『む・しの音通信』66号 P8〜11
(2008.7.25発行)

-DV被害についての講演が突如中止に?!-
  つくばみらい市講演中止とジェンダー攻撃
       上野千鶴子[東大大学院教授]


 最近は大ベストセラー『おひとりさまの老後』の著者として知られる上野千鶴子さんだが、バックラッシュ派の攻撃とも闘っている。つくばみらい市講演中止事件の経緯を聞いた。


■街宣抗議を受けたその日に中止を決定
 
 事件は1月16日の午前中に起きました。
 1月20日に茨城県つくばみらい市主催で平川和子さん(東京フェミニストセラピィセンター所長)の、DV(ドメスティックバイオレンス)をテーマにした男女共同参画講演会「自分さえガマンすればいいの?――DV被害実態の理解と支援の実際」が予定されていました。それが直前中止になってしまったのです。
 1月4日に「DV防止法犠牲家族支援の会」と称する団体が、つくばみらい市に講演中止の要望書を提出。それを受け、11日に「主権回復を目指す会」の代表、西村修平という民族派活動家ら数名がつくばみらい市役所を訪れ、担当者を呼んで講師の平川和子さんを「思想的に偏った講師だ」などと誹謗中傷し、「反対派の発言の機会を保証せよ、それができないなら中止せよ」と迫りました。16日にも市役所前で街宣活動を行ったのですが、なんとその日のうちに市は中止を決定、平川さんに報告したのです。後日私たちが市に確認したところによると、この中止決定は市長の判断だということです。
 この情報がネット上に流れ、由々しい事態だという認識が広まりました。
 ひとつは、ごく少数の者による威嚇で簡単に公的な事業が取りやめになるなら、今後同じようなことが、またいつ起きないとも限りません。この事件そのものももちろん言語道断ですが、他の自治体に波及するおそれもあります。
 もうひとつは、講演内容がDV防止をテーマにしたものだったことです。折しも、昨年再改正されたDV防止法が1月11日に施行になりましたが、改正の骨子は2点あります。第一はこれからのDV被害者支援が市町村を拠点として行われることになる、その方向性を示した点。第二はDV被害者の安全確保のみならず、その家族と支援者の安全確保を盛り込んだ点です。これが施行された矢先の講演会を、そんな簡単に、暴力的威嚇に屈してとりやめたということは、被害者支援の責務がある自治体への信頼を根幹から揺るがすものです。被害者は、そんな自治体に支援を求めようと思うでしょうか?
 
■「暴力に屈した」つくばみらい市に抗議
 
 DV被害者支援に関しては、全国女性シェルターネットの人たちが、かなり以前から各地で様々な活動を蓄積してきました。その人たちの間で「今後も同じようなことが起きるのではないか」と強い危機感が生まれました。これは看過できないということで、抗議行動をおこすことにしました。
 直ちに抗議文を起草し、平川さんとも連携をとりました。平川さんがつくばみらい市宛てに出された意見表明では、市が「暴力に屈した」と認識しておられます。私もそれを引用して、「暴力から被害者を守る責務のある自治体が少数の暴力に屈したことは許せない」として抗議文を起草しました。1月21〜28日の一週間、ネット上で署名運動をしました。ちょうど2年前に私自身が関係した「国分寺市事件」【注1】の経験があったので、そのノウハウが生きました。署名は一週間で2621筆集まりました。
 私がこの抗議行動に関わったのには2つ理由があります。国分寺市事件の当事者として、今回同じ立場に立たされた平川さんを支援したいという理由がひとつ。それから、国分寺市事件の支援の中心にいたのが、先日亡くなった若桑みどりさんでしたが、彼女が生きておられたらどうなさっただろうかと考えたからです。若桑さんが東京都に持っていった抗議署名は、3日間で1808筆集まったものでしたが、そのとき彼女は「上野さんを孤立させない」とおっしゃってくださいました。私も今回、当事者である平川さんと連携しながら、平川さんを孤立させない、という思いで支援しています。平川さんは公開質問状を、2月1日を回答の期日として、つくばみらい市長宛に出しました。
 私たちは署名を持って、2月1日につくばみらい市に行きました。市長は出てきませんでしたが、応対した海老原茂総務部長と森勝巳秘書広聴課長に抗議文を渡し、「一度中止と判断したことは間違いだったことを認め、平川さんの講演を開催してほしい」という要望を伝えました。やりとりのなかで最初は、講演会を今後やるかどうかは「検討中だ」と答えていたのですが、追及すると「まだ検討は始めていない。これからだ」と言をひるがえしました。結局その日明らかになったのは、中止の意思決定をしたのは市長だということと、講演会をやるかどうかはこれから検討するということ、そして結論が出たら私たちに知らせること、この3つでした。
 この日市役所には、今回の事件を聞いて立ち上がった長田満江さんら地元の女性団体の方たちも団体署名を集めて、同行しました。長田さんたちは「地元住民として恥ずかしい。つくばみらい市の『みらい』の名が泣く」とおっしゃっていました。

■波及効果が出る中、長岡市は講演会実施
 
 その後、この中止事件には恐れたとおり波及効果があらわれました。茨城県立茎崎高校では「デートDV出前講座」が1月28日に予定されていましたが、直前になって高校側が中止を決めたのです。混乱があると困るという理由です。その理由に「つくばみらい市の判断を重視し」という文言がありました。自治体の決定にはそれだけの影響があるのです。
 それから迷走もありました。市が平川さんに中止を口頭で知らせたときには、「参加者に危険が及ぶ恐れがある」からだと、担当者がはっきり言ったそうです。それは平川さんの意見表明に引用されていますし、私たちもそこから再引用しています。メディアでも、産経新聞つくば支局による記事には「市民に危険が及ぶ恐れがある」とあります。ところが、西村側はつくばみらい市に、その後ただちに抗議をしたのです。
「『市民に危険が及ぶ恐れがあったので中止を決めた』というふうに秘書公聴課はおっしゃってるそうですが、これ具体的にどういうことを指しているんでしょうかねぇ」という電話でのやりとりがネットにアップされていますが、なんとそこで、市の担当者が「危険」という認識を取り消す対応をしてしまいました。彼らはまた産経新聞社にも、記事の訂正を求めました。「目指す会」のHPによると、担当記者は、「市の言い分をそのまま書いただけだ」と突っぱねたそうですが、後で水戸支局長が謝罪したと伝えています【注2】。
 その後「主権回復を目指す会」のHPにこんな文章が載りました。「市の、その場しのぎのデタラメなコメント」によって「主権回復を目指す会とその支援者は『危険を及ぼす』という看過できないレッテルを貼られ、家族共々計り知れない社会的信用の失墜を受けている」というものです。「市の、その場しのぎのデタラメな」対応ということなら、全面的に同意します(苦笑)。市側が「危険」という認識をとり下げたことを根拠に、彼らは「偏った講師による間違った講演会だから中止したということを認めろ」と市に迫りました。
 市はその対応に苦慮していましたが、他方で私たちから「中止するならばその中止にどういう合理性があるのか説明せよ」と説明責任を要求されました。市は対応に迷走をしたばかりに、反対派に対しても、私たちや平川さんに対しても、より困難な説明責任を負ってしまったわけです。より傷を深くしてしまったことになります。こういう事態を避けたければ、毅然として一貫性のある対応をすればよかったのです。
 それに関連してもうひとつ動きがありました。1月27日に新潟県長岡市主催で平川さんの講演会が予定されていました。新潟県内在住の元参議院議員の黒岩秩子さんが、つくばみらい市の情報をすぐに長岡市長に届けてくれました。市長から「毅然とした対応をする」という答えを引き出し、市長直々に市の担当者に指示があったそうです。管轄の警察署に連絡をして、万全の態勢で臨みました。入口のチェックを厳しくして事前予約者以外は入れなくしたそうです。それ自体がいいことかどうかはまた別ですが、つつがなく講演を終えました。反対派はネット上で「次は長岡だ、抗議行動を集中しよう」というキャンペーンを張り、長岡市にはFAXやメールで抗議が100通ほど寄せられたそうです。当日、「DV防止法犠牲家族支援の会」を名乗る野牧雅子以下約10名が会場に来て不規則発言をしたということはあったものの、無事講演を実施したとのことでした。自治体の対応によって、とりわけ首長の姿勢しだいで、これだけの違いが出ることがわかります。

■内閣府など主務官庁にも申し入れ

 今回の事件は、予定がドタキャンされたことで表に出たものですが、あらかじめそもそもそういう企画を立てないという方向に自主規制がはたらくようになってしまうことを、私たちは恐れています。そんなふうに自己規制が広がっていくことで、改正DV法の出鼻を挫くことにならないかと危機感をもっています。
 そこで私たちは2月12日に「改正DV法の徹底を地方自治体に求める院内集会――DV被害当事者支援をすべての地域で」と題する院内集会を、参議院議員会館で開催しました。参加者は約100名、新潟や岐阜、鳥取、北海道など全国各地から参加いただきました。議員は12名(自、公、民、社、共)、秘書による代理出席は4名。DV防止法の4つの主務官庁、内閣府、厚生労働省、警察庁、文部科学省からも担当者が出席しました。
 実は2月1日にも、私たちはつくばみらい市に行ったその足で、午後霞が関に行き、4つの主務官庁めぐりをしています。そこでヒアリングしてわかったのは、つくばみらい市には1月16日以前から中止を求める抗議のメールやFAXが来ていたが、講演会は予定通り進めると、市が内閣府に報告していたとのことです。内閣府の担当者は「予定通り実施してください」と応対しています。その後16日に中止の決定をしたことについては、つくばみらい市は内閣府に報告をせず、内閣府は事後的に知ったということです。
 私たちは内閣府に、つくばみらい市の件と長岡市の件を報告して、自治体の対応にこれだけ温度差があるのに指導しないのかと尋ねましたが、「政府として自治体への介入はしない」という額面通りの答えが返ってきました。
 主務官庁、とりわけ内閣府と法務省に対して私たちは、介入ではなく情報提供をしてほしいと伝えました。自治体の担当者はそんなにたくさん情報を持っていないし、経験もありません。だから不安を感じてどうすればよいか困惑している職員もいると思います。もちろん情報提供によって、自主規制に走るなどマイナスに出てしまう可能性もあるでしょう。けれどどんな情報でも、ないよりはあったほうがいいと思います。
 「DV防止法犠牲家族支援の会」は、ネットで読むととんでもないことを主張しています。「普通の夫婦の間に軽度・単純・単発的な暴力は有って当たり前」そして「家族破壊法=DV防止法」と。家族を破壊しているのはDV防止法ではなくDVという暴力そのものです。壊れた家族から女性が逃げているんです。また、暴力が「軽度」かどうかは、暴力を行使する側が判断することではありません。セクハラもそうですが、立場によって受け止め方が違う。加害者と被害者の間に大きな認識のギャップがあることは、様々な調査データからも明らかです。
 ちなみに、つくばみらい市は講演会に先立って、市民を対象にした男女共同参画基本計画策定に関わる意識調査を実施しています。その中にDV経験率についての項目もありますが、それによると「平手で打たれたことがあるか」「げんこつで殴られた、または足で蹴られたことがあるか」という質問に対して「1〜2回ある」「何度もある」と答えた人が、合わせて10%を超えています。そういうデータがあるにもかかわらず、私たちの受けた感触では、担当者は事態の深刻さを自覚していないように思いました。
 
■バックラッシュに抗する大きな波を
 
 2月12日の院内集会では、主催者側を代表して戒能民江さんが最後の挨拶を締めくくりました。そこで「これまで私たちはバックラッシュに対してモグラ叩きをやってきた」が、これを機会にバックラッシュに対抗する波をつくりたいと決意を表明しました。
 バックラッシュの標的がとうとうDV法にまで来たかという感慨″を感じます(苦笑)。彼らのターゲットは、男女共同参画社会基本法の廃止です。「美しい日本をつくる会【注3】」はすでに、公然とそれを目標に掲げて運動しています。
 以前私は『創』06年11月号に「バックラッシュ派の攻撃の本丸はジェンダーだ」というタイトルで福井県と国分寺市の事件について語りました。当時バッシングの対象は「ジェンダー・フリー」という用語でしたが、最近では「フリー」が取れてしまって、「ジェンダー」そのものが攻撃にさらされています。ちなみに、私のこの記事は『世界日報』のコラムニストもちゃんと読んでいて、引用していました、このタイトルはよくわかっているって(苦笑)。
 安倍政権が登場したとき、バックラッシュ派が勢いづいて、私たちの危機感は非常に高まりました。ところが安倍がコケたことで今度はバックラッシュ派の危機感が強まっています。福田首相は官房長官だったとき、男女共同参画担当大臣でした。福田はいわゆるフェモクラット(フェミニスト官僚)の庇護者であると思われています。福田政権が発足したとき、林道義のブログでは「安倍政権下で息を潜めていたフェモクラットたちが、福田政権の登場によって息を吹き返すかもしれない、危険だ」という趣旨のことが書かれていました(苦笑)。大変わかりやすい反応ですよね。
 この1〜2年、ジェンダー攻撃の動きには、どの事件にも同じ顔ぶれが出てきます。実際に抗議行動をしているのはごく少数の人たちなんです。実際には大きな勢力ではないのですが、そこに付和雷同する人たちがいるから声が大きいように見えてしまうのです。そうした影に怯えて、自治体がDV防止法をめぐる講演会を自主規制するような動きが広がることを、私たちは危惧しています。
 ちなみに、男女共同参画推進条例を制定した後に、アクションプランで「女性学、ジェンダー学など特定の研究を支援しないように」という限定つきの請願を議会で採決してしまった松山市【注4】でも、福井県【注5】と同じように、ジェンダー関連の図書撤去があったとの話を聞いています。
 安倍政権がこけたからと言って、バックラッシュがなくなったわけではありません。各地の草の根で、似たような動きがくりかえし執拗に登場しています。大阪では橋下府知事が誕生して、ドーンセンターが危機に直面していますし、私たちの闘いはまったく気が抜けません。(談)
【プロフィール】上野千鶴子●東大大学院人文社会系研究科教授。最新刊『おひとりさまの老後』が70万部を超えるベストセラーに。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【注1】2005年、東京都国分寺市が都の委託で計画していた人権学習の講座で、上野さんを講師に招こうとしたところ、都教育庁が「ジェンダー・フリーに対する都の見解に合わない」と委託を拒否した。都は04年8月、「ジェンダー・フリー」の用語や概念を使わない方針を打ち出したが、上野さんは学問的な見地から、「ジェンダー・フリー」という用語を使うことは避けていた。詳細は本誌06年11月号を参照。
【注2】本誌編集部が産経新聞社に確認したところ、支局長は謝罪したわけだはなく、「目指す会」に電話し、事実経過を丁寧に説明したところ会側も納得した、とのことだった。なお、同会の当該HPは、
http://homepage2.nifty.com/shukenkaifuku/KoudouKatudou/2008/080122.html
【注3】伊藤玲子(前鎌倉市議会議員)や桜井裕子(ジャーナリスト)らが共同代表。
http://www.utsukushii-nippon.org/
【注4】愛媛県松山市では03年に男女共同参画推進条例を施行。同条例の運用基本方針として、男女の特性の違いへの配慮を求めた請願が07年12月、定例市議会で採択された。
【注5】06年4月に、福井県でフェミニズム関連の書籍を大量に撤去していたことが発覚。詳細は本誌前掲号を参照。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(月刊『創』2008.5月号より転載)