『む・しの音通信』No.55(2005.5.25)より
役人のいる場所
上野千鶴子(社会学者)
東京都教育庁生涯学習スポーツ部社会教育課長、船倉正実氏。同課人権学習担当係長、森川一郎氏。同部主任社会教育主事(副参事)、江上 真一氏。2005年から2006年にかけてこの職にあった。
わたしはこの人たちに個人的なうらみはない。だがこの時期にこの職にあったばかりに、この人たちは地雷を踏んだ。自分の踏んだ地雷の大きさに、おそらく気がついていないだろう。
ほかでもない、国分寺市の講師拒否事件のことである。すでに新聞で報道されているが、知らない人のために解説しておこう。
2005年、国分寺市は東京都教育委員会との共催事業に、上野を講師とする人権講座を計画した。テーマは「当事者主権」。講演料について担当者が都に問いあわせたところ、「ジェンダーフリーに抵触するおそれがある」と拒否。事業そのものが実施不可能になった、という事件のことである。原因をつくったのは、国分寺市ではなく東京都だから、これ以降は、東京都事件と呼ぼう。
わたしはこの事件に、1月13日付けの公開質問状を配達証明で送って抗議。わたしが女性学の研究者だから、という理由で、実際に使ってもいない「ジェンダーフリー」の用語を、「使うかも」という可能性だけで排除するのは、言論統制・思想統制にあたる、許せない、という理由からである。これにただちに全国の女性学・ジェンダー研究者、行政および教育関係者が応じて、短期間に1808筆の署名があつまり、1月28日、若桑みどりさんをはじめとする呼びかけ人が、都庁を訪れて抗議文を手渡した。3月25日には「ジェンダー概念を話し合うシンポジウム」がジェンダー関係者を集めて熱気のある盛りあがりを見せた。詳しい経過や情報については、ホームページを参照してほしい。
この事件にはいくつものアクターが関与している。
まず第1は、筋をとおした「準備する会」の市民たち。この人たちは都の介入に抵抗し、講師の変更を拒否、国分寺市から妥協案も排した。この件がオモテに出たのは、国分寺市市民の方たちのおかげである。この人たちは「東京都の人権意識を考える会」を開催し、都に抗議してきた。
第2に、国分寺市の職員の人たち。国分寺市は市民との協働を積み重ねてきており、市民の意向を尊重するように動いた。市民との話し合いを何度も持ち、都とのやりとりを情報公開した。
第3に、取材に動いた新聞記者。1月9日付けの毎日新聞に、船倉氏の発言が出た。これが出たから、わたしは初めて、引用し、反論することが可能になった。こういう発言が新聞という公器に載った意味は大きい。
考えてみれば、これと同じようなことが各地の自治体で起きてはいないか。そしてそれは誰にも知られることなく、闇から闇へと葬られてはいないだろうか? 思いあたることがいくつもある。例えばある地方自治体が主催する社会教育事業に、上野の講演が予定されていた。それを知った保守系議員から横やりが入り、急遽自治体が主催団体から降りることになり、代わって民間団体の主催事業に変えるが予定どおり来てもらえないだろうか、と懇請されたことがある。あいだに立った担当者の苦境を配慮して、わたしは予定どおり出かけたが、会場には行政側の担当者が申し訳なさそうに顔を見せていた。他の同業者から得た情報でも、似たようなことが起きていることを知った。
そう思えば、冒頭であげた三氏は、よりにもよってこんな時期にこの職に就いていたばっかりに、不運だった(?)ということになるかもしれない。
ところで、もし、あなたがその時、かれらの立場にいたとしたら?と考えてみてほしい。この人たちは、石原都政の前から都庁の役人をしており、おそらく石原都政が終わったあとも(石原都知事の現在の年齢では、長期政権は考えにくいから)役人をつづけることだろう。石原都政の前には、都庁の役人の評判は悪くなかった。カリスマ職員と呼ばれる優秀な職員がいて、全国的にも先進的な福祉行政を実践していることは知られていた。無能な知事をいただいても都政が破綻しないのは、これら優秀な官僚たちのおかげであると言われてきた。それが石原都政になってから、行政改革の名のもとに都の女性財団が解散を命じられ、福祉行政は後退を強いられ、都立校の性教育に介入が行われ、君が代・日の丸の通達で卒業式のたびに教師のあいだに処分者が続出する。こんな自治体は全国でも例がない。
石原前/石原後の両方を経験した都の役人たちは、この変化にどう反応しているのだろうか。さらにポスト石原の新政権ができれば、それにまた変わり身速く適応するのだろうか。わたしが実名をあえて挙げるのも、薬害エイズ訴訟であきらかになったように、役人は公権力を行使する位置にあり、その立場にいる個人の作為や不作為で実際に加害や被害が起きるからだ。都政は、「あなた」がつくっている。有名人にな
ったこの人たちの「その後」を、ずっとウォッチしたい。