『む・しの音通信』No.60
2007年5月9日発行

07統一自治体選挙特集《わたしの市民型選挙》

                        

                          事務局・寺町みどり

 4月22日深夜、わたしは選挙報道を横目に見ながら、webであちこちのまちの選挙速報を見ていた。電話やメールで仲間から「当選」の報が続々届く。
今回の統一選は市民派女性にとって「逆風」といわれていたが、ふたを開けてみれば、「選挙講座」に出た人は「全員当選」といううれしい結果。これだけでみれば、勝率は10割だ。この結果は、偶然だろうか。わたしはそう思っていない、というか、そうでなければ、わざわざ高い参加費をもらって「選挙講座」をやっている意味がない(笑)。
 わたしは候補者ではないけれど、「わたしの市民型選挙」、つまりわたし自身の今回の選挙の取り組みを考えてみた。
4年前の選挙後、それまでにかかわった選挙の「勝因と敗因」の分析から、当選に必要な要素を整理して「レーダーチャート」を作り、2年前から統一選にむけての「選挙講座」を企画した。1年目は「公選法」「議会/議員とは」「政策とは」などの基礎講座。2年目は、『政策作り』「メッセージの届け方」「選挙本番」などを基本に「チャート」を使ってのワークショップ形式での実践的な講座と工夫を凝らした。そんな中、仲間の選挙で、まさかの落選。公選法やメッセージの効果的な伝え方など、選挙のスキルが伝わっていないことを痛感した。
 3月になり、浅野史郎さんが都知事選に立候補することになり、浅野さんの背中を押したわたしは、勝手連をつくり上京して応援した。
「浅野流」選挙は「市民型選挙」ともちがっていて、選対は宮城選挙の経験者で組んでいた。わたしは浅野さんの当選を願って動いたけれど、けっきょくわたしのノウハウもスキルも生かす場がなかった。選挙を近くで見ていて、デフレスパイラルに陥り、体勢を立て直せないことに忸怩たる思いを抱いていた。
落選の結果を見てあらためて思った。
 「選挙には戦略と戦術が不可欠」「本番はさいしょが肝心」「根拠のない大丈夫は危ない」「思いの強さが人を動かす」。
ということで後半の市町議員選挙では、新人は初日、経験者でも二日目には応援に行った。わたしは今まで「選挙は候補者のもの」と思って、本番は見てかえるだけ、応援演説もしないし選挙カーにも乗らない主義だった。今回は気づいたことは率直にアドバイスし、選挙カーを回したことのないチームの車にも乗り実地で連呼をやってみせて、選挙カーのリズム感を体で覚えてもらった。
 その作戦に効果があったかどうかは、当選した人たちの原稿を読んでほしい。 
 「メッセージ型」の選挙は「ことばがいのち」。精選されたよいメッセージは、「ことば」として確実に市民の心に届く。
選挙って捨てたもんじゃないな、って有権者にも、かかわった人にも思ってもらえれば「私の市民型選挙」は◎である。

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統一選特集〜私の市民型選挙

「選挙はいつも初めて!」
     京都府木津川市・呉羽まゆみ


 4年前の町議選。出版されたばかりの『市民派議員になるための本』(寺町みどり/学陽書房)を片手に、仲間たちと広げた試行錯誤の手づくり選挙。ボランティア選挙で勝ち取った2位。たくさんの支持にうれしさよりも重責を感じ、選挙参謀がそのまま議員活動も支えてくれていた。
2年前の町長交代により、とつじょ起こった市町村合併問題。私は、住民不在の進め方にずっと異議を唱えていた。その後、昨年3月に「合併の賛否を問う住民投票条例」制定を求める直接請求運動、そして議会での条例案否決。市民運動として大きく広がっただけに、無念さ・憤りもひとしお。「しょせん少しまともな議員がいたって、議会はすぐには変わりはしない」。そんな声も仲間からではじめた。議員では変わらない。多数派をとらないと変えられない。首長を出さないと・・・。ぐるぐると同じところで話は回っていた。
やはりここで決断しないと、と仲間の前で議員選挙への思いを語り、よしやるぞ!と、一緒にやろうと意思を示した人とはじめたリーフレットづくり。集まって智恵をだしあい、私たちの思いを形にしていく作業。ああでもない、写真はこっち。12月、毎週水曜日の午後集まることも確定した。その間、「住民監査請求」もした。
議員選挙への疑問を口にしていた仲間は、まちの問題点を広く住民に伝えることが選挙活動につながると言い、一緒に庁舎建設計画の疑問点をニュースにして合併する他の2町にも手配りで配布した。また、市長候補の擁立も最後まであきらめないで運動すべきとも言い、住民投票否決の後に誕生した市民派首長を招いての講演会も実施した。
2月26日が、私たちの選挙の本当のスタート。リーフレットを手配りし、選挙ハガキを仲間から仲間へと広げ、つなげる選挙。議員選挙への疑問を口にしていた仲間とは、距離をとった。
今回は選挙講座で教えてもらっていた「選挙ハガキ(の宛名書き)」を手から手とつなげ、広げるための手法を活用をしようと決めていたから、用意したハガキは5000枚。市議選では、町議の2倍以上、2000枚のハガキを出すことができる。第1次のハガキの締め切り日は、3月20日。まだまだ、枚数には届かない。2次の締め切りを3月30日に設定し、さらにハガキを広げることにした。同時にこのあたりから、宛名が重複しているものを分けていく作業を自宅で行っていた。3度目の締め切りは告示日直前。重複ハガキを一枚にすると、出来上がったハガキは1300枚を超えていた。なんと、手から手へとつないでくれたハガキ、「私も推薦します」と名前を書いてくれた方は、100人をはるかに超えていた。でも、スタートの遅れがひびき、1200枚のハガキが今も残る。
そして、迎えた告示日。20歳になったばかりの息子と二人で立候補届け。ポスター貼りは、200箇所を超える掲示場を、仲間が10班24人で分担してくれて、掲示番号が決まるのをマンション前でまっていてくれた。黄色いスカーフを巻いた人、黄色いTシャツを着た人、そろいのジャンパーは持たないけれど、それぞれの個性が奏でる私の仲間。これから始まる7日間を前に、思わず目頭が熱くなった。
「選挙カーはリズム」。2日目の早朝から来てくれたみどりさんの適切なアドバイス。同乗者のマイク原稿・マイクの持ち方・車の止め方もばっちりアドバイスしてもらい、同乗者から同乗者へとつなげてくれた。
朝7時から駅前で、住宅地を辻立ち演説で、仲間たちとの練り歩きの訴えで、夜の駅での黄色い傘片手に仲間との2時間の訴えと、選挙カーを複合的に使いながらの7日間の選挙。事務担当、ハガキ担当、会計担当、電話担当と事務を分担しつつも、候補者くれはまゆみの思いを尊重してくれる仲間たちとの2度目の選挙は、告示日までの準備の大切さを痛感した選挙だった。選挙費用10万円ちょっと。
 1位当選は、仲間の勝利!

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「手探り選挙を終えて」
兵庫県伊丹市:あいざき佐和子


 まったくの素人、「地盤・カバン・看板なし」で臨んだ伊丹市議会議員選挙。試行錯誤しながら手探りで進めた活動でした。
 子育てを通して社会全体が「変わらなければ」と強く感じ、立候補を決意したのが33歳の冬。選挙まで4ヶ月でした。
 まずは、自分が本当にしたいことを熟考して政策をまとめ、それをもとにリーフレットを作成しました。
1月末に仕事を退職し、2月から本格的に活動を開始。4月の選挙まで約2ヶ月半の勝負です。この期間はスケジュールを「朝→駅で演説、午前中→事務処理・個々面接、午後→スーパーマーケットで演説、夜→駅で演説」と決め、活動を進めました。
 朝夕の駅の演説については、若手の女性が1人でメガホンを抱えて現れ、必死で話すというスタイルが珍しかったらしく、相当目立ったようです。夕方に関しては、活動をしている人が少なく、さらに注目が集まるという状態でした。
 昼間のスーパーは、駅以上に注目の的でした。今まで伊丹市ではスーパーで演説をする人がおらず、最初は不思議そうな顔をされるだけ。私自身もかなり勇気を振り絞っての活動でしたが、「1人で偉いね」「応援するよ」と声をかけてもらえるようになりました。 
 1人で始めた活動の数々に、始めこそ反応が薄かったものの、徐々に「がんばれ」「若い世代に期待する」との応援・励ましの声や、手伝ってくれる方も増えてきて、心からの感謝を感じながらの約2ヶ月半でした。
想像以上に時間がかかったのが事務作業で、はんざつな作業を試行錯誤しながらほぼ1人で進めたため、かなりの時間を要しました。
そしていよいよ選挙戦がスタート。平日は、朝夕は駅で演説、昼は選挙カーで回りながらスーパーやマンション前でスポット演説をしました。土・日は、人が多い駅前やスーパーを中心に演説を繰り返し、最終日は地元を練り歩きました。
 選挙期間中、マイクを持ったのはほとんど候補者の私。可能な限り自分の声で訴えたくて、演説はもちろん選挙カーからのアナウンスも自分でやりました。「私が候補者の○○です」との言葉に、道行く人も足を止めてこちらを見るなど、反応は上々だったように思います。
 テコ入れしたのは、街頭演説での話し方。より親しみやすく、かつ熱く訴えかけられるよう地元の言葉(関西弁)も取り入れながらゆっくり力強く話すよう心がけました。
 試行錯誤しながら怒濤のような7日間を終え、結果は35人中18位(定数28人)で当選することができました。
応援してくださった方、手伝ってくださった方、すべての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。当選後、「期待しているよ」という声を、本当に沢山いただいています。それだけ皆さんの期待を背負っているのだと実感するこの頃です。
初心を忘れず、身近な議員として市民の声を届け、願いを実現させよう、議会や行政を身近なものにしようと決意しています。
活動はこれからが本番。全力で取り組みます!

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ギョウザのおいしさに当選を実感
      東京都江東区・前田かおる


 今回の江東区議選は、定数44人立候補者55人のうち新人が22人、有権者数も3万人増えて35万人へという変化の大きい環境の中で行われました。
 私は2回目の挑戦で、議会改革・政務調査費問題を中心に訴えて、3,083票(前回から1,516票増)で24位初当選を果たしました。そして、4期目をめざして5位当選した、同じく「無所属市民派」の中村まさ子さんとで、ダブル当選をかちとることができました。
 当選が確定したら候補者本人として劇的に泣いたりするのだろうかと予想していたのですが、支援者は感極まってボロボロと涙を流しているのに私本人は実際は淡々としたもので、「自分はとてもさめた人間なのだろうか?」と内心ひそかに考え込んだりしていました。   
 当選3日後に、4年間をずっと見守ってくれていた餃子屋で炒飯と餃子を一人で食べたら無性においしく、「ああ自分はこの4年間、『また落ちるのでは』といつも不安を抱えながらここでいつも暗くギョウザを食べていたんだ、やっとギョウザが普通においしく食べられるようになった」と、この時しみじみ当選の喜びをかみしめました。当選が確定して大きなうれしさが突然来たと言うよりは、重石のようにずっとあった再度の落選への恐怖がようやく取り除かれてホッとした、というのが今の正直な気持ちです。
 当選が決まってから、「今回の勝因は何か?」と何回も聞かれました。けれども結局、「決定打」は特にはないのだと思います。ただ前回と違ったことは、私自身が色々な人の話を聞いて、人と話すことを楽しく思えるようになったことと、4年間の活動の積み重ねだと思います。知らない人と話すのにどこか抵抗感があった4年前の選挙は、やはり自分自身の中で議会を目指す気持ちや熱意が不足していたのだと思います。前回の敗因が自分自身にあるということを、長い時間をかけてですけれども自分の中で受けとめられるようになったことが、あえて言えば、今回の勝利につながったのではないかと思っています。
 また、前回落選した18人の中で再度挑戦したのは私を含め7人で、うち5人(私以外の4人は元職)が今回当選しました。1回であきらめず続けて出たからこそ応援してくれた人も必ずいたことと思います。
 一方で、通信にしても演説にしても、数を多くということは大切だけど、重要なのは数だけではない、ということを強く感じました。  
江東区では朝の駅立ちが今回かなり過熱気味になり、あいさつは朝6時から、場所取りは5時前からという状況が普通にありました。しかし私と同じ駅で、朝早くから駅立ちしても名前の連呼しかしていなかった保守系の人たちはみな落選しました。また自分自身を考えても、今から1年前の街頭演説は、「選挙講座」で指摘された通り、身が入っていなかった、他人事のような演説であったと感じています。とにかく人前に出る機会を増やせばよいというものではない、目の前の一人ひとりに向かって、どれだけ本気で政策と姿勢を訴えるかが大切なのだとつくづく思いました。
 今回の選挙での私の目標は、当選はもちろんですけれども「イライラ・クヨクヨしないこと、体調を崩さないこと」でした。残念ながら選挙期間直前にカゼをひいてしまったことをはじめ、反省点は多々あるのですが、「候補者に笑顔が足りない」と言われた前回に比べて、みんなと楽しく動きまわり、当落が判明する以前に「この選挙をやって良かった!」と思えたことが、今回の一番の成果だったと思っています。
 仲間と一緒に山あり谷ありで過ごしてきた4年間、あきらめずにとにかく走り続けてきたことを、今は心から喜びたい気持ちでいっぱいです。

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シンプル・イズ・ベスト
     福井県敦賀市・今大地はるみ


 「今大地はるみ選挙事務所」がそれらしく体裁を整えたのは、4月13日の真夜中。雨の中、夫とその友人たち4人が、前回も使っていた看板にせっせと色をぬりなおしていた。
おでん屋の屋根の上に、やっと看板がのせられ、事務所が完成。選挙カーにも看板を取り付け、ブルーシートをかけて土曜日には、警察に届ける手はずも整えた。
 運転手もやっと確保、土曜日を除いてほとんどが女性ドライバーになった。しかも選挙カーの運転は初めてという人ばかり。
「M&T企画/選挙講座」に「スタッフがいないという問題」を抱えて参加していた通り、4月に入ってもスタッフはほんとうに集まらなかった。
最終的に、総合レジャー施設の反対運動と、選挙直前に持ち込まれたルーマニアの22歳の女性を母国に帰す運動のメンバーが、マイクや運転を引き受けてくれた。
 4月15日、届出を終えて最初の演説を事務所の前で始めた横では、選挙カーの看板の塗り直しが始まっていた・・・。10時前にようやく出発、初日はスタンスに重点を置いた短めの演説で、中心街や住宅地をまわった。まだ演説を聞きに外へ出てくれる人もあまりいなかったので、94回を達成。
2日目には、みどりさんと知正さんがアドバイスにきてくださって、マイクさんもぐっと上達。これなら500回いけるかもと思っていたが、3日目ぐらいから、表にでてきて聞いてくれる方が増え、演説よりも握手や話す時間のほうが多くなってきた。
 ヘトヘトになり、事務所近くまでやっとたどり着いた最終日の午後7時50分、近所の方たちが表で待っていたので、車をおり、握手しながら事務所まで歩き、最後の演説をした。
結局500回には到達しなかったが、453回を記録、地域や日毎に内容を変えた演説ができ、大満足の選挙だった。
ところで選挙期間中に、わたしの選挙事務所に出入りした人の数は、20人ほど。そのうち、みどりさん・知正さんを含め、敦賀市外からの人は9人。
シンボルカラーののぼりもなければ、事務所内に檄文も貼ってない。おでんやのカウンターにベニヤを貼っただけの質素な事務所には、息子の書道の作品と、来ていただいた人にメッセージを書いてもらう大きな紙が貼ってあるだけ。
入り口の引き戸にはひときわ目立つ大きな字で、「公選法の定めにより〜」のお願い文。(内緒だけど、届けられた立派な檄文の裏を利用しました!) 
「事務所に顔を出せないけれど応援してるからがんばって」という匿名の電話もたくさんいただいた。
滋賀の長浜市から来てくれた友人は、留守番の夫と二人、事務所で数時間過ごし、「はるみさんの事務所は、日本で一番さびしい選挙事務所ですね」といってかえっていったそうである。
選挙事務所に人はいなくても、ぎりぎりの人数のスタッフで、お金をかけない選挙をして、前回より360票増やし、1,485票8位で当選できた。
当選後、スタッフのひとりからメールが届いた。
「議員活動への評価を問うことのみでの真っ向勝負、そして大勝利です。これはほんとうに、誇れることです。これからの4年間もはるみさんらしく、活動してもらいたいです。もちろん、身体に気をつけてもらいながら、ですが。それにしても、他の候補者が事務所に来たら、ショックで立ち直れないかもしれないほど、シンプルな選挙でした」。

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選挙がくれた有権者との素敵な出会い
    愛知県武豊町・小寺きしこ


前回は無投票だったため、今回が2期目にして、はじめての選挙でした。「選挙直前講座」を受講して、ニュースやリーフレットを有権者に届け、選挙当日を迎えました。
 告示日は、届け出、ポスター貼り、出発式など、ちょっと特別な日。徹夜で考えた「連呼」と本人の街頭演説の違いがよくわからず、演説は15回でした。
2日目の朝、みどりさんと寺町さんが来てくださって、見かねたみどりさんに選挙カーに乗ってもらえたことで、選挙カーにリズムがでました。「連呼」原稿を、「導入→スタンス→政策」と基本的な連呼の構成に変え、書き言葉から話し言葉に書き換えていただきました。講座で学んだはずの「街頭演説」も演説になっておらず、寺町さんに励まされながらひとつずつ直していきました。アドバイスは「スタンスを伝え、政策を入れる。自分の思いを語る。連呼と本人の演説を区別するために、名前の前に『私』と入れる」など細部にわたりました。
さらに4日目の夜に、電話で相談してアドバイスをもらったことで、ラストに気合が入り、最終日は12時間乗りっぱなしで、目標の一日100回の演説を達成しました。
 車を止めて演説をするたびに、近くまで来てくださる方、窓から体をのり出して応援する方、学校帰りの子どもたち、とたくさんの方から「がんばって」とエールをもらって、5日間、がんばれた気がします。
 実は、ボランティアスタッフで選挙を支えてもらっているため、選挙のスタート時には、運転手さんもマイクさんも決まっていない日がありました。夜に帰宅してから支援者に電話をし、お願いしました。みなさんの協力があって、最終日は5交代16人が乗車してくれました。有権者のすごくいい反応に、ノリノリで・・、悔いなくできました。
5日間、楽しく過ごせたのは、スタッフのおかげです。私の車いすというハンディを支え、ニュースを持って、町の中をくまなく歩いてくれました。惜しみない行動にうれしくて涙がとまりませんでした。選挙を通じて、新たな出会いもありました。子どもからお年寄りまで、すべての町民に支えられている。必要とされていると実感しました。
結果は、トップと42票差の2位当選。
これまで、争いごとは嫌いと選挙から逃げていましたが、選挙は争いごとではなく、有権者とダイレクトにつながることのできる素敵な時間でした。
下記は、アドバイスをもらって作った私の最終日の街頭演説です。(演説では、「私」の部分を「わたし、小寺きしこ」と名前を入れました)。

「車いす議員の小寺きしこです。5日間、暖かいご支援をありがとうございました。この地で演説をするのは、今回が最後です。
私は、40歳。20歳で交通事故にあい、車いすの生活になりました。
車いすになった時、私は人生をあきらめました。20年前、私を救ってくれたのは、親でも友だちでもなく、障がいのある仲間でした。車いすの花嫁は、今、二人の子どもの母親です。
この4年、武豊町議会議員として、仕事をしてきました。私は、障がい者、高齢者、母親の気持ち、痛みのわかる議員として、次の4年も働きたいと思います。
昨日までの4日間で150回の演説をし、皆さんとお約束をしてきました。武豊町をやさしいまちにするために、さらに4年、私を議員として働かせてください。
皆さんの大切な1票を私、小寺きしこに託してください。」

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自慢できる1票
長野県下諏訪町 青木利子


 私は2年にわたり、「M&T企画/選挙講座」を受講してきた。連続講座を通して、1期目が無投票だったので「選挙をやって議員になりたい」と思っていた。
 町議選の告示日の朝、みどりさんと知正さんが来てくれて、市民型選挙をまったく知らないスタッフにマイクの使い方や選挙カーの回し方を直接アドバイスしてもらったので、スタッフに勢いがついた。この勢いが最後まで続き、仲間の結束へと固まった。
 今回はじめての参加で消極的だった仲間は、途中から積極的に動き、選挙カーに乗ってマイク係りをこなせるようなメンバーになった。本人も「はじめは腰が引けていたが、途中から夢中になってほんとうに面白かった」と言い、ムードメーカーになって活力源として活動してくれた。
 選挙がはじまって2日目、「選挙カーにポスターが貼ってあるのは違反だからすぐ取るように」という連絡が、選挙事務所にはいった。すぐ、みどりさんに連絡してアドバイスしてもらった。町選挙管理委員会に確認したら「選挙カーにポスターを貼るのは違反だ。ポスター掲示板以外には使ってはいけないから、即刻外すように」と言われた。その返事をすぐにともまささんに伝えたら、それは選管の間違いだから再度確認して、ということと同時に、「選挙期間中は選挙カーを止めてはいけない。すぐ、いままでどおり選挙カーを回して演説を続けるように」と注意された。
 その後、町選管の職員が間違いだとあやまりにきた。「選管の間違いによって私の選挙カーが30分にわたり停止したことは、選挙妨害にあたる。その責任を選管はどのように取るのか」という抗議に平謝りだった。この後、選管職員の態度がガラッと変わったのは言うまでもない。
 今回の選挙で一番の不安は「街頭演説」だった。「告示の前に演説の練習をして、本番までにマイクに慣れておくように」とアドバイスがあったので、雪の降る八島高原まで行って練習をしたが、とても大勢の人の心を動かせるような演説ではなかった。それでも回数を重ねることで、私の演説も2日目の午後あたりからよくなった。そして「青木さんの演説が聴きたいから○○の場所で○○頃やって欲しい」という電話もあった。
 最終日、スタッフの前で街頭演説したら、全員が拍手と涙を流して聞いてくれた。スタッフも私も本当に選挙をやってよかったという思いでいっぱいだった。他の候補者が地域を巻き込んだジバン・カンバン・カバンの地域選挙を展開した中で、1日50回を目標に掲げ、告示日から最後まで街頭演説主体の選挙を実践した。今回の選挙でスタッフの心が一つにしっかりとまとまることができた。
 最終日の朝、「今日は3分走って3分演説して100回の演説をします」と宣言した。運転手も守ってくれたので、結果1日74回の演説ができた。5日間の合計は274回となった。
 結果は13位(定数13人)で当選。最後の1秒で「当確」がテレビの画面に出たとき、みんなからものすごい歓声があがった。後々まで語り尽くすほどのハラハラドキドキの選挙だった。
 終わったあと、仲間から「昔ながらの地域選挙しか知らなかったが、今回のような新しい選挙をやってほんとうによかった。これからの選挙は政策と人柄で判断する選挙をしたい」という感想をもらった。また、「他の候補者の票は義理としがらみの1票だが、青木さんの1票は、青木さんをどうしても議会へ送り出したいという思いが込められた大事な1票。だから『わたしは青木さんに入れたよ』と堂々と言える」と自慢してくれた。

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495回の演説に思いをこめて
     愛知県日進市・島村紀代美


 市議会議員になろうと決意してから約半年。いよいよ告示の日を迎えた。
出発式で、まちづくりへのわたしの思いに共感してくれた多くの仲間に見送られ、気持ちの高揚は最高潮だった。このままテンション高くいこう! 初日1回目の街頭演説に立った。スピーカーの音に違和感を感じる。
選挙カーの後ろを伴走してきたみどりさんと知正さんから、音量の調節、演説の立ち位置、また連呼の効果的な言い回し方など、1回ごとに細かいアドバイス。おかげで回数を重ねるごとに少しずつ良くなってきた感覚を持てた。
 2日目、3日目と進むうちに選挙カーにもチームとしての一体感が生まれてきた。「メッセージを届ける」という目的のもと、候補者・運転手・同乗者が力を合わせている躍動感が感じられる。時と場所、住んでいる人々の世代層などを考えながら演説を組み立て、それに対応して連呼の内容も変えていくといった連携がスムーズになってきた。
選挙はがきが多く届いているところを重点的に、しかも時間帯を変えて回ったせいか、「はがきを見せていただきましたよ」とわざわざ出て来てくださる方や、遠くから手を振ってくださる方も多かった。候補者を乗せていない車も多いので、「本人さんですか?」と驚かれもした。反応がよくて、とにかく車に乗りたい、話したいという、焦るような気持ちに駆られる毎日だった。
そして迎えた最終日の午後8時5分前。暗やみの中、最後の演説を終えたわたしに、マンションのベランダから何人もの人が同時に手を振ってくれた。あの感動はずっと忘れない。7日間、495回。1回ごとの演説にまちづくりへの思いのたけを込めた。
結果はトップ当選。事前の準備から、仲間とともに多くの時間と労力を注いだからこそ得られた結果だ。心をこめた演説、一体感のある選挙カーのチームの存在が、大きく影響したのは間違いない。  
わたしは演説で、有権者と約束をした。真価を問われる政策の実現に向け、これからしっかり取り組んでいきたい。

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結果も予想外    
     愛知県長久手町・小池みつ子
      
 
 告示後の5日間はあっという間だった。
予想外の一つ目。「今回はみんな、仕事や親の介護で忙しいので、細々とやることになるかも」との私の覚悟は杞憂におわった。ふたを開ければ40人ほどの人が入れ替わり立ち替わり、選挙カーや後続車についたり、事務所ではがきや地図の整理をしたり、自分の都合をつけての参加。それぞれの持ち場で動き、活気充分。前回と同様20代の若い人たちから70代の方々まで、もちろん私の年代前後の女性が多いが、老若男女、地域もさまざまな町民の方たちと今回も一緒に活動できた。
 二つ目は辻立ちで話をした時の反応。玄関からわざわざ聞きに出てこられたり、マンションのベランダで、聞いて声をかけて頂けた方など直接の反応が前回より目立って感じられた。
 そして三つ目は、結果について。
今回は候補者26人中(定数20)、新しい人が12人。「小池さんはぜったい大丈夫だから、今回は小池さんをサポートしてくれそうな新しい人を応援する」などという声も聞こえ、地盤もカンバンももちろんない私は、「どうなるか読めない」状況だった。選挙はがきの集まり具合も鈍く、1週間前でまだ半分だった。私も仲間もみな「とてもたいへんな状況」という認識をもって臨んだ。だから前回、前々回と同じくトップで当選という結果は、まったく予想もつかないことだった。何と票数も伸びていた。
 準備にかかったのは決して早くはなかったが、日頃出している議会報告通信や最近のリーフレット、ニュースをかなりの人が見てくださっていたことも、この結果に表れたのではと思う。リーフレット配りなどたくさんの人の関わりで、広げることができた。
 有権者数33,000人の町で、今回の投票率は47,25%と前回より低く、あいかわらず県内の自治体の中でも下から2番目だった。「身近な政治に関心を」ともっと訴えていけたらとの思いも残るが、今後の活動の課題の一つとしていきたい。

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街頭演説で選挙を闘う
「む・しネット」の選挙講座を受けて
      愛媛県松山市・阿部悦子


選挙直前になって、迷いながら参加した「む・しネット」の選挙講座、たくさんの学びがあり、実践に役立てさせてもらった。
 私は1995年、今治選挙区で140票差での落選を経験してから、自分が候補者としては4回目、市議と町議の事務局をあずかっての選挙を入れると、10回以上の選挙をやってきた。もう充分分かっているつもりもあった。
 しかし、厳しくまた明快な講座での学習は、新しい発想やアイデァを学ばせてくださった。そのひとつが、「街頭演説1日50回、1回1票獲得作戦」であった。今まで、演説をしてきたものの、そのような具体的な目標を立てていたわけではなく、したがってその内容や時間、回数についても、位置づけが甘かったのだと反省した。
 県議選は9日間。松山・上浮穴選挙区といっても、北は瀬戸内海に小さな6つの有人島がありここは広島県との県境、南は高い山の中で高知県との県境である。ここを選挙カーで走りながら、3分間演説といえども1日50回は、相当に難しかった。
 しかし、記録によると9日間で368回、少ない日でも30回、多い日は60回の演説をすることができた。目標の450回には届かなかったが、1日中選挙カーに乗って演説する毎日は、とても充実していたと感じる。多くの市民に直接会い、初めての出会いを重ねながら、人々から返される政治への期待や思いを、また不信感や無関心も含めて受け止めたことは、今後の議会活動に生かすことができると実感する。
 夕方、暗くなった住宅街で遠くの家から出て聞いてくれた60歳くらいの女性に走りよって「ありがとうございます」と手を握ると「ありがとうございます。よろしくお願いします」と握り返された手のぬくもり。彼女は顔をグショグショにして泣いておられた。お辛い日々を送っている方だったのだろうか。
人気もまばらなある農協前で、演説が終わったとき、農家の方らしき男性が、「よし! あんたしかおらん。入れるけんナ」と言って下さった。高いマンションの前で演説を終えたとき、走り出てきた男性が1輪のチューリップを差し出してくださって、「私が育てている花を今折ってきました。応援しますよ」と言って下さったのも60歳くらいの男性だった。
 そんな出会いを重ねながら、選挙カーと後続車に乗ってくれた仲間たちも、一緒に多くのことを学び感じてくださった。これもうれしいことであった。
いま、6月議会を前に、この選挙で市民派の私に託された多くの人たちの思いをどのように生かしていけばいいのかと考える毎日である。市民運動、住民運動に支えられた今回の選挙、これからもこれらのネットワークを広げ深めながら議会活動をつづけていこうと思う。

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【東京都知事選にかかわって】
みどりさんへの手紙
東京都・荒川ユリ子


私が選挙に関わり始めたのは、20年ほど前に現都議である福士敬子さんの応援をしてからですが、今回ほどあきらめと希望が交互に連なり、最後が新たな希望で終わった選挙は初めてです。
いったんはだめかなと思っていた浅野史郎さん擁立への、みどりさんたちの働きかけについては、本当に感謝しています。あるMLに、「わたしは、浅野さんの擁立を、ぎりぎりまであきらめません」と書かれたのを見て、とても勇気づけられました。待望の浅野さんの立候補ですから、私も「勝手連」として力のかぎり応援しました。しかし、実際には、動けば動くほど、せっかくの浅野さんを生かしきれていないという思いが強くなるばかりでした。
例えば、選挙事務所や確認団体「みんなの力」との意思疎通の難しさ、東京の人には知名度が低い浅野さんを広く知らせるために大きな影響力があるポスターが期待はずれのものだったこと、政党との関係の難しさ、なによりも負けを認識させられたのは、身近な人たちの「あなたに頼まれたら本当は応援したいけど、浅野さんにはインパクトがない。無理かな」という反応の多さでした。投票日まで、あと数日しかないという時に、こんなにも浅野さんのことが知られていないのでは、とても勝つ見込みがないと思いました。
私のクールな目は、「そんなに身体も仕事も犠牲にして無理してがんばったって、もう負けに決まっているのだから、止めたほうがいい」と言います。もう一つの私の心は「このまま、あきらめていいの? 教師をしているあなたの大事な友人たちが、病気になったり、辞めたりしている現実を見過ごしていいの? 子どもたちの未来が決まるような大事なこの時に、沈黙していていいの?」と言いました。99%のクールな目と1%のホットな心がせめぎあいをしていたのが、私の今回の選挙応援でした。
 人口が1200万もの東京で、初めての勝手連型の選挙を経験して、その大変さを垣間見ました。しかし、一方では、そのように人口が多い東京だからこそ、いろいろな分野で専門的な力を持った方もたくさんいましたし、区議や市議レベルでは選挙応援の経験のある方がたも少なくありませんでした。また、今回だけはどうしても手伝わなくてはといって、初めて選挙応援をされた方もたくさん出てきていたのです。惜しむらくは、このようなすごい市民の力をコーディネートする人や組織がなかったということです。もしそれがあったら、もっと接戦になれたのではないか、もしかしたら勝てたのではないかとさえ思います。
 また、今までの選挙応援とずいぶん違ったと思ったのは、メールやネット、ブログ、ケイタイの活躍でした。たくさんの人たちに、どんどん情報を流せるようになったこと、(発信することができるようになっただけでなく、受け取る側にメールやネットを使える方々がたくさんになったこと、それも双方向のやり取りができたこと)このようなツールを手に入れたことは、私たち市民にとって画期的なことだと思います。
選挙が終わった今、思うことはたくさんありますが、まずは浅野さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。あきらめかけていた私たちに希望を投げかけてくれました。そして、浅野さんの選挙のことがなければ出会わなかったはずの多くの人たちと出会うきっかけを作ってくれました。選挙が終わったからすべて終わりというのではなく、今も今回の選挙の敗因を探り今後の市民活動をどのようにやっていくかというホットな議論をする集まりを、たくさんの参加者を得て開けるという事実が、これからへの希望を与えてくれます。これこそ浅野さんの選挙の何よりの成果だと思っています。

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 「月曜評論」信濃毎日新聞 2007.4.30
全国の「東京都化」危機感
                           上野千鶴子


 福井市のユー・アイふくい(県生活学習館)で昨年3月に上野千鶴子・東大教授らのジェンダー問題の著書など約150冊の蔵書が書架から一時撤去された問題で、同年11月に開かれた県男女共同参画審議会の音声記録(電磁的データ)を県が非公開にしたのは不当だとして、上野教授ら13人が17日、県を相手取り、非公開決定を取り消すよう福井地裁に提訴した。

 訴状によると、ジェンダー本撤去問題などが議題と昨年11月の審議会について、原告が記録の情報公開を請求したところ、県は「単に備忘録的なもの」として、音声記録を非公開とした。上野教授は「非公開決定は情報公開の流れに逆行し、県の隠ぺい体質から出たもの」と県の対応を批判した。県は「訴状を見ていないのでコメントできない」としている。
 この問題では昨夏、撤去された本のリストの公開を求めて上野教授らが提訴の準備を進めていたが、直前になって県がリストを公開。一連の対応について、審議会の中で県側は「不適切で反省している」と述べた。
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「この訴訟は、県民にとって情報公開が進むかどうかの要となる。他の自治体にとっても非常に重要な訴訟だ」。原告代表の上野千鶴子・東大教授は、提訴の会見でこう訴えた。
 昨年11月の県男女共同参画審議会で県総務部長から書籍の撤去が「不適切だった」と反省の意が示されたが、その審議会の音声記録は「職員の備忘録的メモ」として非公開になった。
 原告側は「公的備品を使って公務中に審議会委員らの許可のもとに職員が録音したものは、私的で備忘録的メモとはいえない。福井県情報公開条例では当然、公開対象だ」と主張している。
 上野教授は「音声記録の公開を求める一見ささいな問題だが、情報公開は民主主義の根幹。特に公的な意思決定のプロセスである審議会の過程を知ることは市民にとって、当然の権利」と強調した。原告団のメンバーは「自分が聴講して取ったメモと、職員が音声記録をまとめ、県のホームページで公開した議事録では、ニュアンスが違う」と語った。
 会見に同席した原告の今大地晴美敦賀市議は「テープを聞いて審議内容を正しく知りたい。県の隠ぺい体質や事なかれ主義などを改善するきっかけにしたい」と言葉に力をこめた。
(2007.2.18 日刊県民福井新聞)


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2007年「む・しネット」始動!

5月3日午後1時から、岐阜市文化センターで、4月の統一選で当選した「無党派・市民派議員」に呼びかけて、「市民派議員大集合〜当選してからが本番です!」を開催しました。急な企画だったが都合のつく12人がかけつけました。講師は寺町みどり&ともまさ。市民派議員として議会ではたらくために、「む・しネット」始動です!

以下は、当日新聞記事です。

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新人議員ら勉強会
6府県の市町から12人 模擬議会を体験 岐阜
 

統一地方選で初当選した"新人議員"らを集めた勉強会「市民派議員大集合 当選してからが本番です」が三日、岐阜市の市文化センターで開かれた。県内や愛知、三重、福井など6府県の市町から1〜3期の議員12人が参加した。 
 市民グループ「女性を議会に 無党派・市民派ネットワーク」(む・しネット)が主催。事務局の寺町みどり元旧高富町議と、寺町知正山県市議の夫妻が講師を務めた。
 講座では、政党や会派に属さず実りある議員活動を行う方法などをアドバイス。ルールをしっかり学んだ上で、「的確な発言」を重ね、自らの政策実現につなげることが重要だと説いた。
 参加者は、本番で先輩議員を前に物おじせずに自分の意見を主張できるように模擬議会を体験。それぞれが議員役など努め、用意された台本に沿って白熱したやりとりを交わし、議会の雰囲気を肌で感じ取っていた。 (河原広明)
(中日新聞 2007.5.4)
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無党派の新議員 本番へ心得学ぶ
岐阜、県外からも参加
 

 当選はゴールではなくスタート−−。今回の統一地方選で初当選した無党派の新人議員らを対象にした初議会の心得講座が三日、岐阜市金町5丁目の市文化センターで開かれた。元高富町議寺町みどりさんが事務局をしている「女性を議会に 無党派・市民派ネットワーク」が統一選後、恒例的に開いている。参加の大きな条件は政党に属さないこと。県内や愛知県、福井県などから初当選の7人を含む、男女13人が集まった。
 前半は、みどりさんと夫で山県市議の寺町知正さんが「会派に属さずにする議員活動」などについて解説。後半は、模擬議会の形式で、新人議員から「ノーネクタイはなぜいけないのか」「一般質問を一問一答にしたい」などの質問を受けた。想定される反論を考え、どう議論をもっていけばいいのか、議会の慣例にどう立ち向かうかなどについて話し合った。
 愛知県武豊町議の小寺岸子さんは2期目。「自分で四苦八苦していたことを教えてくれて、ありがたい」と話した。
(朝日新聞 2007.5.4)
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当選後が本番です!
市民派12議員が勉強会 岐阜
 

 特定の政党や組織に属さない形での政治参加をすすめる「無党派・市民派ネットワーク」(事務局・寺町みどり旧高富町議)は3日、統一地方選で初当選した無党派・市民派議員を対象に「市民派議員大集合−−当選してからが本番です」と題した勉強会を岐阜市文化センターで開いた。県内外から集まった新人議員を含む12人は4時間にわたって熱い議論を交わし、議会のしくみや市民派議員の役割を学んだ。
 参加したのは東海3県と長野、福井、京都の無所属議員。寺町さんと夫で山県市議の寺町知正さんが講師となって、議会のしくみや議論の方法を説明した。その後、参加者らで模擬議会や「市民派議員として働くには」をテーマにディスカッションを行った。発言内容がテーマからそれると、寺町さんたちからすぐさま注意が飛び、1人1分と決められた発言時間を過ぎるとタイマーが鳴る徹底ぶりに、激しい選挙戦を勝ち抜いた議員らにも緊張が走る。
 勉強会終了後、みどりさんは、「議会は言葉。そして言葉は力です。言葉を使うノウハウやスキルを身につけてほしい」と激励した。福井県敦賀市議で新人ながらトップ当選した前川和治氏(29)は「敦賀以外の話や考え方を聞けて勉強になった。自信が少しついた」。長野県下諏訪町議2期目の青木利子氏も「議会に何年もいると議会に汚染されてしまうが、改めて新鮮な気持ちに戻れました」と充実したようだった。【中村かさね】
(毎日新聞 2007.5.4)
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「福井県『ジェンダー図書排除』究明原告団およ有志」の情報公開訴訟の報告。

「福井県男女共同参画審議会」音声記録非公開処分の取消を求めて提訴
事務局・寺町みどり


 昨年11月2日に開催された「福井県男女共同参画審議会」の音声記録について、職員が録音しているのに、「情報公開条例の対象ではない」という理由で非公開(不存在)処分を受けた。とうてい容認できないので、上野さんと請求者で相談して原告13人で行政訴訟を起こすことにした。原告には「む・しネット」のメンバー8人も入っている。
 2月17日、福井地裁に訴状を提出。事件名は、「福井県男女共同参画審議会音声記録非公開処分取消請求事件」と長い。午後2時からは福井県民会館で、代表の上野千鶴子さん、選定当事者の知正さん、敦賀市議の今大地はるみさんと菅井純子さんと事務局のわたしの6人で記者会見をした。
 記者会見は、最初に事務局のわたしから、訴訟にいたる経過を説明。つぎに、意見書を提出した代表の上野さんが「本件訴訟の意義」を話した。上野さんが話し始めたら、いっせいに記者が立ち上がりTVカメラが回る。今大地さんと菅井さんが、福井県に住む原告としての思いを語り、今回の訴訟の内容を、情報公開訴訟では最高裁で何度も勝訴している選定当事者の知正さんが「マスコミレクチャー」した。
 「各種会議の議事録が作成された場合に、行政機関がその正当性を立証し、住民が真偽あるいは間違いの有無を確認するためにも、録音の記録はきわめて重要。その音声記録が公開される意義はきわめて高いものです」。
訴状の立論構成は骨太の正攻法の力作で、水ももらさぬ万全なもの。
 電磁媒体の「音声記録」が公文書と認められれば、初めての司法判断となり、全国の電磁データの公開がすすむだろう。
(意見書・陳述書は次号掲載の予定)


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初めての意見陳述
      三重県桑名市・小川まみ


 4月25日、「福井県男女共同参画審議会」の音声記録非公開処分の取り消しを求める裁判の第一回弁論で、意見陳述をしに福井へ行ってきた。
 私は、すでに3年前に三重県で会議の録音テープを情報公開請求で、かんたんに手に入れた経験がある。
 三重県では簡単に手に入る録音テープが、何故、福井では公開されないのか全く理解できない。私は、ペーパーレスの時代に電磁的記録も公文書として公開するのは当たり前だと思う。
 そこで、5府県で「男女共同参画審議会」の議事録と電磁的記録を情報公開請求してみた。5府県とも開示だった。
当日、意見陳述をするのは、私と菅井さんの二人。菅井さんは、「ジェンダー図書撤去」のあった生活学習館をよく利用する立場から、提訴にいたった経緯を陳述した。
 私は、福井県の情報公開条例の運用がいかに恣意的であり、県庁が非公開体質であるかを陳述した。最後に「福井県庁の常識は全国の非常識」といって締めくくった。
 傍聴席には、福井県職員やマスコミなどが20名ほどいたことや、菅井さんが、先にスラスラと陳述したので、私の緊張感はどんどん増し、実際には5分もかかっていないのに、とても長く感じられた。
 裁判所の玄関ホールには、思わず写メールしたくなるほどの大きなステンドグラスもあった。撮影が禁止されているのがうらめしい。外で記念撮影しようとしたら、守衛さんが「敷地内での撮影も禁止」と注意しに飛んで来た。仕方ないので一歩踏み出し写真をとったが、数メートルの違いに意味があるとは思えない。裁判所に入るところをマスコミがビデオ撮影した時は、一切注意はなかった。マスコミは撮影可能で、一般人は認めないというのも理解できない。 

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福井県を教授ら提訴
本撤去問題で審議記録公開求め

ジェンダー審議会記録 「音声非公開取消を」
上野教授ら県を訴える 福井地裁


 福井市のユー・アイふくい(県生活学習館)で昨年3月に上野千鶴子・東大教授らのジェンダー問題の著書など約150冊の蔵書が書架から一時撤去された問題で、同年11月に開かれた県男女共同参画審議会の音声記録(電磁的データ)を県が非公開にしたのは不当だとして、上野教授ら13人が17日、県を相手取り、非公開決定を取り消すよう福井地裁に提訴した。

 訴状によると、ジェンダー本撤去問題などが議題と昨年11月の審議会について、原告が記録の情報公開を請求したところ、県は「単に備忘録的なもの」として、音声記録を非公開とした。上野教授は「非公開決定は情報公開の流れに逆行し、県の隠ぺい体質から出たもの」と県の対応を批判した。県は「訴状を見ていないのでコメントできない」としている。
 この問題では昨夏、撤去された本のリストの公開を求めて上野教授らが提訴の準備を進めていたが、直前になって県がリストを公開。一連の対応について、審議会の中で県側は「不適切で反省している」と述べた。
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「この訴訟は、県民にとって情報公開が進むかどうかの要となる。他の自治体にとっても非常に重要な訴訟だ」。原告代表の上野千鶴子・東大教授は、提訴の会見でこう訴えた。
 昨年11月の県男女共同参画審議会で県総務部長から書籍の撤去が「不適切だった」と反省の意が示されたが、その審議会の音声記録は「職員の備忘録的メモ」として非公開になった。
 原告側は「公的備品を使って公務中に審議会委員らの許可のもとに職員が録音したものは、私的で備忘録的メモとはいえない。福井県情報公開条例では当然、公開対象だ」と主張している。
 上野教授は「音声記録の公開を求める一見ささいな問題だが、情報公開は民主主義の根幹。特に公的な意思決定のプロセスである審議会の過程を知ることは市民にとって、当然の権利」と強調した。原告団のメンバーは「自分が聴講して取ったメモと、職員が音声記録をまとめ、県のホームページで公開した議事録では、ニュアンスが違う」と語った。
 会見に同席した原告の今大地晴美敦賀市議は「テープを聞いて審議内容を正しく知りたい。県の隠ぺい体質や事なかれ主義などを改善するきっかけにしたい」と言葉に力をこめた。
(2007.2.18 日刊県民福井新聞)


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インフォメーション

2007年第1回「議員と市民の勉強会」
●テーマ「議会で市民派議員として働く手法を身につける」
●日時:5月26日(土)13時〜20時
オプション27日(日)9時〜14時
●会場:「岐阜市民会館」(岐阜市)
講師・寺町みどり&ともまさ 

《参加者》無党派・市民派の議員と市民
《参加費》会員1万円/会員外2万円
《締め切り》5月13日(日)
《担当スタッフ》小川まみ      
申し込み先は寺町みどりへ。
【セッションの内容】
@「議会の基本を知らないと議員活動は安易に流れる」議会とは/議会の議案とは/本会議と委員会/審議・審査の手法
A「的確な発言が効果を生む〜論理的説得力を身につける」発言とはなにか/発言の原則と手法/質疑と一般質問の違い
B「一般質問の組み立て方」問いを立てる/獲得目標を設定する/解決への道筋と手法/一般質問をシミュレーション。
【オプション講座】27日9時〜14時
「議会で抱えている問題」の解決方法

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【「議員と市民の勉強会」今後の予定】

(会場はいずれも、ウィルあいち)
第2回  7月28〜29日(土・日)
決算審査を使いこなす〜予算へつなぐ
第3回 11月10〜11日(土・日)
第4回 2008年1月下旬(未定)
  
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【「規約改正」のお知らせ】

議員会員が入会しやすいように、5月3日のスタッフ会で規約改正をしました。
●第4条(会員の構成)
改正後
「政党や政党系会派に所属せず」
●第6条(会計)
改正後「
A議員の年会費は、市議会議員は30,000円、町村議会議員は20,000円とする。
年度中の入退会についても同額とする。」(賛助会員2万円は廃止)
(事務局・寺町みどり)  

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【会計からのお知らせ】

議員会員の会費を報酬スライドから、一律の年会費に変更して値下げします。
 
●市議会議員 :3万円 
 ●町村議会議員:2万円

「む・しネット」の活動は会費で運営しています。
趣旨に賛同いただける方の入会をお待ちしています。
会員は会費の納入をお願いします。(会計・小川まみ)

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《編集後記》
統一選で、仲間の選挙講座の受講生が全員当選。
それもかなり上位ばかり。全国的にも、女性議員の数は都議
7.5%、政令市議17.9%、市議14.0パーセント、町村議
8.4%と過去最高。質も量も大事、ということで、休む間もなく
5月の勉強会の準備にに突入。
議員の皆さんも休んでるヒマはありません(笑)。
通信発行は、「女は産む機械発言」への抗議、福井事件の提訴、
東京都知事選などで飛んでしまって、3ヶ月ぶりです(みどり)。

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