「む・しの音通信」51号(P5) 掲載記事
2005年10月16日 中日新聞記事より転載。

−「50歳プラス」を生きる −
がんと闘い 環境を守る

 今大地(こんだいじ)晴美さん−
    女将から敦賀市議に・55歳

 原発の町・福井県敦賀市で、6年前までおでん屋の女将(おかみ)をしていた。今は市議会議員。乳がんで闘病中だが、世の中で「おかしい」と思うことがあれば、それを正そうとする頑張りは健在だ。
 おでん屋は、地元の高校の同級生だった夫の健さんが30年前に開業。今は健さんがほぼ一人で経営。晴美さんは忙しいとき、たまに店に出る。
 大学卒業後、敦賀に戻って結婚して女将になった。子どもは3人。朝から仕入れをして、午前零時に閉店。眠るのは午前2時3時という生活だった。店はにぎやかで、マスコミ関係の客も多く、さまざまな議論が展開された。店での会話をきっかけに、市民劇団の活動にかかわったこともある。
 転機は1995年の秋。店の後かたづけの最中に転倒し動脈を切る大けがをした。「生きるか死ぬか」だったと振り返る。その後の生き方に度胸や覚悟のようなものが見えるようになった。
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 そのころ浮上していたのが市内の樫曲(かしまがり)地区の中池見(なかいけみ)湿地に大規模な液化天然ガス基地を造る計画だった。湿地は希少生物の宝庫であり、環境保護に熱心な人たちが反対運動を展開。晴美さんは96年に設立された「中池見を伝える女たちの会」の代表になった。
 計画予定地内の土地を買うトラスト運動も展開。内外の学者も数多く加わった。運動が実を結んで、最終的には2003年に計画がストップした。
 運動に参加した人たちの間で「市議会は何をしているんだ」という声が広がった。市議会は基地の誘致決議をしていた。晴美さんは仲間とともに市議会の仕組みなどを勉強。97年、中日新聞で女性の市民派地方議員を増やそうという運動の記事を見かけた。普通の女性が選挙に出て議員になるための講座があることを知りも名古屋まで高速バスで通った。 
 地区推薦もなく、政党や組合などの支持基盤があるわけでもなかったが、99年の市議選に思い切って出馬して当選できた。
 それ以後、議会のたびに質問をしている。出たしは「いつも市民派、ずっと無党派の今大地晴美です」と決めている。
 2000年、樫曲地区にある民間廃棄物処分場が許容容量を大幅に超えて産廃を埋めている問題が発覚した。不許可での埋め立て量は全国トップ級。晴美さんは、同問題に取り組む市民グループ「木の芽川を愛する連絡協議会」の世話人になり、「問題を黙認していたのではないか」と、福井県の責任も厳しく追及している。
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 昨年10月、乳がんにおかされていることが分かった。しかも相当に進行していた。だが、さまざまに治療を受けながら議会活動は続ける。がん患者であることを公表。乳がんの治療や検診の充実を求める議会質問もした。
 女性地方議員らでつくる会報の最新号に晴美さんの文章がある。末尾が胸を打つ。「残りの人生を、乳がん患者の早期発見と早期治療の体制づくりに取り組もうと決意している」    
                       (白井康彦)