『地方自治職員研修』2005.2月号(発行:公職研)、
特集「自治体議会の処方せん」より転載

         
  
だれが議会を変えるのか?
    ひとりから始める

          寺町みどり


 昨年11月、「公職研」から原稿依頼が届いた。企画案を見ると、執筆者は研究者と現職議員ばかり。「これだけ役者がそろっていれば充分でしょう」と思った。「どうしてわたしなの?」と尋ねたら、最近出した『市民派政治を実現するための本』と『市民派議員になるための本』が編集者の目にとまったらしい。わたしに期待されているのは、「ひとりでもできる」というメッセージを、「良識的で」「少数派の」自治体職員に伝える、という役割だった。「少数派の自治体職員」ということばに心が動いた。

 「政治を変えたい」


 わたしは1991年から4年間、人口2万人足らずのまちで、町議会議員として働いた。それまでは、有機農業をしながら、女性や障害者の運動、指紋押捺拒否者の支援、長良川河口堰問題や脱原発、メラミン給食食器導入反対、子どもの人権などの市民運動にかかわっていた。80年代後半からは、地域で、農薬空中散布やゴルフ場開発の反対運動など、国と自治体を相手に熾烈な住民運動を展開してきた。地域社会をほんろうし、市民のくらしを踏みにじる理不尽な政策に、「行政も議会も市民のことを考えていない」と憤りを感じていたわたしは、「政治を変えたい」と決意して議員になった。「政治がいのちと弱者の側に立つなら、ひとも自然も侵されることは少なくなるだろう」と。
 「議員として働く」ことは、わたしが望む地域社会を実現するための、力を持たない市民の「ひとつの手段」。政策を実現するためには、議会の風通しをよくすることが不可欠だと考え、まず議会改革に手をつけた。あれから15年、議会や行政は変わったのだろうか?

  「こんな議会にだれがした?」


 「議会はほんらいの機能を果たしていない」。議員になったとき、さいしょにそう感じた。
 市民派議員として先を歩くひともなく、わたしは、「教科書」として渡された『議員必携』と「自治法」を片手に、市民運動で身につけたノウハウを武器に議会の内外で闘った。『議員必携』には、「町村議会の機能を高めるための方策」(83年2月)が書かれていた。加えて99年からは「町村議会の活性化方策に関する報告書(抄)」(98年4月地方議会活性化研究会)の約40項目の改革案も具体的に掲載されている。
 その内容はわたしが言いたいことだけでも、◇議員定数の自主選択、◇定例会の回数制限廃止、◇議決に基本計画の追加、◇議決科目の拡大、◇公社等への関与権付与。◇予算・決算の審議方法・様式の改善、◇議案等の提出要件の緩和。
 発言については、☆一般質問のあり方の改善、☆意見表明権の制限の撤廃、☆自由な討議の保障。住民との関係についても、◇委員会の公開、◇傍聴規則の見直し、◇休日・夜間議会の開催、◇公聴会・参考人制度の積極的活用、◇住民懇談会等の実施、◇住民投票制度の位置付けなど、議員がその気になればできそうなことばかりだ。『議員必携』は、全国の町村議会議員に当選時に支給されると聞く。この半分でも実現したら、議会は生きかえると思うのだが、現実には、20年以上も前の「町村議会の機能を高めるための方策」すら実現されていない。
 つまり、既存の議員たちが議会改革を望まないから、言い換えれば、現状を変えたくない議員ばかりだからこそ、議会は変わらなかった。むしろ、自治体の「議会」を、治外法権と勘違いして、自分たちに都合のよい「変則ルール」をつくってきた。議会改革のいちばんの抵抗勢力は、既得権を守ろうとする議員自身である。
 では議会の現状は、議会ひとりが招いたものか? 行政もまた「機能不全」の議会を容認し、その片棒をかついできたのではないだろうか?行政側は、議会が目を覚まし、本来の機能を取り戻すことを本気で望んでいるのだろうか?
 「議員が無能だから仕事がしやすい」と職員から聞いたことがある。政策案は、議会で議論も精査もされずに議決されていくほうが、都合がよいのだろう。現状は、既得権を守ろうとする議会と行政の関係がつくりあげてきた、というのは言い過ぎだろうか。先進地はともかく、わたしが知る限り多くの自治体では、いまも議会と行政が大きな権力と権限を持ち、モノとカネを牛耳っている。弱い立場の市民は置き去りにされていくばかりだ。でも、議会がみずから変わることが困難だとしたら、市民も現状を嘆くばかりでなく、自治体の当事者として、「議会を変える」努力をする必要があると思う。

 議会を変えるために何ができるのか?


議会は詳細に明文化された「法」のみを「公式ルール」として運営される。しかし、じっさいの議会は、「市民の常識は議員の非常識」の世界。数の論理による会派主義が横行し、慣例や前例、申し合わせや不文律が優先される。
 わたしが「議会改革」として考えることは、@まず慣例を見直し、「自治法」「会議規則」「委員会条例」を遵守して公平・公正な運営をする、A市民にすべて公開して、自由な議論ができる民主的な議会に変える、B議会への「市民参加」を積極的にすすめる、C「市民自治」を実現するために法改正を含めた根本的な議会制度改革をする。
 そのために、何ができるかを考えてみたい。
 議員にすぐできることは、納得できないことには「ノー」と言うこと。議会の構成員である議員は権力と権限を持ち、法的に対等・平等で、議会の中ではいかなる差別も受けない。議会の慣例を変えるには、まず「したがわないこと」。その上で「法律」や「条例」を示し、正攻法で論理的に変えていく。ほんらい議会は、法やたてまえで動くところ。議会で数の論理がものをいうのは、表決のときだけ。だから、法的根拠を熟知すれば、ひとりでも闘うことができる。さらに、民主的な議論と、議会への「市民参加」を確保するには、議会システム自体を見直すことも必要になる。そのためには、議会でロビー活動をすることもできるが、市民に情報を公開し、市民とともに活動することも大きな力になる。議会が違法支出をしているのが明らかなら、住民監査請求をすることもできる。どの議員にとっても、議会改革がすすみ、議会の風通しがよくなれば、水面下で根回ししなくても、政策実現がしやすくなる。
 職員にもできることはあるはずだ。議会で発言しない議員も「わしらも働いている」と言う。その内容は「口利き」。口利きとは、「市民や業者に頼まれた案件について、議員が行政に対して働きかけること」。口利きは議員だけでは成立しない。そこにはかならず、相手が介在する。だから「口利き」や「利益誘導」をなくすには、いっぽうの当事者である行政側(職員)が応じないということで変えられる。ひとりでは難しいかもしれないけれど、「すべての議員からの働きかけごとに文書をつくる」「その文書を市民に公開する」ということで、「口利き」の歯止めになるだろう。職員が、議会や議員のルール違反を見つけたときはどうしたらよいのだろう。「内部告発者制度」があるとよいのだが利用するには勇気がいるだろう。でも、せめて見て見ぬフリをしないで、「そんなことおかしいよ」とつぶやいてほしい。問題は意識化することによって、目に見える形になる。
 自治体は「住民の福祉の増進を図る」ことを基本とし、公務員は「全体の奉仕者」である。職員も「特別職」の議員も同じ公務員として、市民のためにともに働くことができるはずだ。

 市民にできること


 市民にだって、議会を変えることができる。 政治に関心を持ち、選挙で「市民のために働く」議員を選ぶことが第一歩。議会に傍聴に行くこともできる。高額な報酬を市民の税金で支払う議員こそ、第三者の査定評価が必要だと思う。わたしは「市民による市民のための議会ウォッチング」で、議会が法を遵守して民主的な運営しているか、議員が市民の視点で働いているかを、チェックする運動をしている。議会の情報公開をすすめ、市民と議会と行政の関係性を変えることが、「議会を開く」ことになる。
 議会が民主的に運営されていなければ、「請願・陳情」や「直接請求」でルールを変えるよう働きかけることもできる。わたしは「法令の遵守を求める請願」を議会に提出し、採択されたこともある。違法な支出が納得できなければ、住民監査請求・住民訴訟もできる。住民訴訟や情報公開訴訟などの行政訴訟は、自治体の政策を変え、条例や規則などの見直しをうながし、議会や行政を変えていく。問題を見える形で提起することにより、議会があとおいでその問題を取りあげることもある。訴訟は、勝つに越したことはないけれど、たとえ負けても大きな成果をあげる。本誌04年12月号(P38)の「最近の注目判例」に挙げられた最高裁判例のうち3例は、わたしも原告のひとり。そのほとんどは弁護士を立てない本人訴訟(つれあいが選定当事者)だ。なかでも「東海環状自動車道情報非公開取消訴訟」は、逆転勝訴の画期的な判決だった。市民ひとりからの運動が、司法を変え、判例までつくることができるという一例である。

 だれが議会を変えるのか?

 
 ところで、「議会を変えなければならない」「議会はこうあるべきだ」という議論はたくさん見聞きするが、「わたしが議会を変える」という人に、いままであまり出会ったことがない。 名医の処方箋は出尽くしているのに、主治医になろうというひともいないし、患者も治りたがっていないようだ。つまり、議会が変わらないのは、当事者として、本気で議会を変えようとするひとが少ないからだと、わたしは思う。議会で違法を指摘しても変わらないと嘆く議員に、「住民監査請求という手がある」とアドバイスしたことがあるが、できない理由を反論された。本心はやりたくないとしか思えない。
 自分は安全な場所にいて、リスクをおかさず、何かを変えることは難しい。どれが当たるかは、やってみなければ分からない。ノーと言えば、波紋も起きるし、対立も生ずる。相手も危機感を感じているからこそ逆風が吹く。それをこわがっていては何も変わらない。
 わたしは議員も経験し、いまは市民だが、手の届く範囲でできることをやってみると、複合的に変わると実感している。そこから学ぶことや得るものは多かったが、失うものは何もない。 NPO委託や審議会委員など、政策の立案・執行、意思形成過程への市民参加はすすんでいるが、わたしは「意思決定」にこそ、市民が直接参加できるシステムが必要だと考えている。その実現のためにも、現行の唯一の意思決定機関としての「議会」に、ちゃんと目を覚まして働いてもらわないと困るのだ。これがいまのわたしのニーズ。わたしは市民として、議会を変えたい。
 「市民」とは、「わたしのことはわたしが決めたい」すべてのひと。「市民自治=市民派政治」とは、すべての市民が自分のニーズをみずから満たすこと。そう望むすべてのひとが「自治体の当事者」になる。自治体の基本は、「当事者の望む福祉を実現すること」だと思う。
 政治はいままで強者のものだと思われてきた。わたしが実現したいのは、「弱者の政治」だ。
自治体政治は、市民がよりよく生きるための手段である。わたしたちは、地域社会で人間らしくくらすために、みずからのニーズを、自治体の政策により満たすことができる。
 議会も、政治も、変えることができる。
 それをあなたが望むなら。 

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【参考】
『市民派政治を実現するための本』(上野千鶴子・寺町みどり・ ごとう尚子共編著/コモンズ/2004)
『市民派議員になるための本』(寺町みどり著・上野千鶴子プロデュース/学陽書房/2002)
『議員必携』(編集:全国町村議長会/発行:学陽書房)
『当事者主権』(中西正司・上野千鶴子著/岩波書店)
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