岐阜での有機農業提携“ぎふ・人と土の会”の報告(1991年2月)  (ロシナンテ社原稿)

 かつて、有機農業運動は希望に満ちて全国各地に広がっていました。
 78年秋に始まった岐阜での無農薬の野菜や平飼いの卵などの産直は、80年夏から「ぎふ・人と土の会」として組織されました。野菜・卵の全量買い取り、一グループ(ポスト)5名以上、日本有機農業研究会の入会、ポスト代表の毎月の運営委員会への参加を条件にして、会員100名余りの、生産者と消費者の提携グループとしてスタートしました。

 『・・・現在、配達されている卵・野菜の量は、我が家では多すぎて食べ切れません。また、それに伴って支払う金額も多くなり、家計のやり繰りもなかなか大変です。・・・』という手紙が何年か前の運営委員会に届きました。
 卵・野菜は、それぞれ量の多い時期少ない時期が必ずあり、多い時期を“適量”とすると少ない時期は足らなくなります。会では、今まで話し合いで適量を探ってきましたが、会員一人一人に合わせることは無理で、どうしても多すぎたり少なすぎたりする人が出てきます。野菜の量や種類は、会に入って何年かして初めてイメージがつくもので、いくら説明してもすぐには理解できない事が多いようです。農家からすれば、年毎に畑の情況が良くなり、出荷の時期や量の見当がつくようになったという“進歩”です。しかし、消費者からすると、やはり量の寡多についての不満、注文は続くようです。
 食べ続けることによって、野菜は思ったとおりに出来ないことや、今までの価値感では通用しないことを感じて、少しずつ変わっていくしかないのでしょうね。
 野菜も卵も加工食品も、少ないよりは、今のように種類も量も多くて、いろいろ手に入るほうがいい。でも、あまりそこにどっぷり浸かってしまうと、欲しいという気持ちも薄れていくのでしょうか。

 ともかくも、野菜アンケート結果を見ても、どんな野菜でもいいからもっと欲しい人は、嫌いな野菜が少ない傾向のようです。反対に、もっと少なくという人は、市販していないような野菜は好まない傾向にあるようです。
 このような会員の希望に対応するために料理講習などともに、基本的な野菜のコンテナ(スタンダードセット)と、珍しい野菜や作付け量が少ないものも入っているコンテナ(バラエティーセット)を区別して、希望する方を月単位で選択してもらって届けるシステムを現在とっています。
 今後、会としての全量引き取りはつづけるしかないとしても、解約の自由なシステムというのは、案外可能な線ではないかと思います。ただ、余程流通が充実しないと、毎月毎の自由な契約・解約ということまでは無理でしょう。

 当初、野菜はポスト毎に配送して各ポストで一人分ずつに分けていましたが、仕分けのために時間的、精神的に労するより、その分、会のことなり個人的なことに費やしたほうがいいということで、88年春から農家で個人分けしてから配送することになりました。会との関わり方、意識の在り方を問うよりも「安全で美味しいものを食べたい」というところで連がって、後は皆それぞれの想いで会に関わればいいということです。また、コンテナ分けになって意外なほどに仕分け、配送が楽になり、89年春からは希望に応じて個別に配送しています。ただし配送一ケ所あたり【300円+人数×100円】の配送費を毎回加算しています。また、野菜だけ、卵だけ、米だけという選択も可です。勿論複数を取っている人が多く、通信だけという人もいます。
 会の中には「安全な物が欲しいだけで、その為の労力を惜しむ人はお断り」という空気がありました。“物だけ”では居ずらくなるような雰囲気を、時には楽しく、時には陰険に持ち続けてきました。私たちは「誰もが安全な食べ物が食べられるのが本当なんだ。」と言いながら「でも、最初からそんなことは無理なんだから、とりあえずは動ける人だけ」と言い訳して、結果的には多くの人を切り捨ててきました。
 私たちは、それまでの反省も込めて「みんなで分担することになった(無添加食品の)共同購入もやっぱり色んな問題が出てきました。運営委員会の参加、日本有機農業研究会へのポスト加入なども含めて、会の取り決めを白紙に戻して、もう一度、会の在り方について考えていきませんか」と提案しました。
 88年春、提案を受けた形で「会」の一切の義務を無くすことになりました。十分話し合ったというより、楽になる事に誰も依存はなかったのかもしれません。運営委員会は、自主スタッフによるスタッフ会とし、通信の発行も、会計も、共同購入もやりたい人がやることになりました。有機農業研究会の集団会員は脱退しました。現在は、不十分ながらスタッフの有償化も検討され、流通について仕分け料の設定や配送費も相応に計上することになっています。ともかく当然ながらスタッフ会への参加者は少数となり、スタッフが限られてくるにしたがって、それぞれ思いの違いが明らかになってきました。暮らす場の違いからくる把らえ方の違いが常にあるのでしょう。
 特に、野菜については50品目80種ほどの作付けで、端境期も少ないながらも、途切れずに届くようになり、年々良くなっているという私たちの実感が、意識が高いとされる一部の会員に批判されていました。

 『生産者にすれば、良く出来た野菜も出来なかった野菜にも不満があって、多くても少なくても、種類が好みに合わなかったり、ほどほどのところで満足することがないのが消費者だ。出来なかった理由を言い訳がましく説明したくもないが、しなければまた、批判される。まったく割に合わない。そのリスクを総て、作る側の責任で負うのなら、やっぱり殆どの農家は農薬をかけ、少しでも高く売れるように走ってしまうだろう。
 そうならないために始まった、生産者と消費者の提携なのにと思う。野菜の提携ではなくて、畑の提携、あなたの食べる野菜を私が作りますという基本線は今後どこへ行くのか。同じ会員でありながら、義務がなくなったのは“食べる人”で、結局は“作る人”の私たちは何も降りられないことが次第に明らかになってきた。』(通信22号・89年3月) ここで言った、降りられない人というのは、消費者が生産者を探してきて作った会ならその消費者のリーダーの人たちになるでしょうね。

 私たちは野菜・卵を生産する農家という立場と同時に、卵や他の生産者の野菜や、毎月皆で共同購入する加工食品などの配送を行う流通の立場も引き受けています。
 生産者と消費者の提携において、配送は生産者か消費者が行うのが良いと思います。ただ生産者が自分で作った物だけを配送しているうちは問題ないが、私たちのように他の農家の物も運んだり、さらに規模がふくらんで“かたち”が整うほどに消費者と生産者との距離が遠くなります。 
 そこで流通の独立の問題が出てきます。
 一口に生産者と言っても自分で作っていない生産物に対しては、それほど責任が持てるものではありません。一方、組織全体での収支を考えると、一旦仕入れたものは時には値下げしてでも、抱き合わせてでも売り切ったり、時には転売したりなどは、トータルな収支の帳尻を合わせる中でこそこなしていけます。消費者が同じ立場のAさんに高く売り、Bさんには安く売るということが出来るでしょうか。流通の役割は、やっぱり生産者でも消費者でも出来ません。これは、生産者がやろうと消費者がやろうと、それらとは別の立場を確保し同時に責任を負った時にしか出来ないように思えます。
 しかし、流通の“レール”だけを引いても、“システム”だけを整えても駄目です。流通をやってしまおうという“意欲”のある人がまず必要です。
 会員の顔や名前が一致しなくなった大きな組織での、メリットは一体なんでしょうか。ピラミッドのような縦割りの組織なら不要だと思います。各部分・担当が自由に発想し動けるならいいのですが、そういう状態というのはつまりは、殆ど小さいのと一緒ではないでしょうか。
 ただ、現実をみていると、大きくなるといろんな問題が出てくるようです。
 良心的に運営されている組織が多いのでしょうが、次のような話しもあります。ある組織の流通職員をしている人が、常に量を確保しておくために農薬を使っていることは確実な遠くの産地の野菜まで“そのことを消費者に明示せず”扱わなければならない現実に自己嫌悪にさいなまれ、遂に止めたことを話してくれました。また別の組織の流通スタッフが、農薬も化学肥料も普通に使って栽培したお米をある農家から買い「無農薬米じゃなく“減農薬米”」として売るから大丈夫です、と言いってたよ、とその農家に聞きました。また、あるところで有機農産物の大規模な流通組織を設立するときその中心人物の一人が「農家に農薬を使ってもいいから野菜を作ってくれ、消費者には黙っておけば分からないから」と言ってまわったと、本人に聞きました。

 規模の拡大と信頼の保持、質の維持は本当に難しいと思います。質や信頼をそこそこにして拡大を求める方向か、質や信頼にこだわっていく方向つまり小さい規模にとどまる方向かの選択が必要になると思います。もし、こういう小組織が幾つか集まるなら、最大限の情報交流、最小限(ほどほど)の物流に留どめることだと思います。
 地域問題とか医療とかの方向の活動にしても同じでしょう。そこには、ただ受けることが主の人と、運営にもタッチする人と、多数を占めるその中間的な人から、組織は成り立っています。そういう一人の、一人一人の、みんなのこういう会がいいという思いがあり、それを実現する“意欲”“行動”の現れが会のその時々の姿・在りようだと思います。こうでなければならないとか、こうすべきとかいうのでなく、こうしたい、こうありたい、ああしたいという想いの集合・結果がその時の会の実態です。だから、「後継者をつくる」「レールを引いたら会を降りる」というような発想はいらないと思います。

 自由な発想で横につながっていくいろんな運動の、人と人とのつながり、そういうものが必要だとつくづく思います。今、岐阜でもそういう場を作ろうという女や男が動きかけています。一応定着してきたように見える有機農業の提携運動も、規模にかかわらず何を大切にするのか合意の上で、個性化の方向にあるのではないでしょうか。

     岐阜県山県郡高富町西深瀬208 寺町知正・緑