『む・しの音通信』52号・P4〜7

『都市問題』(東京市政調査会発行)2006年1月号
【特集1】恥ずべき地方政治のジェンダーバランスより

「市民派政治」と女性議員

寺町みどり(女性を議会に無党派・市民派ネットワーク事務局)

小さなまちほど女性議員は少ない。その原因である組織型選挙の改革=市民型選挙を提起するとともに、「女性議員の数」という課題の先であり、元である、地方議会と自治体のあり方を見直す。

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 異色の政治家・後藤新平氏が設立したという「東京市政調査会」から、「地方自治のジェンダーバランス」というテーマの原稿依頼が届いた。聞けば、「女性議員の〈数〉が増えれば、政治が変わり健全な地方自治が実現する」というナイーブな信念など持ちあわせていないわたしを、あえて、執筆者に選んだという。 
 「女性」が議員になれば「政治が変わり健全な地方自治」が実現するのか? 自治体はなんのためにあるのか? 女性議員はだれのためになんのために働くのか? 「女性」議員に政治を変えることができるのか? 女ならだれでもいいのか? 
 つぎつぎに浮かぶ問いに答えてみたいと思う。

● 女性議員をふやすべきか? 

 わたしは女性議員をふやしたい。なぜなら、自治体の「意思決定機関」にこそ、女性の視点、社会的弱者の視点、マイノリティの視点が不可欠だから。
 議会は、自治体のルールや政策、税金の使いみちを議論し決める重要な場なのに、むかしから男の領域と思われていていまだに女が少ない。すべての制度や政策をジェンダーの視点でみなおせば、政策の優先順位はかくじつに変わるだろう。
 また、男女共同参画や介護保険制度などは、当事者である女性が議員になり、自分の住むまちで実効性のある政策としてすすめることができる。
 女の健康と安全に関する政策は、男には代弁することはできない。
 では、女ならだれでもいいのか?
 この問いに対して、わたしは3年前に書いた『市民派議員になるための本』(2002/学陽書房)で、「女ならだれでもよいわけではない」と答えている。その理由として、「ただ女性議員の数だけふえても、女性差別を容認し、強いものが弱いものを支配する体制に賛成し」「政党に所属し、組織の論理を優先する女性議員なら現状は変わらない」と書いた。わたしは、政党や組織に所属せず、かつ弱い立場の市民のためにはたらく市民派の女性議員をふやしたい。
 わたしも1991年から4年間、市民派議員としてはたらいた。それまでは女性、障がい者、子どもの人権、指紋押捺拒否者の支援などの運動にかかわった。脱原発、農薬空中散布やゴルフ場問題などの住民運動も展開してきた。わたしのかかわった市民運動は、ちからを持たない市民の当事者運動だった。わたしたち市民の意思は、法律で認められたどんな直接民主主義の制度をもってしても、政治には届かなかった。
 そのくやしさをバネに、わたしはみずから議会という制度のなかにはいり、当事者としてのわたしの視点、ジェンダーの視点を、制度のなかにダイレクトに持ちこむことで、なかから変えていこうとした。わたしは議員として、弱者の立場にたって発言し、議員の持つ権力を、弱者の利益のために行使した。わたしの足場は、つねに議会の外のフィールドにあり、目線をまちでいちばん低いところにおいた。
 わたしはいま、「無党派・市民派」の女性を政策決定の場に送り、議会での活動を支える運動をしている。

● 議会をどのように変えたいのか? 

 自治体の意思決定機関である議会は、その正統性を確保するために、すべて明文化された法律や規則で運営される。議会は、公選の選挙で選ばれた個人の議員で構成される。議員は法的にすべて対等・平等である。
 しかし、じっさいの議会は、数の論理による会派主義が横行し、慣例と申し合わせで運営されている。議員たちは、独立機関の議会を、治外法権とカンちがいして自分たちに都合のよい「変則ルール」をつくってきた。わたしが知る多くの自治体では、いまも議会と行政が、自己の利益のためにモノとカネを牛耳っている。「昔からの慣例や、発言を制限する申し合わせに困っている」との相談が、現場の女性議員からたくさん寄せられている。女性議員は、議会を民主的で公平なルールに改革しない限り、発言の自由をも制限されることになる。
 女性議員ならだれでも議会の制度や現状を改革するためにはたらくのだろうか?
 保守系の地域選出議員は、女も男もおなじ利益誘導型の価値観を共有していることが多い。また、政党系の女性議員は、会派のしばりにより、自分の意思で賛否を決めることすらできない。女性議員だから議会改革ができるわけではない。議会を変えたいと思っている議員がふえない限り、議会はかわらないだろう。議会改革のいちばんの抵抗勢力は、既得権を守ろうとする議員自身である。
 わたしが「議会改革」として考えることは、まず慣例を見直し、法令の遵守を基本として議会を運営する。発言の制限をなくし、自由な議論ができる民主的な議会に変える。議会を公開して「市民参加」を積極的にすすめる、「市民自治」を実現するために議会制度を根本的に改革する。市民主体で「自治推進条例」「市民自治憲章」をつくる。同時に、「議会」のルールも市民がつくり、市民の利益のためにはたらく議員を選ぶ。
 議会の情報公開をすすめ、市民と議会と行政の関係性を変えることが「議会を開く」ことになる。わたしは議会にこそ、市民や第三者の査定評価が必要だと思う。
 変化は外からやってくる。

● 女性議員をふやすために・・・

 では、現状を変えたい女性議員をふやすには、どうしたらよいのか?
 女性議員が少ない理由のひとつは、女性が立候補しにくいから。市議会議員はふえているけれど、小さなまちほど女性議員の割合は少ない。女性議員がひとりもいない町村もある。とはいえ、立候補さえできれば当選率はむしろ高い。地域にくらす女性への差別や抑圧が強ければ強いほど、現状を変えたいという秘めたる思いもまた強い。どんなまちにも女性を当選させる潜在的な可能性がある。
 なにも持たない女性が立候補でき、かつ、当選しやすくするためには、いままでの選挙のやり方を変えることが不可欠だ。「ジバン・カンバン・カバン」を必要条件とする組織型選挙は女性には不利。わたしは、従来型の選挙とはまったくちがう、候補者のメッセージを、有権者にことば直接で伝えるネットワーク型の「市民型選挙」を提唱し、その手法を本に書いた。選挙にカネや組織がいらないと分かれば、立候補の決意もしやすくなる。じっさいにこの手法で、多くの女性議員が誕生している。
 女性議員が少ないもうひとつの理由は、女性が女性に投票しにくいから。保守的な地域では、自治の基本である「参政権」すら行使しにくい状況におかれている。「地域ぐるみ選挙」や「組織型選挙」では、選挙のたびに動員がかけられ、投票を強要される。女性が、地域や組織のしばりを受けずに個人の自由意思で投票できるようになれば、女性議員はもっとふえるだろう。
 そのためには、従来型の「組織(地域)ぐるみ選挙」の実態を明らかにし、有権者や候補者を威迫(いはく)することが「選挙の自由妨害罪」になることを広く知らせる必要がある。同時に、選挙制度を見なおすことも重要である。いまの選挙制度は、政策・公約などの情報を有権者に伝えるうえで制限が多い。自治体合併後の選挙は、地域代表がでやすい小選挙区ではなく、女性がでやすい大選挙区にすべきだ。さらに、市民の側にも、政党や組織の後ろだてのない女性が地域で孤立しないようにするために、候補者の政治活動を支え支援するネットワークが必要である。

●女性議員になにができるのか?

 当選した女性議員にはなにができるのだろう。個別課題として女性に関係する「男女共同参画」政策で考えてみよう。
 「男女共同参画社会基本法」第9条には、(地方公共団体の責務)として「国の施策に準じた施策及びその他のその地方公共団体の区域の特性に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する」と明文化されている。基本法にもとづく「男女共同参画基本計画」では、「政策・方針決定過程への女性の参画」「制度・慣行の見直し、意識の改革」「高齢者等が安心して暮らせる条件の整備」「女性に対するあらゆる暴力の根絶」「女性の健康支援」など11の重点目標をかかげている。
  議員であれば、だれでもこの「自治体の責務」と「基本計画」を根拠に、「男女共同参画」政策を、自治体の政策に生かすことができる。市民と協力して条例を制定するようにはたらきかけることもできるし、11項目の個別課題について現場で実効性のある政策を提案し、要求することもできる。女性議員が「議会で政策を実現するために発言し」「女性の利益のためにはたらけば」政策の優先順位を変えることもできる。
 とはいえ、女性議員であっても、この政策に関心がなければ、現場での男女平等はすすまない。政策に反対しブレーキをかける女性議員であれば、政策にとっては逆風になる。つまり、女性議員の数だけふえても、「議会でなにも発言しなければ」政策は変わらず、政策に反対する女性議員であれば、政策にとってはかえってマイナスになるだけだ。 おなじように、福祉・介護、教育、環境政策など、いままで男性議員があまり取りあげなかった分野を政策課題とする女性議員がふえれぱ、その政策はかくじつにすすむだろう。 ジェンダーの視点を持ち、政策を変えたいと決心した女性が自治体議員になれば、女性、高齢者、子ども、障がい者、外国人など、弱い立場の市民が望む政策は実現しやすくなる。

● 自治体はなんのためにあるのか? 

 「すべて公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」。議員は「特別職の公務員」であり、市民のためにはたらくことが求められている。自治体の基本は「住民の福祉の増進を図ること」。そのために、市民の法律を決め、市民の税金で、市民のための行政サービスやさまざまな事業をしている。
 みずからのニーズを満たし、自分の力で生きていくことができる市民ばかりなら、自治体はいらないのかもしれない。ウラを返せば、だれかのケアを受けなければ人間らしく生きていけない弱い立場の人にこそ、政治は必要だと思う。
 そう考えると、ただ「女性」議員が増えただけで、「政治が変わり健全な地方自治」が実現するわけではない。既得権を守ろうとする既存の政党や組織に所属する議員や、女性や弱者に不利益な政策をすすめる女性議員には、政治を変えることはできない。
 政治を変えることができるは、市民自治を実現しようとする意思を持ち、かつ、より弱い立場の市民の利益のためにフリーハンドではたらく「女性議員」だ。
 最後に。わたし自身は、制度や政策に「ひと」をあわせるのではなく、生きている一人ひとりの「ひと」のニーズを満たす「オーダーメイドの政策」をつくる自治体システムを実現したい。わたしが望む政治は、市民自治を基本に、市民自身が政策を立案し、行政の仕事を担い、意思決定にも参加し、当事者がみずからニーズを満たすことができる《市民の政治=弱者の政治》である。
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(参考文献)
『市民派議員になるための本』
(寺町みどり著・上野千鶴子プロデュース/学陽書房/2002)
『市民派政治を実現するための本』
(上野千鶴子・寺町みどり・ごとう尚子共編著/コモンズ/2004)