『む・しの音通信』58号(2006.11.25発行)

女たちの未来  明日へのメッセージ         
上野千鶴子さん発
       闘って得たものは闘って守り抜く

                
 日本のフェミニズムは行政主導型フェミニズムだ、という人がいる。とんでもない。歴史を歪曲してはならない。
 1985年に国連女性差別撤廃条約の批准を前に、滑り込みで成立した男女雇用機会均等法は、関係者にとっては少しも新しくなかった。結婚退職の禁止も、若年定年制の廃止も、それ以前に女性労働者が法廷で闘って勝ち取っていた。大卒女性の採用はそれ以前から始まっていたし、総合職扱いの女性幹部要員も一部の企業ではすでに生まれていた。職場の状況が変わったとしたら、それは法律のせいではない。それ以前に女性が変化していたからだ。法律の内容の多くは、すでに起きた変化を追認するものだった。均等法はそれに、女性がのぞまなかったものを付け加えた。保護の撤廃だ。保護抜き平等で、働けるだけ働いてもらう・・・ネオリベと男女共同参画フェミニズムの結託は、この頃からすでに始まっていたが、これでは少子化が進むのも無理はない。
 80年代には女性センター建設ラッシュと啓発事業ブームが起きたが、それだってすでに民間が先行していた動きに追随したものにほかならない。ハコモノ行政に利用したのは、首長たち。女性は大理石のバブリーな建物をのぞんだわけではなかった。草の根の女性団体が集会場所をつくりたいと、1円募金で建てた大阪市の婦人会館のように、もとはといえばローカルなニーズから始まったものだ。ようやく財団ができ、プロパーの職員が誕生し、女性運動の担い手の中から相談事業の相談員や専門的な職員が次々に生まれていったが、それというのも行政の側にノウハウも情報もなく、民間の力を借りなければならなかったからだ。社会教育事業ももとはといえば、手弁当で集まった民間のサークルから始まった。そしてそのなかから、自分の生活実感を理論化しようと女性学の担い手たちが育っていった。こういう水面下の動きが目に入らない人々は、法と行政の動きだけを見て、日本のフェミニズムを「行政主導型」と呼ぶ。
 今どきの若い女たちは、あたりまえのように大学へ進学し、卒業すれば企業に就職することを選択肢のひとつに入れ、セクハラに遭えば怒る。彼女たちがあたりまえだと思っている権利は、ほんの4半世紀前にはあたりまえではなかった。どれもこれも、年長の女たちが闘って獲得してきたものだ。恩に着せようというわけではない。
 闘って獲得したものでなく、与えられた権利はたやすく奪われる。闘って獲得した権利ですら、闘って守りつづけなければ、足元を掘り崩される。女の元気を喜ぶ人たちばかりではない。「女は黙っていろ」、「おとなしく台所にひっこんでいろ」、「生意気だ、でしゃばるな」という声は、潜在的にはいたるところにある。グローバリゼーションとネオリベのもたらした危機のもとで、保守派はすでに余裕を失っている。そして規格にはずれた女をターゲットにする反動の戦略は、昔も今もホモソーシャルな「男同士の連帯」をつくりだすには、いちばん安直だが有効な手段だ。バージニア・ウルフはナショナリズムを「強制された同胞愛」と呼んだ。「女ではない」ことだけを男性的主体化の核に置く脆弱なアイデンティティの持ち主たちが、「ジェンダーフリー」バッシングというミソジニーを、「よっ、ご同輩」と男同士の「同胞愛fraternity」のために利用するのはあまりにみえすいた構図だ。
 歴史には「一歩前進二歩後退」もあることを、過去の教訓は教えてくれる。未来は明るいばかりではない。というより、「明るい未来」はだまっていてもやってこない。ある朝起きてみたら、こんなはずではなかった・・・と思わないですむために、今、果たさなければならない責務がある。
『女性情報』2006年10月号より