『む・しの音通信』『む・しの音通信』66号
(2008.7.25発行)


「初心にかえろうよ!」
          事務局・寺町みどり

 6月18日午後1時から、今年初めての「む・しネット」スタッフ会を開催した。 
 昨年は、上野千鶴子さんを招いての「さまざまなマイノリティが生き延びるために」の公開フォーラムも、年4回の「議員と市民の勉強会」も「む・しネット」の主催事業だったので、会計に関することや、ひととおり担当スタッフから前年度事業の報告と反省をしたあと、「さて今年度事業をどうしようか」、という話になった。
 「む・しネット」は、「@やりたい人がやる。やりたくない人はやらない。Aやりたい人はやりたくない人を強制しない。Bやりたくない人はやりたい人の足をひっぱらない」を基本3原則とし、「個人の主体性を第一として、既存政党と一線を画して」活動してきた。
 とはいえ、「言うはやすし、行うはかたし」。今年になって、「やりたい人」のはずの運営スタッフが、わたしも含めてバタバタと体調不良におちいり、『む・しの音通信』の発行もとどこおってしまった。
 「む・しネット」発足から足かけ8年。年4回続けてきた「議員と市民の勉強会」合宿も「やってほしい(参加したい)人」は多いけれど、自発的に「やりたい人」は少ない。4年に一度の選挙のたびに、議員会員は増え顔ぶれも一新。勉強会で力をつけた巣立っていった人も多い。「市民派議員としてちゃんと議会で働くために」という所期の目的は達成したけれど、プロジェクトや運営に携わるスタッフのなり手がいないのが現状。
 わたしは、「ニーズがある人がやるのがいちばん」だと思うのだけど、手を挙げる人はいなくて、内容は高度で専門的になりスタッフの負担が重くなるばかり。「勉強会」は、ずっとM(みどり)がプロデュースしてきたが、そろそろ息切れしてきた。
 ということで、今年度は、もう一人の講師のT(知正さん)が「M&T企画/議員としてのスキルアップの連続講座」を企画・提案して、全国の市民派議員および立候補予定者に広く呼びかけ、「む・しネット」が共催、という形をとることになり、プロジェクトスタッフとして、島村きよみさんと小川まみさんが手を挙げた。この方式は、一昨年の「M&T企画/選挙実践スキルアップ講座」と同じ。「む・しネット」は会場費を負担するだけで、独立採算制なので講師料は出来高払い(笑)。
 この「プロジェクトスタッフ方式」は、会員が2名以上で提案すれば、規約に反しない限り、自動的に「プロジェクト」になるので、だれでも手を挙げることができる。
 8年目にして、新年度スタッフ会の開催時点で、「む・しネット」主催事業はなし、という異例のスタートとなった。
 「ピンチはチャンス」。
 今まで、「プロジェクト」は運営スタッフが承認する、という手続きを踏んできたけれど、運営スタッフを決めずに、「プロジェクトスタッフ」だけで意思決定をし運営する、よい機会なのかも知れない。
 高い会費を払っている会員の皆さんは、やりたいプロジェクトを提案するチャンスだと思うのだけど・・・。
 「初心にかえろうよ!」


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   「薬害C型肝炎」とわたし   
          岐阜市・新田幸子


 今から17年前(1992年)、50歳検診で肝機能の異常が見つかった。数値が3桁、昨年までまったく異常がなかったのになぜ? まさに晴天の霹靂だった。異常値が6ヶ月続いたところでC型ウイルスによる慢性肝炎(以下「C肝」)と診断された。とりあえず週に2回「強力ネオミノファーゲン」という注射を続けることになった。週2回の静脈注射は楽なようだが、血管が硬くなってくると結構つらい。感染症などで薬を飲んだりするとすぐ数値が上がる。すると注射の回数が増える。なぜこんな病気になったのだろう?
 1996年にHIV訴訟の和解が成立し、被害者の9割以上がHCV(C型肝炎ウイルス)にも感染していることが分かり、その中でフィブリノゲン製剤が注目され始めた。この製剤は1964年に製造が始まっており、手術やお産で出血が止まらない人にもかなり使われていた。これだったのだ!
 わたしは1969年に出産し、その際、弛緩性出血を起し、止血のために長時間点滴を受けていた。主治医や知り合いの医師にそのことを話すと、「あなたのC肝は99%フィブリノゲンが原因でしょう」といわれた。しかし、出産した病院はフィブリノゲン製剤納入医療機関に載っていたものの、医師は亡くなり廃院となっていた。
 このフィブリノゲン製剤は、アメリカでは効力に疑義があるということで、1977年にFDA(食品医薬品局)が承認を取り消している。にもかかわらず、日本ではその後20年にわたって使われ続けてきた。この違いはどこから来るのだろう。日本政府ならびに製薬会社の人命軽視にほかならない。
 ある日すっかり成長した息子がぽつんと言った。「お母さんはぼくを生まなければこんな病気にならないで済んだんだね」。
 わたしは一瞬ことばを失った。
 「ぼくは肝移植も考えている。必要なときはいつでも言ってね」。
 この病気は、こんなかたちで息子の心まで苦しめていたのだ。
 2002年、薬害肝炎訴訟が提訴され、原告の方たちが病身をおして裁判を闘ってこられた。6年に及ぶ闘いののち、今年1月「薬害肝炎被害救済法」が成立し、新聞やテレビに「全員救済!」の文字が躍った。わたしはC肝であることをカムアウトしていたので、友人たちから「よかったね。おめでとう!」と声をかけられたり、電話がかかったりした。その度に「法律の対象は裁判を闘ってきた原告さんで、わたしは証拠がなくて提訴できなかった」というと「えっそうなの。あの全員救済は肝炎の患者さん全部だと思った」という人が多かった。
 血液製剤や、注射器の回し打ちなどで肝炎患者は350万人ともいわれている。こんな事態を招いた国の医療行政や製薬会社の責任を糾していかなければならない。そして、二度と薬害による被害者が出ないよう、ことばだけではなく、実態の伴った「薬害の根絶」を目指していかなければならない。
 わたしはさまざまな代替治療が功を奏しているのか、今日まで生きてこられた。しかし、これからも血液検査、エコー、年に1〜2回のMRI、CT、胃カメラ。そして日常的に注射、投薬は欠かせない。今までどれだけの医療費をつぎ込んできたことか。怖くて計算できない。
 いまいちばん不安なのは、年金暮らしの中で医療費がいつまで捻出できるかだ。確かに、4月1日からインターフェロン治療に助成金が支給されるようにはなった。しかし、この治療は副作用がひどく、効き目もかなり個体差があり、わたしのように治療できない段階の人も多い。
 いま、裁判に続いて原告・弁護団が中心になって、医療費の助成を求める運動が展開されている。また、今国会で「肝炎対策基本法案」が継続審議になった。秋の臨時国会では患者サイドに立った改善策を盛り込んだ法律として、ぜひ可決成立させて欲しい。
 いのちには限りがあるのだから。


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  人生を生きるという意味・・・
   元ハンセン病療養所で出合った人
      東京都八王子市・甘利てる代


 「屋我地島」。この周囲わずか20キロの小さな島は、沖縄県名護市にある。島を訪問したのは昨年のことだ。なぜ行きたいと思ったか。ここは元ハンセン病療養所、現在「国立療養所沖縄愛楽園」だからだ。那覇市から北東に80キロ、名護市を通り抜け、さらに進むこと25分。沖縄海岸国定公園の近く、羽地内海に浮かぶ「屋我地島」がある。
 島は一本の橋で沖縄本島とつながっている。橋を挟むように左右に、東シナ海と羽地内海が広がる。橋は1953年、つまり第2次世界大戦後にできたものだ。それまでは屋我地島は正真正銘、南海の「孤島」だ。この島に社会から隔離されて送り込まれたのが、ハンセン病の患者だった。沖縄本島の各地からと八重山地方の離島から名護に送られ、さらに羽地内海をくり船や蒸気船に乗せられて運ばれてきたという。
 沖縄愛楽園(以下、愛楽園)には、昭和13年(1938年)の開設時から平成8年(1996年)に「らい予防法」が廃止されるまでの間、実に10111人の人々が送り込まれた。
ハンセン病は、らい菌による慢性の感染症であるが、単なる接触では感染せず発症率が非常に低い疾患である。しかし、国は1907年(明治40年)の「旧らい予防法」の制定以降、一貫して終身強制隔離や患者撲滅の政策をとりつづけた。沖縄でも、発症した人間は住みなれた村や町から追われこの島に、「治療」あるいは「入院」と称して移された。
 現在は311人(男性164人、女性147人)が居住している。平均年齢は77.2歳、年々介護を必要とする入居者が増えているというから、高齢者介護施設という側面も併せ持っていることになる。
 私が会ったのは、17歳で愛楽園に送られた一人の男性だ。知花重雄さん(85歳)のおだやかな口調とは裏腹に、語られるこれまでの人生のなんと重いことか。
 知花さんが愛楽園に着いてまずしたことは「病気(ハンセン病)で死んでも文句を言ってはいけない、子どもをつくったら園の外で養育せよ、子どもができたら堕胎せよ、園内で結婚するならば男は断種する」などと書かれた誓約書に同意の署名をすることだった。
 「医者はもちろんだが看護婦も、われわれ患者に直接触ることはなかったなあ」と知花さんが当時を語るように、医療従事者は常に帽子、マスク、長靴、手袋という完全武装したかっこうだった。病室に入ってくる際にも、機械的に注射を打ち続ける時にも、同様のいでたちだ。 
面会は病棟と離れた場所にある面会室で行なわれ、部屋の真ん中が壁で仕切られているわずかな空間で顔をみることしか許されていなかった。しかも面会にも職員が立ち会うという、囚人のような扱われ方だった。ハンセン病患者は「人」ではなく「モノ」であった。「モノ」が「人」に戻るのにどうして長い月日が必要だったのか。
 敗戦後8年たった1953年には「旧らい予防法」が改正され、「らい予防法」となった。本来はこの時点で廃止されるべきものであったが、実現しなかった。1996年に法律が廃止され、患者の人権が認められるまで、さらに40年という歳月を要したのだった。法律が廃止された時、知花さんはすでに70歳を超えていた。予防法の廃止にともなって若い世代の人々は次々と愛楽園を去り、高齢者が残された。知花さんも残った。園内にはシルバーカーを押して歩くお年寄りの姿が目立つようになった。看護師や介護職員が広い園内を自転車で行き来してお年寄りの居室を訪問。生活の支援を行っている。300人のお年寄りが今まさに人生の最後のステージを過ごしているのだ。
 「ここでの生活は本当の幸せとは言えないよ。人間の幸せは食べて寝るだけが保証されればというものではないからだよ」
 衣食や住が足りていても、人間として扱われなければ、人生を生きていることにはならないという知花さんのことばに胸を突かれた。ハンセン病ゆえに、どう生きるかを自己決定できなかった無念さを知った。どう生きるかは、どう死ぬかにつながっている。「これからは一日一日を大切に過ごすよ」。知花さんの、自分らしく輝く日々がそこにあるはずだ。遅すぎた日々であることが、唯一悔やまれる。


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 既存の自治会ではない自治組織を目指して
         三重県桑名市・小川まみ


 私は、団塊の世代が中心の新興住宅地に住んでいる。あと10〜15年後には後期高齢者のまちになってしまう。団地の高齢化は、都市の中の限界集落問題になるという危機感がある。現在の行政の下請けのような自治会ではなく、自分たちのまちの問題を行政まかせにせず、自分たちで解決していく、そんな本来の「自治」が実践できるように自治会を変えていくか、まったく新しい組織を作る必要がある、と私は思っている。
 昨年4月に自治会長になり、連合自治会の総会に初めて参加してビックリ。現状は私の想像を超えていた。仕方なく自治会長になった人が多く、四役を決めるのに相当時間がかかってしまい、私は会計を引き受けた。何のために連合自治会があるのかはっきりしないから、やりたい人がいない。
 私の住む団地は高速道路のインターに近いため、数年前から空き巣被害が多く、すでに、二つの地区で防犯パトロール隊が発足している。一つは、自治会が主体、もう一つは小学校のPTA役員が中心になっている。
 連合自治会の場で防犯パトロール隊を作ろうという話が出た。私は自治会、PTA、民生委員などを中心に充て職になるのは避けたかったので、あくまで自主参加にこだわった。自治会長やPTA役員だからといって、そこに自動的に組み込まれるのでは、楽しく参加できない。市民活動の基本原則の「やりたい人がやる」が一番いい。
 地域にお祭りがなく、自治会行事も年2回の町内清掃だけ、子ども会もない。名まえは「防犯パトロール隊」だけれど、パトロール活動を通じて顔見知りが増えれば、これが住民同士の交流の場となり、横のつながりを築くきっかけになると思う。今、設立準備の会議を何度か持つ中で、防犯パトロールだけでなく、安心して暮らせるまちを自分たちでつくっていくんだという意識が参加者の中で高まってきたと感じる。
 まず、住民同士が声かけすることからスタート。


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前我孫子市長・福嶋浩彦氏を招いて公開講座
  「自治ネット」公開講座担当・神谷明彦


 「無党派・市民派 自治体議員と市民のネットワーク(略称:自治ネット)」では、昨年、「議会基本条例」で有名な北海道栗山町議会の橋場議長、四日市大学政策学部の岩崎教授をお招きして公開講座を行ってきました。
 今年は、講師として前我孫子市長の福嶋浩彦さんをお招きし、8月24(日)午後2時から名古屋都市センターにて公開講座を開催する予定です。講師に1時間半ほどお話しいただいた後、参加者の皆さんが存分に意見交換できるよう1時間ほどのフリーディスカッションをしたいと思っています。
 福嶋さんは、市民自治を徹底的に追及された方で、その考え抜かれた論理は明快です。続投を望む署名運動も起こりましたが、これ以上長く続けてはいけないという本人の強い意志で、2007年に3期12年続けた我孫子市長を引退されました。なぜ3期で辞めるのか。この辺についても目からウロコ?のお答えをいただくことができるのではないかと思います。納得のいく説明に「なーるほど〜」の頷きが何回出るか楽しみです。
 我孫子市長時代には、常設型住民投票条例、自然環境を守るために市民から資金を集めた「あびこ市民債」、予算編成過程の公表、市の補助金をいったん全廃し再募集、3年ごとに白紙に戻すなど、全国に先駆けてユニークな市民参加施策を展開されてきました。おもちゃ箱の中から泉のように湧いてくる施策のすべてに通じるのは、「市民自治」の追求です。福嶋さんは、市長になる前に市議会議員を3期務めていらっしゃいます。どんな議員だったのでしょうか。また、福嶋議員から見た市議会はどうだったのでしょうか。「議会への市民参加」についても斬新な提言をうかがえることを期待します。
 福嶋流の地方分権とは、市民自治とは、市民参加とは、協働とは・・・。あなたの中で、勇気とひらめきのわいてくる2時間半にしたいと思います。
(講座の詳細は、同封のチラシをご覧ください)


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インフォメーション


M&T企画(寺町みどり&ともまさ)/
「議員としてのスキルアップ連続講座


「む・しネット」の共催で、3回実施します。
担当スタッフは、島村きよみ、小川まみです。
●第1回「議会で働くために、
まず各種の基本を身につける」
日時:8月22日(金)13時〜20時〜
     23日(土) 9時〜12時
会場:ウィルあいち(名古屋市)
講師:寺町みどり&ともまさ
《講座対象者》「無党派・市民派」の議員
       および立候補予定者の市民
《参加費》 1万5千円(2日間通し)
《締め切り》定員15名(先着順)
《問合せ先》寺町知正(T/F 0581-22-4989)
【セッションの内容】
・「議会の基本を知らないと議員活動は安易に流れる」〜基本的な議会のルールと流れ
・「原則に基づく的確な発言、議論が効果を生む」〜質疑と一般質問の違い
・「公的手続きを使うことで影響と効果は倍増」〜情報公開/住民監査請求
・「9月議会に向けて=決算審査のために」
予算のしくみと流れ/「財政健全化法」
・「具体的問題の解決」
【第2回】10月24日(金)〜25日(土)テーマ「議会活動のレベルアップ/各手法の実践的テクニックを身につける」
【第3回】2009年1月下旬か2月上旬
テーマ「一般質問と議案質疑の組み立て/情報公開/不正支出/予算審議対策」


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〜「む・しネット」プロジェクト企画〜
 「おひとりさまの老後」を読む会


 上野千鶴子さんの著書を読み始めて7年目。
今年度は、話題の75万部の大ベストセラー、『おひとりさまの老後』がテーマ本です。読みやすいけれど奥が深い本を一緒に読みましょう。会員制ではなくオープン企画なので、参加したい方はご連絡ください。会場はJR岐阜駅東の「ハートフルスクエアG」です。
◆第1回:8月8日(金)10〜12時
     小研修室2(ハートフルG)
◆第2回:8月20日(水)10〜12時
     小研修室1(ハートフルG)
◆第3回:9月29日(月)10〜12時小研修室1(ハートフルG)
プロジェクトスタッフは新田幸子と寺町み
どり。お問い合わせは、058-272-2348(新田)


<編集後記> 
65号完成間近の1月に体調を崩し、まみさんが印刷・発行にこぎつけた。66号の編集・発行は今大地さんが手を挙げたけれど、企画段階で脳底動脈瘤が見つかりダウン(手術、療養中)。校正担当の幸子さんも「C肝」だし、スタッフは揃いも揃って「プロジェクトb(ビョーキ)」です。体調も快復したので、ペースダウンして発行しましたが・・・先行きはグレー。ということで、スタッフも、はやく載せたかった記事も、賞味期限切れ間近に(笑)。仕事がはやく、イキのよい編集スタッフ募集中!! (みどり