『む・しの音通信』No.54〜P9
【エッセイ】
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「ジェンダー」概念を話し合うシンポジウム
東京都八王子市・甘利てる代
3月25日(土)、男女平等推進センター「りーぶら」(東京都港区)で開催された、『「ジェンダー」概念を話し合うシンポジウム』(同シンポジウム実行委員会主催・イメージ&ジェンダー研究会と日本女性学会共催)に出かけた。熱気にあふれた会場には参加者230人。
そもそもこのシンポジウムが開催されるきっかけとなったのは、昨夏に起きた国分寺市の一件だ。同市が、都の人権教育事業の一環としてすすめていた「人権に関する講座」で、上野千鶴子さんの講演を予定したところ、都教育委員会が「ジェンダーフリーという用語を使う可能性がある」という理由で介入。講座自体が中止となった。その後、都に対する抗議文(賛同者1808筆)を呼びかけた研究者が中心となって企画したものだ。
シンポではまず江原由美子さんが「その背後に潜在的な問題があるものを概念という」と解析し、「ジェンダー概念」がどう使われてきたかのじっさいを語った。井上輝子さんは、東京ウィメンズプラザの事例をあげて、2002〜3年以降における「ジェンダーフリー」攻撃について具体的な説明を行った。
つづいて話した、若桑みどりさんのパワーポイントで示されたバックラッシュ年表は圧巻だった。時系列に示された国・自治体・メディア・政党(自民党)などの動き(仕掛け)を見たとき、バックラッシュが、じつは多面的及び計画的に行われてきたことが一目瞭然であった。この年表は説得力があった。ひとつひとつの動きは歩幅が小さくても、集積すると「攻撃力」である。私たちが知らぬ間に相手は次々と手を打っていたということだ。
1999年に「男女共同参画社会基本法」が成立するのであるが、それ以前から「ジェンダーフリー」の用語を恣意的に使ってのバ
ッシングを積み重ねていた。そして2000年を境に攻撃を加速させていることが、年表では明らかだった。
そのかっこうの攻撃テーマが「性教育」である。ジェンダーフリー=過激な性教育という攻撃路線がつくられた。あとは集中してたたけばいいのだ。やれひわいである、フリーセックスを助長するなどだ。自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」では、性教育批判にとどまらず、公然と「男女共同参画社会基本法」批判にも及んでいる。
日本をダメにするジェンダーフリー教育、過激な性教育、こうくり返し言われたら私たちはどうだろう。なにせ主体となる団体はヒト、モノ、カネがある。組織的にメディア、文化レベルでの宣伝が展開されれば、ほんらいジェンダーが持つ「概念」を認識しないままに、尻馬に乗ることは避けられない。
加藤秀一さんは、本質的には無関係であるジェンダーフリー教育と性教育が一くくりに弾圧されていることは「自分の頭でものを考えること全体への抑圧である」と指摘した。では、攻撃派が望む国民像とは何だろうか。ずばり「家父長制社会のパラダイム」(若桑さん)だ。戦前の家制度を復活させようとするのは「攻撃側の目的は憲法(9条と24条)を変えることです」(丹羽雅代さん)。これを聞いていくつもの点がつながった。戦争への道をまっしぐらに進んでいる。欲しいのは「いいなり」になる国民だ。私はそう思った。
ではこれに対抗できるのか。フリーディスカッションでは参加者とパネリストとの意見交換が重ねられた。現場からの報告は厳しいものだったが、私は悲観的にはならなかった。バックラッシュに対抗できるのはほかならぬ、「ジェンダー」(男女平等や女性の地位向上を超えた何かを持つ)そのものであることも分かったからだ。
シンポ終了間近、上野千鶴子さんからコメントが届いた。「上野の講演を聞いてみませんか? 都の主催または共催の事業に上野を講師に呼んでください。テーマは『男女平等社会をつくる』。企画が実っても、実らなくても、経過をすべて情報公開しましょう」。 新たなネットワークの誕生を自覚した。