《む・しの音通信》NO.42
2004年11月23日発行



「む・しネット」運営にかかわって見えてきたもの〜

「市民派議員応援コンサルタント 開業しようかなx」
       運営スタッフ・高瀬 芳


 私は昨年1月の「市民向け講座」で、具体的な政策を訴えながら、ごく普通の市民と手作りしていく「む・しネット」の選挙に出会い感銘を受け、会員になった。その後『市民派議員になるための本』(寺町みどり著・学陽書房)を読むと、まったく選挙や政治にかかわったことがない人でも、忠実に従っていけば市民型選挙を実現できるほど実践的なものだった。私はその具体性・実効性に惹かれた。掛け声ばかりの政策をうたい、実行力のない行政や政治にうんざりしていたからだ。
 ところが、今年度から運営スタッフとして事業にかかわってみると、私が感動し楽しんできた、あの実践的な市民講座や勉強会には、予想外の舞台裏があった。私がこれまでにかかわった事業の失敗を考えたとき、共通項が見えてきたと感じている。端的なたとえでその問題を表せば、次のようになる。
 「む・しネット」の事業という「商品」を作るにあたり、外のパッケージを作ることに終始してしまう人が多く、中身の品質を上げることを目指す人はたいがい決まった人だということだ。しかも、「商品」は毎回オーダーメードで違った取扱いが求められるのに、パッケージは「四角い箱」といった前回使った大枠をそのまま引き継ぎ、細部の再検討がなされない。結局、私が惚れ込んだ「む・しネット」の実行力は、一部の人に由来・依存しがちなものだったようだ。
 この問題の原因をさらに深く掘りさげると、ネットワークとしての「む・しネット」がノウハウを蓄積し伝達する仕組みと、運営スタッフ個々の資質・スキル・経験による課題に行きつくだろう。このうち、前者の解決は一筋縄ではいかないという感触を持っているが、後者については、自分が役に立てると思っている。
 この「スタッフの資質・スキル・経験の不足」という課題の、かなりの部分はそれほど特別なものではない。社会で働いている人なら身につけることを迫られるものが多いからだ。実際に、11月の勉強会の準備では、前職のコンサルティング会社での経験を活かし、担当スタッフに事業の企画・準備計画の立て方をアドバイスした。
 私はこれから半年ほど「産休」に入るが、復帰したらスタッフ養成講座を企画したいと考えている。当初は「事業企画・運営」をテーマに、企画書の作り方、スケジュール管理の方法、事後評価と次回企画への反映などの項目を数回のシリーズで扱えればと思う。これらのノウハウは、「む・しネット」事業を越え、政治活動や政策立案などの議員活動でおおいに役立つ。
 ほかにも、市民派議員の鍛えるべき「基礎体力」のような項目は、まだまだたくさんある。各地で奮闘する市民派議員のそんな「基礎体力づくり」を応援するほうが、自分が議員になることより、私には興味がある。
 私自身も、「市民派議員応援コンサルタント」の事業計画を立ててみようかなと、いま思いはじめている。

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「議会ウォッチングin武生」から見えてきたこと

 −高瀬芳さんが、アンケートや意見交換会の意見を「KJ法」を使って整理し文章化したものを、通信用に事務局(みどり)が、前号との重複部分を省略し、さらにコンパクトにまとめたものです。−

1.【広報には熱心な武生市】

 武生市では、市の公報とは別に議会だよりを発行しています。また、市のホームページの中には議会のホームページがあり、議事録などを掲載しています。武生市は特に議会のCATV放映には熱心で、議場の前後に設置された2台の自動制御のカメラを使い、議会を全部放送します。その上、放送は再々放送まで行われます。市民によれば、CATV放映が開始されてから議員のやじが減り、「放映は議員を行儀よくした」と評されています。でも、A議員の話では「CATVに映りにくい後ろの席の議員はトイレ退席している」とのことで、「見えなきゃ不真面目なの?議員さんたち」と言いたくなります。
 いっぽう、CATV放映が始まってから、議場に足を運ぶ「傍聴者への配慮がなくなった」と市民は言います。そのためか、福祉保健部長の答弁は声が小さくて聞き取れませんでした。傍聴席に聞こえなければ注意するのが議長の義務のはずですが、そうしなかったのは議長も聞こえないということが分からなかったからかもしれません。A議員も「聞こえないとは意外だった」そうです。「議員は傍聴席に無関心」という印象でした。武生市議会は不特定多数の外からの評価を気にして、かなり熱心に対応しようとしていますが、より強い関心を持った傍聴者への対応が行き届いていないと言えそうです。

2.【傍聴に来てほしくないの?】

 武生市議会は、傍聴席に無関心な結果、傍聴に来る市民への配慮が足りないようです。今回車で傍聴に来た参加者は、駐車場への案内がわからなかったと言います。議場のある庁舎にはフロア案内すらなく、議場が何階にあるのかが分かりませんでした。議会棟にはエレベーターが5階までしかなく、6階の議場までは階段を使わなければなりません。階段は、狭くて急で、お年寄りや体の不自由な方、妊婦が使うときは怖い思いをしてしまいます。やっとの思いで傍聴席にたどり着いても、今度は記者席とついたてが傍聴者の視線を阻みます。「傍聴席からは執行者しか見えない」から、トイレ退席など「議員さんたちは見えなきゃ不まじめなの?」と疑われる状態を生むのでしょう。傍聴者にやさしい議場を新庁舎で実現できるよう、ウォッチングに参加した市民と市民派議員に期待したいものです。

3.【武生市議会のルール】(略)

4.【武生市議会の役者たち】


 (ア) 意味不明のF議員

 「一問一答式・回数無制限」と一見よさそうな武生市議会の一般質問のルールは、制限が少ないがゆえに、しまりのない発言にもつながるようです。
 F議員は、発言内容も「何が言いたいの?」と意味不明で、「『これで最後』が何回続くの?」と、なかなか終わらない一般質問でした。「回数無制限は散漫になりがち」なのかもしれません。

 (イ)高くない?4点って。A議員の自己評価

 A議員は市長答弁で「獲得目標を達成したから5点満点で4点」と自己評価しながら、「いつもより冗長になった」「しゃべりすぎて手の内を見せすぎたかな?」と反省の弁も。採点シートでは「質問の長さはちょうどよい」「おもねる発言はしなかった」という評価もありましたが、市民からも「いつもより迫力不足」「歯切れが悪かった」との感想が出されました。福祉部長への質問は、せっかくいいデータを示したのに、あいまいな答弁しか返ってきませんでした。これも、いつもより冗長になったことが一因なのでしょう。
 A議員の自己評価は高く、「今回はスムーズに一般質問ができた」と、満足していたようですが、参加者は「4点って自己評価は高くない?」という印象を持ちました。

 (ウ)誠意が見えない福祉部長の答弁

 A議員がよいデータを示して質問したのに、あいまいな答弁を繰り返した福祉部長は、「答弁に誠意が見えない」と参加者から不評を買いました。また福祉部長は「声が小さくて聞き取れなかった」点でも厳しい評価を受けました。
 しっかり答弁するためにも、執行者は自席ではなく、ちゃんと壇上に出てきて、まじめに答弁してほしいものです。
 議長の発言に対する注意や執行者の発言場所などは、ちょっと気をつけたり運用ルールを変えたりすれば実現できること。ぜひ改善してほしいものです。

 (エ)市長の評価は及第点

 さんざんの評価だった福祉部長に対し、焦点をずらさず、話の長さもちょうどよく、良好な評価だった市長さん。安立さんの話では、「部長たちが『やりません』と言っても、市長は『やります』」と宣言することもあるそうです。それなら、誠意が見えない福祉部長と押し問答を繰り返すより、「最初から答弁は市長に求めるべき」でした。

5.【基本線はクリアしている?武生市議会】
 市長の評価は及第点でも、全体的に「執行者側が不まじめな武生市議会」との印象を受けました。執行者が不まじめだから、「武生市議会は緊張感がない」という印象になるようです。とはいえ、「いつもよりまじめだった」という市民の声も。いったいいつもはどのくらい不まじめで、緊張感がないのでしょう。比較的制限の少ない「議会のルール」や、広報に熱心なこと、「及第点の市長」、写真・ビデオ撮影を許可した議会事務局長、などをあわせて考えると、「基本線はクリアしている武生市議会」と言えるのかもしれません。

6.【もっとよくなる武生市議会】
 (ア)=u回数無制限」への傾向と対策

 武生市議会の一般質問を傍聴する限り、質問者も答弁者もあちこち話が飛ぶうえ、「さっきも言いましたが」という議論がだらだらくり返され、回数無制限は散漫になりがち、だと参加者は感じました。では、「一問一答式・回数無制限」の一般質問では、どんなことに気をつけたらいいのでしょうか。
 まず、範囲の広い質問は項目を分けて、答弁しやすくする。これは回数無制限でなくても一般質問を組みたてる上で必要なことですが、散漫になりがちなら特に気をつけるべきでしょう。
 つぎに、ルール上「回数制限」がなくても、自分で発言回数のメドを決めておいて、その中で目標に到達するよう質問を組みたてることです。みずから制限を設けることで、「コンパクトな発言は獲得目標への近道」になるのではないでしょうか。また、議論では「私がしゃべるより、答弁者に話させる」ことも重要です。A議員がいつもより冗長になってしまったのも、自分がしゃべりすぎてしまったのが原因のようです。
 さらに、だらだらとなりそうなら、結論先行型で、最初に自分の獲得目標を宣言してしまうのも一つの方法です。そして「いい答弁が来たら、そこで質問は終わり」。いい答弁の後にさらに発言を続けると、墓穴を掘ることになるかもしれません。
 とはいえ、「コンパクトな発言は獲得目標への近道」ということは、一般質問自体を短くすべきということではありません。市民派議員は、フルに時間を使って質問すべきです。また、一般質問には不可欠な事前ヒアリングをじゅうぶん行って準備するのは、言うまでもありません。答弁が分からないなら、はっきり追求することは、自分のためと言うより、聞いている市民のためにも必要です。

 (イ)非民主主義的な議会の慣例を変えよう!

 慣例や理不尽なルールは、武生市議会でも存在しました。A議員によれば、全員協議会が設置され、重要案件は全員協議会で「参考までに賛否の意見を聞いており」、一種のガス抜きの場になっているとのことです。今後は議員自身が、「全員協議会での意思確認はルール違反」ということを訴えていくべきですね。
 さらに、会派主義も横行しているようです。議会運営委員会は、二人会派はオブザーバー参加、一人会派は傍聴のみが許可されている、とのことです。また、市民が傍聴もできない、任意の「会派代表者会議」は問題です。代表者会議は理事者側と定期的な朝食会をしているそうで、これではチェック機関としての議会の役目を果たせるとは到底思えません。置き去りにされているのは市民です。
 「市民不在」と言えば、「傍聴は市民の当然の権利」のはずなのに、委員会傍聴は委員長の許可が必要です。議員は、規則で傍聴の権利が定められているのに、委員会の開催時刻が重なっているため、事実上、傍聴は不可能です。議員さんは「委員会傍聴は議員の当然の権利」と今後も闘ってほしいですね。
 「優秀」と聞いていた議会事務局ですが、このような状態を放置する議会事務局の「どこが優秀なの?」 そもそも市民のために開かれている議会であり、そこでやり取りされる情報は市民のもののはず。理不尽なルールにはしっかりした反論の根拠を持った上で、市民も継続的に改善の働きかけが必要でしょう。他にも登壇時に深くおじぎをしたり、座席が期数順に決まっていたりと、根拠のない無用な慣例・申し合わせがはびこっているようです。非民主的な慣例や申し合わせは変えるよう働きかけていくのが、市民派議員の役目です。

 (ウ)執行者席にも女性を!(略)

7.【まだまだよくなるウォッチング】(略)


 「議会ウォッチング」は、当日開いて終わってしまうイベントではありません。議員も議会も市民も「終わってからが本番」です。今回見つかった改善点を、どのように変えていくのか、今後の成果が問われることになるでしょう。     (おわり)

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《エッセイ》


べてるに学ぶ《おりていく》生き方
     福井県敦賀市・今大地はるみ



 わたしは現在、乳がんを抱えながら暮らしている。こどもたちからは「明るいがん患者さん」と呼ばれている毎日である。
 3年前から病状に気づいていたけれど、だれにも告げず、ひとりで抱え込み、死に直面することを恐れている自分を見ないようにしてきた。議員の仕事と家業のおでんやの切り盛り、市民運動のいそがしさに身をおくことで、病気から目をそらす口実を作っていたともいえる。
 わたしこんなにがんばっているのよ!と自分を高く評価し、みんなとはちがうのよ!と見せびらかすために仕事をしていたことを、いま素直に認められる自分がいる。
 そのきっかけをつくってくれたのが、友人のみどりさんであり、乳がんなのだ。
 みどりさんに乳がんであることを打ち明けた時、読むようにと貸してくださったのが『降りていく生き方 「べてるの家」が歩む、もうひとつの道』(横川和夫著/太郎次郎社/2003)という本だった。「おりていく生き方」も「べてるの家」も、初めて目にすることばだった。

 「べてるの家」は、精神障害をかかえた人たちが設立した有限会社と社会福祉法人の名前である。過疎の町といわれる人口16,000人の北海道浦河町で、共同作業所や住宅、通所授産施設を運営する「べてるの家」は年商1億円、見学者は1,800人を超すという。現在ここで暮らすメンバーはおよそ100人。みんなりっぱな精神障害者たちである。
 被害妄想や総合失調症を抱えた人たちが、「べてるの家」で生活するうちに、自分の弱さをことばにすることで、生きやすくなっていく自分を発見し、当事者性を取り戻していくのだ。
 著者の横川和夫さんは、ソーシャルワーカーの向谷地さんや精神科医の川村先生、メンバーやその家族の1人ひとりと向き合い、証言を軸に回復のプロセスを克明に追った記録であると書いている。
 病気を持っているために、同じ人間でありながら差別され、ひっそりと生きることを強いられてきた人たちが、「べてるの家」では病気が誇りになる。
 「回復するということは、背負わされた余計なものをひとつずつ取り去って、本来の自分を取り戻す作業」「何をしないほうがよいか、何をやめるか、足し算ではなく引き算」「それがおりていくということ」。向谷地さんのことばは、まさに目からうろこだ。
 わたしは一晩で読み終え、布団のなかで声をあげて泣いた。
 無理しなくていいんだよ、我慢しなくていいんだよ、助けてと叫べばいいんだよ、と本のなかから語りかけてくる「べてるの家」の人たちのことばが、わたしを呪縛から解き放ってくれた。
 「言論の府」といわれる議会で、わたしたち議員は、ことばを武器に闘っている。わたしはこの本に出会い、闘うことばは持っていても、自分を語ることばを持っていなかったことに気づかされた。乳がんとも向き合い、何をやめるかを探しながら、一歩ずつおりていく生き方を勉強中だ。

 11月5日、みどりさんに誘われ「べてるに学ぶー《おりていく》生き方」という東大の公開シンポジウムに出かけた。 
 企画と司会は上野千鶴子さんである。上野さんの「東大生がべてると出会うと、どんな化学反応が起きるのだろうか」で始まったシンポは、感想は? などと聞かれても、とてもことばにはできない。
 あぁ乳がんになってよかった! 上野さんやべてるの家の人に出会えてよかった! 会議をサボって東大に来てよかった! まるでわたしのために企画されたかのような笑って泣いての150分のシンポはとても短かった。
 いま、わたしは上野さんと中西正司さんの共著である『当事者主権』を読み始めたところである。わたしも乳がん患者の当事者として、自分のことばで語り始めるために・・・・。

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「よわいものいじめ」国家を超えて
  三品 信(新聞記者)


栃木県小山市は妻のふるさとで、ぼくにも懐かしいまちだ。その中央には思川(おもいがわ)という川が流れていて、子どもにも大人にも楽しい遊び場になっている。このすてきな名前を持つ川に、幼い兄弟が投げ落とされ、殺されるという悲惨な事件が起きた。
 ふたりを殺した容疑者には腹が立つが、それ以上に許せないのは、虐待のうたがいがはっきりしていたのに、二人を救おうとしなかった人がおおぜいいることだ。子どもの虐待事件が起きるたびに、児童相談所や警察が「連絡不足だった」とか「危険だという認識がとぼしかった」とか言いつくろう光景は、この国ではもうおなじみになってしまった。
 「事件の背景には児童相談所の慢性的な人手不足がある」とかいう解説も聞きあきた。ちかごろ政府は「少子化対策」に取り組んでいるそうだが、目の前で子どもが殺されていくのに手をこまねいている「少子化対策」なんて、政治家や役人の大うそだ。

 子どもが殺されることは、おそらく政治家や役人が想像している以上に、わたしたちの社会にとって危険なことだと思う。ぼくにそれを教えてくれたのは、フランスのエマニュエル・トッドという学者だ。歴史学と人口学をミックスした独自の研究をする人で、1970年代、アメリカとソ連(旧ソビエト連邦)がまだ激しい勢力争いをしていたころ、いちはやく「ソ連は崩壊する」と予言した。
 かれが昨年 東京に来たとき、話を聞くチャンスがあった。なぜソ連の崩壊を予言できたのかと問うと、かれは「子どもの死亡率が高くなっているのに気づいたから。一つの国の社会のあり方は、その国に生きるもっとも弱い者にはっきりと現れる」と答えた。
 身を守るちからもお金もない子どもたちが死んでいく社会に、未来はない。トッドさんのことばと、そのすぐれた著作『帝国以後』(藤原書店刊)から、ぼくはそんなことをまなんだ。では現代の日本はどうか? これは間違いなく、あぶない道をたどっている。

 虐待される子どもの問題だけではない。病気や老老介護になやむお年寄り、働き場のない中高年や若者、天災で大きな被害を受けた一家。困りごとを抱えて、弱い立場にある人は、なかなか救いの手をさしのべてはもらえない。そんな例が、家庭や学校、地域や職場、ありとあらゆる場面であふれている。
 ぼくは思う。いまのこの国の本質は、強い者が弱い者を踏み付つけにする「よわいものいじめ国家」だと。人間の歴史を見れば、どの国のいつの時代にもその傾向はあるが、現代の日本ではそれが「勝ち組・負け組」などといったわけの分からない言葉で、あっさりと正当化され、当然のことになっている。
 そんなことはない、日本はいい国だと信じたい人もいるだろうから、ひとつ指摘する。国の借金をみてみよう。今年6月の段階で約729兆円という。国民ひとりひとりがおよそ600万円もの借金をしている計算だ。返せるあてもないのに、政府は借金を重ねている。幼い子どもやまだ生まれていない子ども、つまりはいまの政治に注文も批判もできない未来の世代に、おそろしいつけが回されている。これこそ究極にして最低・最悪の「よわいものいじめ」ではないか。

 そうした状況を、何とかして変えよう。もちろん簡単にできることではないけれど、このまま黙っていては、ぼくたち自身が「よわいものいじめ」に荷担することになる。
 そのためにおすすめしたいことがある。毎日の新聞をしっかり読むことだ。世の中のお金やちからをにぎっている人や組織のいんちき、目をそむけたくなるような世界の悲しいできごとが連日のように報じられている。腹立たしいけど、それに目をつぶらず、しっかりと見つめて、「おかしいよ」「こんなの許せない」と声をあげることだ。そうだ、と賛同してくれる人がひとりでもいることを願って、ぼくは今日も新聞の仕事をしている。

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1月「議員と市民の勉強会」ご案内

 次回「勉強会」のいちばんのテーマは、『0(ゼロ)からはじめる勉強会』です。
 これまでの勉強会と違って、まったくの白紙の状態から勉強会に取り組みます。そんなわけで、日時と場所、やりたいことは決まっていますが、講師の方や参加費、セッション内容については未定です。
 担当するわたしたちプロジェクトスタッフの4人も「勉強会をつくる」のは初めての経験となるので、その過程こそが、まさにワークショップです。

日時:2005年1月29日(土)13:00
     〜1月30日(日)12:00
会場:ウィルあいち(名古屋市)
内容(テーマ)
   29日:予算について学ぶ
   30日:議員と市民の交流会
対象:「む・しネット」&「自治ネット」会員

詳細については、次号の「むしの音通信」あるいは別便でお知らせします。
みなさん、ご参加ください。

《担当スタッフ》高澤栄子、呉羽真弓、
        しのはら咲子、中村史子
《お問合せ・申し込み先》
 高澤栄子 Tel/Fax 0795-32-1577
  Eメール t-eiko@sannet.ne.jp
呉羽真弓 Tel/Fax 0774-72-9172
   Eメール k1959119m@yahoo.co.jp

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  「 議会ウオッチング」企画  
  〜12月議会を傍聴しませんか〜

◆あなたのまちの12月議会を傍聴して、議 会をチェックしませんか。
◆市民の視点で作った採点シートで、議場と 一般質問を採点します。
◆12月議会は、改良した議会ウォッチング 用採点シートのお試し期間とします。
◆ただいま、採点シートを使ってくださる方 を募集中です。
◆採点シートの送付を希望される方は、担当 スタッフまで連絡してください。
◇12月の「議会ウォッチング」は、担当者 の議会開催日が重なりお休みします
《お問い合わせは、担当スタッフへ》
・今大地はるみ TEL/FAX:0770-22-8821
・小川まみ   TEL/FAX:0594-31-6641


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−予告−
上野千鶴子さん講演会
「当事者主権〜わたしのことはわたしが決める」
 
とき:2005年3月26日(土)午後1時〜3時
ところ:ハートフルスクエアG大集会室
    (岐阜市女性センター・JR岐阜駅東)
参加費:1500円
主催:「女あそぴの会」(上野千鶴子さんの著書の読書会)
協賛:「む・しネット」
(定員100名。要申し込み)
講演会の詳細については寺町みどりまでお問い合わせください。

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《編集後記》
 肩の調子はマシになったけれど、キーボードを打つと痛みがぶりかえす。
 前号から《特集記事》は、担当のプロジェクトスタッフがつくることになった。この一年、議員会員がふえたのはうれしいけれど、その分、運営スタッフの負担も重くなり、勉強会は企画から「やりたい人がやる」ことになった。「む・しネット」のシステムも見直す時期にきているようだ。原点にかえろうよ! (みどり