『む・しの音通信』No.67(2008.9.28発行)

エッセイ


  みずからを見つめ直す刺激的な時間
  「『おひとりさまの老後』を読む会」
        愛知県東郷町・山下律子


 「長生きすればするほど、みんな最後はひとりになる」という書き出しで始まる『おひとりさまの老後』(上野千鶴子著/法研)。読めば読むほど、隠された棘が顔を出す"危険な本"である、この上野千鶴子さんの著書を読む読書会に参加した。
 私が参加した8月の読書会は、第1章「ようこそ、シングルライフへ」を読む日だった。  
 前半は、小見出しごとに、どの部分が印象に残ったか、どう自分に引きつけて読んだかなど、担当した人が本文の要旨と自分の感想を言うという形で進行。後半で、参加者が「自分の場合だったら」と考え、「わたし」を主語に話し合うという形式で進められた。
 私は読書会に参加するのは初めてだったのだが、著者は何が言いたいのかなどの洞察や評論だけで終わらず、そこからさらに、「ひと」がどうしたかではなく、「わたし」はどうなのか、「わたし」はどう思うのかを突き詰めて話すというはじめての体験に、非常にスリリングで刺激的な印象を受けた。
 たとえば、《「いっしょに暮らそう」という悪魔のささやき》編。上野さんは、年老いた母親に対して、「おかあさん、いっしょに住んだら」という子どもからの誘いを"悪魔のささやき"とよんでいるのだが、この箇所に関連して、読書会では大いにトークが盛り上がった。
 上野さんは、「いっしょに暮らそう」という子どもからの申し出について、親は「究極の愛情表現とカンちがい」し、子は「究極の自己犠牲、親孝行のあかしとカンちがい」しているとバッサリ切り捨てる。とはいえ、老親の介護問題をクリアしないことには、わたしの「おひとりさまの老後」はやってこない。
 ここで少し個人的な話をさせてもらいたい。私は遅く生まれた一人っ子で、母親との濃密な関係性の中で育った。強度の箱入り娘状態で、大学に入るまで、1人で電車に乗ったこ
とも、喫茶店(飲食店)に入ったこともなく、「家を出るには結婚するしかない」と、大学卒業と同時に結婚しようとして相手の母親の反対で結婚式が中止になった過去がある。親の反対を乗り越え、その後、結婚はしたものの、親との関係性は持ち越したまま。現在、母親がうつ病と骨粗鬆症による骨折の続発により、要介護状態になり、退院後の生活をどう組み立てるかに頭が痛いという状況にある。
 「転んだら、確実に骨折しますよ」と医師に言われている母親には、常時の見守り介護が必要だ。だからといって、仕事と地方議員とボランティアとしての活動を抱えながら、「おかあさん、いっしょに暮らそう」とは、とても言えない。介護保険を使って、介護はプロの手にゆだねるしかない。「心細いのよ。あなたがいてくれたら」とすがるように見つめる母を振り切り、「また来るから」と言いつつも、「どうしたら母から解放されるのだろう」と思う私は、とんだ親不孝者だ。
 そんな鬱々とした心理状態でいた私にとって、「わたし」を語る読書会での議論はまさに目からうろこだった。参加者の話を聞くうちに、口では親不孝者と開き直りながら、本当は母にいい顔をしたい、良い子と見られたいという親に依存した自分の姿が見えてきて、正直落ち込んだ。だが、親と子という縦関係を卒業し、個々人としての横関係に組み替える必要性を実感できたのは、読書会に参加してこその得がたい収穫だったと思う。
 『おひとりさまの老後』は、一見、平易で読みやすい。だが、そこで提起されている事柄は、自分の秘めた感情を刺激し、見たくない部分までもあぶり出す。読書会は、そんな毒をあえて皆で飲み干し、次に進もうという場でもある。「わたし」を主語にすれば、いやでもみずからの姿を意識する。本当の救いは、そこから逃げずに一歩踏み出す勇気にあるのだ。
 次回は9月29日(月)に第2章を読む予定。みずからを見つめ直し、勇気をもらいたい人に、ぜひ参加をおすすめしたい。


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政治の原点は「市民」
   愛知県武豊町・小寺きしこ


 市民派議員としてのスキルアップの連続講座の翌日、「無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク」の前我孫子市長・福嶋浩彦氏の講演《市民自治・・・我々はどう考え、どう行動するのか》を聞いた。
 まずびっくりしたのは、福嶋さんは、議員を3期、市長を3期経験されて、今52歳。政治の世界で24年も働いていたのに、威圧感がなく、経験から話される言葉には説得力がある。
 福嶋さんは、5つのテーマで講演された。1つ目は「地方自治とはなにか」。福嶋さんは「原点は、市民主権。主権者である市民が国と地方自治体に権限を分け与えている」と言われた。自治体が社会や暮らしを動かしているのではなく、そこに住んでいる市民が町の施策を自治体に委ねているという。地方自治法第1条に「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本とする。」とあるが、主役は市民なのだと。
 2つ目は「市民自治の視点」で、福嶋さんは「市民自治の土台は、直接民主主義。自治体の長と議員は、直接選挙で投票した市民に責任を持つこと。日常的な市民の直接参加が不可欠であること。長と議会が市民参加を踏まえた活力を対抗させ合う緊張関係に立つことこそが、2元代表制には大切である」と言われた。さらに「市民が議会活動へ参加すること。条例づくりや請願の審議などに、市民が関わることが大切である」とも。
 これまでの市民は、選挙で長や議員を選んだらすべてを委ねてしまっていた気がする。でも本来は、市民が直接議会に関わることで、議会の意思決定に大きな影響を与えることができる。請願は、憲法で定められた市民の権利である。わたしは、7,000人の署名のついた請願の紹介議員になったことがある。議会では否決されたが次年度の予算には計上されていたという経験をした。市民が議会に目を向け、参加することで議会活動が正常化されていくと感じた出来事であった。そのためには、長・議員一人ひとりが市民の声をきちんと聴くことが大切である。そうすることで、福嶋さんのいわれる「市民のあきらめの無関心をなくすこと」ができるのだと思う。
 3つ目のテーマは「自治をリードする議会に」。福嶋さんは「2元代表制の自治体の議会に『与党』『野党』はない。選挙が終われば、『長』対『議員』である。議員は、議会の場で、市長が提案したことに対して、議論することが大切である。市長の提案に対して、議決するのが議会。その結果に議員は、議会の総意として責任をもつ。そして、市民への説明責任を果たすことが重要である」「市長の提案が、議会で反対されるのは、議会のチェック機能が正常に働いている証拠。否決されてあたりまえ」と言われた。
 「否決されてあたりまえ」なんて思ったことがなかったので、わたしの中に衝撃が走った。裏を返せば、否決することに後ろめたさを感じていたのだ。市民の立場にたって判断すれば反対することも「あたりまえ」そう思えた瞬間でもあった。
 「市民の公共をつくる」では、「協働の本質は、事業者市民(NPO、ボランティア、企業)と行政が協働した結果、目的が達成されること。目的とは、サービスを受ける市民(第3者)が喜ぶこと。行政と事業者市民だけの自己満足な関係ではいけない」と話された。常に、原点である市民の声を聴くということを忘れてはいけないのだ。
 最後のテーマは「市民も自治の力を高める」。福嶋さんは「異なる利害関係を持つ市民同士が、きちんと対話し、お互いに納得のできる合意をみずから創り出す力が必要である」という。それは、市民の自立を意味する。すべてを「長」と「議員」に委ねるのではなく、市民みずからも、まちの方向を決める一員として参加することこそ成熟した地方自治なのだと思う。
 福嶋さんの講演を聞いて、わたしは、議会での対立を恐れず、自信をもって市民の声を届ければいい。迷った時こそ、市民の声を聴こう。市民のための政治だからこそ、市民と組もう、と思った。

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徒然なるままに日々これ病床
      福井県敦賀市・今大地はるみ


 家事は一切しない、夕飯は実家の母に作ってもらい一緒に食べる、1日中好きな本を読む・・・優雅な生活?を手に入れたのと引き換えに、残りの人生は乳がんと脳動脈瘤とともに歩むことになってしまった。
 乳がんの手術後、再発・転移のリスクを背負いながら無謀に走り続けてきたツケは、脳底動脈瘤という形でまわってきたのだ。兆候は昨年の12月議会。一般質問の直後に強い頭痛と吐き気、めまいをおこし議会を早退するという事態になった。年が明けても頭痛やめまいは治まるどころか、歯の痛みまで加わり精神的にもかなり落ち込んでしまった。
 3月議会直前に見つかった脳動脈瘤は、放っておくといつ何時、クモ膜下出血で倒れるかもしれない状況・・・でも、まだ未破裂だ! ラッキー&ハッピーかもしれないと思うことにした。議会も「む・しネット」のスタッフもおりて、治療に専念することが何をおいても最優先、の生活が始まった。3つの大きな病院でのセカンドオピニオンを経て、動脈瘤をクリッピングする手術しか選択肢がないこと、見つかった部位が脳底で非常に危険な手術になること、術後の後遺症が少なからずあることがわかった。検査入院の動脈カテーテルでさえ、ちょっとビビったわたし。でも、発見から2ヶ月後という超スピードで手術にこぎつけた、しかもクリッピング術では世界に誇る医師グループが執刀という幸運にも恵まれた。担当医はイケメンだしやっぱりわたしって、ラッキー・ガールとひそかにウフフ・ムフフ・・・
 手術は大成功、2週間後には退院という快挙。しかしそんなに甘くはなかった・・・。退院後1ヶ月でまた再入院するはめになった。なんたって、頭皮をめくり、頭蓋骨をくりぬいた大手術、傷口が炎症をおこし、すわ!洗い直し手術か!の瀬戸際だという。バッグひとつで診察を受けに行ったわたしは、そのまま病棟へ直行。それからは朝夕2回、抗生物質の点滴、毎日シャンプー後に傷の処置が来る日も来る日も続くことになった。抗生物質の副作用で口内炎にはなるし、皮膚はボロボロ。もともと血管が細く、抗がん剤でかなりダメージを受けているので、点滴がなかなか入らない。点滴はわたしにとって天敵だぁ!の日々はほんとにつらかった。
 いつ退院できますか? 聞くたびに「ウ〜ン・・・退院は難しいですね、再手術しなければならないかもしれないから」とつれないそぶりのイケメン・ドクター。再手術はリスクが高く、最低でも2か月の入院が必要と脅され、手術になりませんようにとひたすら祈る毎日。でも読書三昧にくわえ、携帯からピコピコとブログ、同室の患者さんとの楽しい交流で入院生活もまんざら悪くないや。
 あいまに銀座での上野千鶴子さんの誕生パーティにまで参加のお泊り旅行、「おひとりさまの老後」講演会にもお出かけするなど、刺激的な体験もあって免疫力もアップ。ひとえに誘ってくださったみどりさんのおかげ。  
 再手術の危機を脱し、6週間にも及ぶ規則正しい生活でしっかり身についたメタボなお腹をおともに、無事7月末に退院となった。
 元気印で帰ってきたはずなのに、暑さと薬の副作用でまたまたダウン。9月議会復帰を目指し、市役所に出かければ次の日は1日、起き上がれない。乳がん再発予防のホルモン剤の服用はすでに3年近くになり、筋肉のこわばりがひどくなってきている。最近はほとんどひきこもり状態。かろうじて、ブログを綴るだけが日課となった。身体の不調は数え上げればきりがないのは、わかっているけれど、病気と向き合って生きるためには、書き残そうと思いはじめている。いまやブログのカテゴリーで《健康・医療》が断然トップ。再入院中には、乳がんの検診が敦賀市立病院でも始まったといううれしいニュースが飛び込んでくるなど、当事者として声をだし行動した成果も目の当たりにした。
 わたしの病気はわたしだけのものではない。同じ病気に苦しむ人と一緒に歩むために生かされているのだと実感している


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表玄関からみんなで見送る死
    ノンフィクションライター・甘利てる代


 「入る時は表玄関から、出るときは裏口から」。これは、特別養護老人ホーム(以下、特養)で亡くなったお年よりの最後の場面だ。全国に存在する多くの特養では、遺体はひっそりと人目につかないように裏口から送り出される。理由について、「やはり動揺されますからね」とある施設長は話す。
 だが、近年、その場面に変化が現れはじめた。表玄関から、しかも他のお年寄りや職員がそろって見送ることが徐々に浸透してきたのだ。
 それは2006年の改正介護保険における新設加算、「看取り介護加算」の導入と無関係ではない。制度の詳細は後述するが、実はこれまでも特養での看取りがなかったわけではない。
 05年3月、特定非営利活動法人「日本介護支援協会」が特養に対し、高齢者介護におけるターミナルケア(終末医療)のアンケート調査を行った。その結果によると、死亡退所した場所は約6割が病院で4割が特養だった。病院での死亡が主であるが、特養での死も相当数があったというわけだ。だが、どのような環境下で行われてきたか。一般的に特養には医師は常駐していない。週に数回の勤務がある程度で、医療処置については嘱託医の指示のもと看護師が行う。その看護師もほとんどの特養で、夜間及び祝休日は不在。つまり介護職員に重い負荷がかかっていた。
 それでも有無を言わさず病院に追いやらなかったのは、「本人が病院で管だらけになることを望んでいなかった」「本人や家族が住みなれたところで最期を迎えたいと希望した」(2003年・NPO法人特養ホームを良くする市民の会の調査「特養ホームにおけるターミナルケアの実態と課題」)ためだ。
 看取り介護加算(介護保険で介護報酬が支払われる)の導入は、これまで特養の恩情による持ち出しでまかなわれてきた人手(看取りケアと呼ぶには施設ごとの差があると判断した筆者がこう呼ぶ)が、少なくともいくばくか保証されたことを意味する。 
 「看取り介護加算」とは、「重度化対応加算」(入所者の重度化等に伴う医療ニーズに対応できるように常勤看護師の配置と24時間連絡体制を整え、看取りのための個室確保、看取りに関する指針の策定などの一定案件を満たした場合)を算定している施設が、死亡日以前30日を上限として1日につき@160単位(1600円)A80単位(800円)の加算ができるというもの。2種類があるのは、@最後まで施設(あるいは自宅に戻った)、A最後には病院に行ったケースとに区分されているからだ。
 しかし、「ターミナルケアを行っていますといいながら、施設内で息を引き取る瞬間を誰にも見守られない『施設内孤独死』を生んではならない」と警鐘をならすのは、北海道登別市の「緑風園」(社会福祉法人登別千寿会)の菊地雅洋施設長だ。88年に開所した緑風園は、当初から看取りを行い、間もなく施設内での医師の診察を毎日可能とした。さらに看護師を365日配置しオンコール体制を整え、夜中でも連絡が取れるようにするなど独自の取り組みをすすめてきた。
 「最近(6月上旬)にも99歳のお年寄りを看取りました。息を引き取ったのは夜中でしたが親族と職員で見守ることができました。家族は5日ほど前から園に泊まっていましたが、施設側として休養その他必要な支援を最大限に行ったつもり」と菊地さん。家族のメンタルケアはもとより、食事や部屋、寝具、源泉かけ流しの温泉などで支援。家族が気持ちを集中してお年寄りにかかわれるように配慮する。
 加えて緑風園では08年の4月から「死後カンファレンス」(看取り介護終了後の検証)にも取り組んでいる。家族アンケートを行い、職員の対応や医療・看護体制、介護サービスについて率直な意見を聞き取っている。さらに看護、介護、相談援助、給食の各分野の職員が自己評価と課題の分析を行い、総合的な検証を実施する。
 理由は、「施設側の自己満足だけの看取り介護にしてはならないから」と明快だ。また菊地さんは「普段のケアが貧しいのに良い看取り介護などできるわけがない」とも言う。
 ターミナルケアは唐突に出現するものではない。日常生活の延長線上にある。お年寄りが生ききってもらうためのかかわりをどうつくるか。看取り介護加算の導入は、改めてケアの本質を問うている。
 (『週刊金曜日』6月27日号より転載)