だれもが伝えることができれば、トラブルはずっと減るだろう。「書きことば」で「考えていることを伝える」ということは、表情やニュアンスが伝わらない分、話すことよりむずかしい作業だ、とわたしは考えている。
なにかを書くには、書きたい思いがあり、伝えたい相手があり、伝えたい内容があり、それを伝えるための手段としてのことばがある。「ことば」は〈手段〉であり、〈技術〉である。技術であれば、熟練しているひとがいて当然だし、学ぶこともできる。
同時に、「ことば」は、ことばを持たないひとにとって「権力」である。わたしは書くことより、書かれることのほうが多かったので、ことばを発する立場になったいま、そのことを肝に銘じている。
いまわたしがかかわっている「む・しネット(女性を議会に 無党派・市民派ネットワーク)」が掲げた、「ジェンダーの視点を基本に、権威主義を排し、性にとらわれないでその人がその人らしく能力が発揮でき、個人として尊重される、公平で平和な社会の実現」という理念は、返す刀で、わたし自身をするどく問う。わたし自身もその問いから逃れられない存在である、ということ、またそうでなければ、権力を持つひとたちが、いつか来た道をわたしもたどることになるだろう。わたしは、その答えを実践の現場で見つけていきたい。
わたしには、だれかに伝えたいあふれる思いがある。書いても書いても、書ききれないもどかしさがある。おごらず、あせらず、あきらめず、わたしの思いを、「ことば」で、他者に伝えていきたい。
※脚注
吐山:このメルマガの発行者。大阪ボランティア協会の常任運営委員や、下記『Volo』の編集委員長も務める。
Volo :大阪ボランティア協会が発行する市民活動総合情報誌。
おしゃべりアゴラ:大阪ボランティア協会・市民エンパワメントセンターが主催する事業の一つ。「政治の現場を知る」をテーマにした連続企画の第一回目講師をみどりさんが務めた。
《編集後記》
運営スタッフとして初めて企画した事業、「議会ウォッチング」の第一回が終わった。スタッフ会でこの企画を話し合ったときの興奮が冷めないうちに、準備を進めるべきだったのに、時間をあけてしまった。通信の編集作業も、パートナーのみどりさんや原稿執筆者の作業まで気が回らず、作業を遅らせてしまった。古巣の会社はプロジェクト管理を得意とするところだったが、そのノウハウをもっと吸収しておけばよかったと悔やまれる。でも、過ちを繰り返さないための事後評価と改善策立案はできそうだ。今後のリベンジを誓おう。(高瀬芳)
昨日、東海環状自動車道計画の環境アセスメント関連の意思形成過程文書の情報非公開取消訴訟の最高裁判決があり上京した。判決は「一審二審を破棄」という逆転勝訴。当初のルート原案、基礎データ、環境影響評価部会の記録など意思決定前文書のすべての文書の公開を命じたもの。判決のあと、喫茶店で「今後の公共事業、大規模事業に関して計画の初期段階からの住民参加、市民による監視がより進むという意味で画期的な判決である」とコメントを書いた。この行政訴訟は、ともまささんが選定当事者として、5年間岐阜県と争ってきたものだ。この最高裁判決が、環境アセス法成立後の初の司法判断として「判例」になる。今後、意思形成過程文書を非公開としてきた全国の自治体、住民無視の「環境アセスメント」そのものにも大きな影響を与えることになるだろう。ほんとにうれしい。(みどり)